022譚 西端の山道を渡って(上)


「おーい、ケル!こっちだよ!」

 

 変声期前の、快活そうな子どもの声が俺を呼ぶ。振り返れば、細やかな刺繍の施されたリネンの服を着た、柔らかなキャラメル・ブロンドの髪とスカイ・ブルーの目をした奴が白い歯を見せて笑っている。この王国の第二王子シーヴラハックだ。

 こんな高位の人間、きっと一生関わることはないだろうと思っていたのに、びっくりなことに見習いのころから何度も顔を合わせるようになっていた。もはや腐れ縁で、今や(シーヴラハックから)親友と呼ばれる仲になっている。

 

「ハック、お前な。また護衛に俺を指名したろう。俺を横に立たせてると、あんまりよく見られない」

 俺はいつも通りに言った。あまり意識していないが、どうやら俺の話し方はシーヴラハック曰く、少し奇妙なのだそうだ。治す気もないが、抑揚が少なくて人間ぽくないと言われる。

 

「ごめんごめん……君にも厭な噂立てられてるよな。なんだっけ?俺の男妾だっけ?なんか悪いな」

 

「俺のはいいんだよ。たかだか聖騎士なりたての小僧だ。好きに言わせておけばいい。問題は王位継承なんかでごたごたしてる、お前だろう」

 こいつは妾腹だというのに、第一王子より「神々の血」が濃いらしい。しかも「呼び掛け」の才能があるだけでなく、この明るい性格で国民の人気がある。いっそう睨まれやすくて苦労している。

 難儀なことだ。平民の(いや、一応今は騎士位持ってるが)俺にはないしがらみだ。王宮内部で二派に分裂していて、顔を合わせるたびにピリピリしている。社交界で護衛している俺もよく、そんな現場に遭遇する。

 何ならば、お前はどっちにつくのだ、と問いただされる。俺はそういうのに付き合う気はさらさらない。シーヴラハックの友人だけど、シーヴラハック派ではない。薄情と言われるが、興味がない。

 俺が冷ややかな目を向けていると、シーヴラハックは苦笑して、


「でもこの前、ビルギットに怒られてしまったんだよね。うちのケルバンを巻き込まないでちょうだい!って。ビルギットは君が本当に大好きだよね」


「俺じゃなくて、ギャラガーの心配だろう」

「えー?そうかなあ」

 シーヴラハックはニヤニヤと嗤って見せる。下世話な話を好むのは貴族だろうと傭兵だろうと変わらない。面倒くさい。


「そういう笑えない冗談はせ。あいつはエイルビーの婚約者なんだ。兄弟子の嫁と不倫だのという噂まで立ったら、ギャラガーに殴られる」

「ギャラガー、孫煩悩の権化だもんな……。最悪、埋められるかも?」


 前任の聖騎士ギャラガーはとにかく、孫娘が大好きだ。愛孫のために格好を付け、愛孫に虫が付くようならば泣いて叫ぶ。俺を弟子として引き取ったときも、「孫娘に手を出したら殺す」と言われた。出すものか。まったく興味を感じない。

 婚約者にエイルビーを選んだのは順当だろう。奴は石頭の生真面目野郎で、色々とネチネチ面倒臭い奴だけれど、ギャラガーの信頼の置ける弟子のひとりだ。それでいて、俺と違ってそこそこの血統書付き。

 俺は説得するようにシーヴラハックの肩を叩く。


「まあ、とにかく。そういうことだから、たまには違う聖騎士を指名するんだな」


 けれども、シーヴラハックはすぐに「うん」とは言わない。少し俯きスカイ・ブルーを曇らせて

「へへ。……でも信用できるの、ケルしかいないんだよね」

 としゅんとして言う。


 この王子サマもまた、周囲には敵しかいないのだ。第一王子ボルティゲルンの知らないところで、ボルティゲルン派があれこれ嫌がらせをする。服に針を仕込むなんていうのはマシな方で、食事に毒を盛られる、階段で突き落とされるなんてことは日常茶飯事。

 俺とそういう経験はあるし、今でもけっこうやられる。そんな俺を見て仲間意識でも芽生えたのか、シーヴラハックは俺に執拗に絡んでくるし、固執もする。別に追い払うまでしつこくはない(いや、しつこいか)ので、こうして話すが。

 それによくわからないが、頼られるのは悪くないとも心のどこかで感じていた。ずっと友人というものだけはいなかったから、こういう感情をなんと言うのか知らないけれど、悪くない。

 

「まあ、ほどほどにな」

 

「ありがとう、ケル」

 

 こんな時間が続けばいい、とも思った。身分差はあるけれど、こうしててシーヴラハックと会話をするのは悪くない。師のギャラガーは自分を尊重してくれるし、その孫娘も実の妹のようで、悪くない。兄弟子は若干面倒くさい奴だが、一緒に剣の稽古をするのは悪くない。ずっと共に過ごしていた場所から離されたけれど、こんな生活も悪くない。そう、思うようになっていた。


「ネヴァンティ姫?」

 

 それは唐突だった。聖騎士としてその異国人たちを迎えるよう、命じられたのだ。


 ネヴァンティ姫は異国で生まれた下から二番目のお姫サマ(正確には姫ではないらしいが)だ。その娘はとにかく美しく、神々の血を色濃く引き、神々に愛される、いわゆる「聖騎士向き」の娘らしい。それで、神々の血が薄くなりつつある王宮に新たな神々の血を入れようってことになったのだとか。

 そしてネヴァンティ姫の嫁ぎ先は――第一王子ボルティゲルン。シーヴラハックの気に入りの聖騎士にあえて迎えに行かせるとは、悪趣味な冗談のつもりなのだろう。また面倒なことに巻き込まれたな、と思いながらも俺は渋々とそのお姫サマをお迎えしに行った。

 

 そのお客人たちは西端の山道からバル街道を通ってサラスへ訪れたらしい。王城の西側の外門前。そこにはふたりの男女がいた。

 片方は、俺と背丈の変わらない娘で、艶やかな異国衣装を纏い、顔は細やかな刺繍の入った厚いヴェールで少し隠している。おそらく、ネヴァンティ姫。

 そして――その横に、その男はいた。

 

「私はネヴァンティ様の供で、白夜はくや常闇とこやみの神々に仕えし者。ダンカンと申し上げる」

 

 黒い外套ローブですっぽりと顔を隠した、背の高い男だ。白夜はくや常闇とこやみの神官と名乗るそいつは、感情というものがないような――聖騎士を彷彿させるような声で俺に挨拶をした。





 


 翌々日。どんよりとした鈍色の空の下の聖騎士領ガヴェインの前。

 ケルバンやアラニス、そしてマカヴォン傭兵団の一行は、その要塞都市を見下ろす形で足止めを喰らっていた。

 

「ありゃあ、風の王国の軍勢だな」


 マカヴォンが間延びした声を鳴らす。

 ケルバンやアラニス、そしてマカヴォン傭兵団一行はティスカールを発ち、王国の西端沿いの山道を進み、聖騎士領ガヴェインをへ到達していた。このガヴェインを通過し、バル街道と言われる大きな街道へ出れば王都サラスなのだが――。


 その要塞の前の開けた平原には、ふたつの軍勢の姿があった。ガヴェインの正規兵および雇われの兵士からなる光の王国の軍勢と、西に面する風の王国の軍勢。彼らは馬を駆り、激しく刃を打つけ合っている。

 つまりは、タイミング悪く戦が起こっているのである。

 

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