009譚 お尋ね者と家出娘(下)


 翌朝。

 黎明の光が差し込むがらんとした物置小屋を見て、ケルバンは深々と息を落とした。


「まあ、そう来るよな」


 黒髪に赤銅色の肌の異国娘の姿がない。しかも、彼女の旅荷も。夜中にコソコソ、ひとりで出て行ったのだろう。どうせ、家に戻されるのを厭って、ケルバンから逃げ出したのだろう。

「強情なお嬢サマだ」

 実を言えば、気が付いていた。どんなに音を殺して支度をしたとしても、それを聞き逃すほど間抜けではない。あえて放置して、のだ。試したのだ。最後まで諦めてここに残っているようなら迷わず叩き返す。そうでなければ――。


「さて、追うか」


 ケルバンはすっと立ち上がり、ダークグレイの外套マントのフードを目深に被る。留め具できっちりと留めて、簡単には外れないようにして。床に放っていた荷物を纏めて背負うと、小屋を出た。

 外は肌寒く、曇天の空。ひと雨……もしくは初雪が降りそうだ。村の人々が寒そうに体をさすりながら横を過ぎて行く。その中に村長の姿があり、初老の男はケルバンに心付くと駆け寄って声をかける。

「おや、もうご出立なさるんで?」

「ああ」

 ケルバンが短く答えると、村長はきょろきょろと周囲を見渡した。

「連れの方は?」

「所要で先に」

 無理な言い訳だ。だが、きっぱりと、そして淡々と告げるケルバンに、村長は「へ、へえ?」としか返せない。なんというか、ツッコむ隙を与えないのだ。ケルバンは旅荷を担ぎ直すと、また短く。


「世話になった」


 つい、と村長の横を過ぎる。何ともあっさりとした別れだ。村長や、ちょうど起きてきたその息子夫婦に見送られながら、ケルバンは緩やかな坂道を上って行った。

 ここからまた少し山道を歩いて下りて、それから細い街道に出る。そこをまっすぐに進めば、商業都市グルネだ。どちらにせよ王都サラスへ行くには、この街を経由しなければならない。携帯用の食料も尽きるし、王都の検問を超えるには、名の知れた商団か何かについて行った方が確実だ。

 村からだいぶ離れ、山道の中へ入ると、ケルバンはやおら右の手から手袋を外し、強く噛み付く。歯で噛み破られた皮膚から、一筋の血が滴る。その血のついた手で、顔の包帯を少し緩めた。その隙間から覗くまなこは黄金。


「――――――」


 ケルバンは音を出すことなく、口の形だけで早口に呟く。言い終えると、ビュウッと風がひと吹きする。それは鳥の形をした風だ。その鳥の形の風は遠く北西方向へと飛び立って行く。ケルバンはその光り輝く黄金でそれを見届けると、ゆっくりと足を進め始めた。




 アラニスはぶるぶると震えた。


 足が痛い。寒くて寒くて、指先が取れそう。

 あの村から出立してから間もなくして、厚い雲は雪を降らせ始めた。と言っても初めはみぞれ雪だった。落とされた雪はすぐに透明な雫になって、溶けて消えた。土の上だけ、小さく降り積もって。

 けれども、その雪はしだいに、はらはらと軽く、そして行った。しんしんと降り注ぎ、すべてが白く染め上げられて行った。 


『やっとたどり着いた……』


 自分の国の言葉で、アラニスは独り言つ。眼前に商業都市グルネの城壁が見え始めていた。

(ぜったい、帰らない)

 アラニスはぐっと手を握りしめると、足を踏み出した。ひとりは恐ろしい。けれども、そんなことは覚悟の上。世間知らずの外国人だけれど、そんなことでへこたれちゃだめ。


「君、どこから来た人?連れは?まさか脱走した農奴のうどとかじゃないよね」


 外壁前で、門番に呼び止められた。

 こんな大きな街にひとりで入るのが初めてだったので、うっかりしていた。一応、初めは雇った(へっぽこ)傭兵なんかがいたので、何とか押し通せた。だが、今はひとり。アラニスはおろおろとしながら。

「え、ええと。旅の者です」

「君、異国人……しかも……のだろう?そんなのが一人旅なんてしてるわけないじゃないか。その荷物はどこで盗んできたの?」

 完全に、信じていない。なまじ、アラニスはわかりやすく異国人の容姿をしているから、なおさら誤魔化しが効かない。骨張った骨格に、色の黒い肌。どんなに平凡な顔立ちでも、これだけは非凡だ。

「あの、本当に旅人なんです。農奴じゃありません」

「確かに奴隷にしちゃあ、肌艶がいいけどさあ……でもさすがに、はいそうですか、とはならんよ」

 それはそうだ。農奴だった場合、その逃亡を補助したとなれば罪に問われる。そんな危険を冒してまで、異国人の娘を通そうとは思わないだろう。

 アラニスは困惑した。でも、引き返すにしても携帯食料のストックも切れつつあるので、このままでは野垂れ死ぬ。

(わたしのバカバカ。もう少し考えて動かなきゃいけなかったのに)

 またやってしまった。アラニスが頭を抱えていると、突然に誰かがアラニスの肩を抱いて引き寄せた。


「あー、すまんねえ。そりゃ俺のだ」


 熊のような大男だ。傷だらけの顔にぼうぼうに髭を生やし、その図体と同じような大剣を携えている。彼の後方へ視線を向けると、同じような男がぞろぞろといる。おそらく、どこぞの傭兵団だ。

 アラニスを抱く大男を見て、門番は頓狂な声を上げる。

「マカヴォンじゃねえか」

「いよう、久しぶり。連れが早とちりしちまって悪かったな」

「いやいや、おめえのなら構わんよ。奴隷の躾はしっかりやれよ」

 何だかよくわからないが、助けてくれたらしい。アラニスがきょとんとしていると、マカヴォンと呼ばれた傭兵がアラニスの背を押した。

「おら、歩きな」

「は、はい」

 アラニスは促されるがままに門をくぐった。

 外門の向こうは、目を瞠るほどに栄えた都市だった。煉瓦造りの建物が幾つも連なり、一頭立ての荷馬車や重たそうな旅荷を背負う人々が行き交っている。酒場と思しき場所では男たちが杯を交わし合い、路端には薄着の女たちが男たちを誘っている。


「お嬢ちゃん、どこから脱走したんで?」


 ぼけーっと突っ立っていると、マカヴォンがアラニスの頭を小突いた。彼もまた、アラニスを逃げ出した農奴か何かと思っているらしい。アラニスはむっとして、言い返す。

「脱走してないです……。本当にただの旅人です」

「女の一人旅?信じる奴いると思ってんのか」

「護衛はいたんです。でも、逃げられてしまって」

 気まずい沈黙が下ろされる。アラニスがありありと肩を落としているので、きっと本当のことだろうとさとったのだろう。マカヴォンは「あー」と声を鳴らして頭を掻き、

「……なんというか。ドンマイだな?」

 と言った。向けられているのは憐れみの眼差しである。

「団長、そいつどーするんで?」

 傭兵団に属する男がひとり、アラニスの顔を覗き込む。他の者たちもじろじろと続いて、アラニスは思わずたじろぐ。すると、男のひとりがアラニスにベタベタと触って、

「顔はまあ、そんなでもねえけど。そこそこ肉が乗ってて可愛いじゃねえすか」

 アラニスは恐怖で声が出ない。それに対し、マカヴォンもにんまりと嗤って言葉を継ぐ。

「そうだなあ。助けたぶんは体で払って貰うか」

 無償ただより恐ろしいものはない。アラニスは彼らを振り払おうとするが、マカヴォンのごつごつとして大きな手が腕を掴み、離さない。

 助けて……!

 アラニスは堪らず、目を瞑る。


「そこまで」


 矢庭に聞き覚えのあるしんとした声が下ろされ、アラニスと傭兵たちの間に誰かが割って入った。

「ケルバン……?」

 そこにあったのは、ダークグレイの外套マントで姿を隠した旅人の姿であった。

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