003譚 物知り爺さんと旅人(下)


 物知り爺さんの家は、この村でもっとも山に面した場所にある茅葺き屋根の平屋家屋だ。すでに子は無く、妻もない。ひとり寂しく暮らしているというわけだ。


「よっこらせ。すまんのう」


 よっこらせ、などと言っているが、老人は座らせてもらったので、よっこらせというような動作はしていない。単に言ってみたかっただけなのだ。

 だが旅人は気にすることなく声を鳴らす。


「炉に火はいるか?」


「おお、すまんのお。よろしく頼む。それと外に出てすぐにある川で水を汲んで、鍋を火にかけておくれ。具はそうじゃのお。肉はないが……豆と食物がそこの棚にあるからそれを煮込んどくれ」


 注文がさらりと増やされている。そして客人扱いが悪い。それは「もてなし」に含まれている内容だ。

 旅人は暫し沈黙した。きっと呆気に取られているに違いない。だが、小さく息を落とすと、水瓶を片手に外へ出た。どうやらやってくれるらしい。

 そして少しすると戻ってきて、水の満たされた鍋を乱暴に床へ置くと、火打ち石で炉に火をくべる。手慣れた手つきだ。それから鍋を吊具に掛けて火にかけ、やおら老人と反対側に座る。


「ほう……魚を捕まえて来たのか」


 老人は小さな目を瞬かせた。彼は立派な川魚を二匹、手に持っていた。水を汲むついでに捕まえて来たらしい。釣り具の類いはないので――おそらく、短剣か何かでひと刺し。実際、川魚には刃物を貫通させたような痕跡がある。


「で」


 突然に、旅人は声を鳴らした。やはり何度聞いても耳触りのいい透き通った音だ。旅人は手袋を外すと、川魚を素手で掴んで枝に串刺し――静かに言葉を続ける。


「何を話せばいい」

「そうじゃのお。どこの生まれじゃ?」

「知らない」

 旅人は短く答える。

年齢としは」

「十七」

「名は」

「……」


 まるで婚活をしている女のような質問だ。これで「ご趣味は?稼ぎは?どちらで働いていらっしゃるの?」等と問えば完璧。

 老人はふと、旅人の、いつまでも頭から被ったままのダークグレイの外套マントへ目を留めた。


「お前さん、その外套マント、脱がなくてよいのかい?」


「……」

 旅人は一瞬だけ黙りこくったが、すぐにその外套マントを脱ぎ去る。

「ほう。顔、怪我でもしたのかい」

 ざんばらの赤茶の髪の下に覗くその顔の半分――額から目元にかけてが白い包帯で覆われ、その顔の様子を隠している。その包帯は分厚く、その向こうを待つ全く透けて見せない。きっとあの包帯の向こう側からもこちらは見えていないだろう。

 だが、老人はすぐに

 

(視えてはいるんじゃろうな)

 

 と考えた。

 彼は人相書きを提示していた。まったく視えていない者ならば、人相書きを自分で見れないので、その特徴を確認できない。ということは、事前に人相書きに目を通しているはずだ。

 それにそもそも目の視えぬ者に人探しはさせない。顔を見ても気付けないからだ。知り合いを探しているのならば、声を聞けばあるいは。だがきっと知人を探しているわけではないだろう――老人はそう確信していた。

(あの。ありゃあ、高位の者――それこそ貴族が使う物じゃ)

 とてもこの旅人は貴族には見えない。いつの間にか手袋を嵌めているが、あの手は傷だらけだった。


(傷……?)


 老人はふと、動きを留めた。そして、なるほど、と

 

「なぜ、顔を隠すんじゃ?」

「答えないといけないか?」

 

 質問に質問で返す。だがそれは、老人を確信へ導いた。

「視えないのに、手際いいのお。魚もよう取ってこれたものじゃ」

 老人の視線の先で、旅人はテキパキと鍋へ具を入れて煮込んでいた。魚もこんがりと焼けて美味そうだ。

「音を聞けば、これくらいできるものだろ――器はそこにあったのでいいか」

 あっさりと旅人は言う。確かに、目明きの者は音や感触のような別の感覚で世界を「視る」とは言うが。だが、目の前の彼はまるで視えている者のように鍋をかき回し、器にスープを盛っている。

 旅人は黙したまま、そのスープを注いだ器を老人の前へ置き、しんとした声を鳴らした。

 

「あんたには、俺が視えてようと視えていまいと、どうでもいいことだろう。――俺に、何を聞きたいんだ?」

 

「お前さん、どうして感情を抑えて話をするんじゃ?今も苛立つのを堪えておるじゃろう」

 

「あんたには、関係のないことだ」

 

「情報料じゃぞ?」

「あんたは俺と話すこと、を対価にしたんだ。俺の情報の開示じゃない」

 その通りである。旅人の言葉に、老人はからからと笑った。旅人はなおも冷静な様子で、静かに問う。

「聞きたいのは、それだけか?」

 老人は「そうじゃのう」と言って、髭を撫でる。その眼は愉快そうに細められてある。老人は愉しんでいた。そしておもむろに口を開き――

 

「お前さん、聖騎士じゃろう?」

 

 と言葉を投げかけた。

 聖騎士。それは、神々と血を分かち、神々に語りかけてその力を手にする「特別な」戦士。

 旅人は一瞬だけ、密かに息を呑んだように思われた。だが、すぐに相変わらずの真顔になる。老人は続ける。

 

「服や包帯で分かりづらいがその鍛え抜かれた肉体。年齢のわりに幼く整った顔立ち。澄みきった冷気のような美しい声。そして何よりも、その傷だらけの手。つい先程ちらりと見えたが、それは切り傷や噛み傷じゃ。水仕事の傷ではない。聖騎士は血を媒介に神々と対話をするからのお。ただ神々の血を引く者やただの傭兵ならば、そんな傷はできまい」

 

 老人は家へ辿り着くまでの間に、肩を貸してもらうという名目で、その体がその華奢な見た目に反してがっしりとしていることに気がついていた。そして今、包帯で輪郭を隠しているが、うっすらと見える鼻の形や顎の形、そして唇の線対称からきっと美麗な顔つくりに違いないと踏んでいた。

 そして旅人の手。手袋を外したのは一瞬だったが、その手には痛々しいほどに傷痕や痣が無数にできていた。

 

「神々へ「呼び掛ける」ためには、心の平静を求められる。ゆえに日頃、平坦な話し方になりがちになる」

 

 と言うと、老人はふたたび旅人の顔を見た。

「準聖騎士という可能性もあるが……お前さん、貴族ではなかろう。貴族がない」

 僻地の方言から、王都の貴族言葉まで、この老人はすべてを聞き、覚えていた。ゆえに、この旅人の言葉が北部の傭兵たちのものだとすぐに心付いていた。

 老人はまた「ふぉっふぉっふぉっ」と笑い、髭をなでつける。

 

「二年前――世を騒がせたのう。十四という若さの、それも元傭兵の少年が十三人しか選ばれない聖騎士のひとりに就任した、と。光り輝く黄金の瞳と髪から付けられた異名は「黄金の聖戦士」。最年少かつ初の庶民出身の聖騎士じゃ。知らん者はおらん」

 

「で――爺さんは俺を突き出すのか?王都に」

 旅人は、包帯をわずかに緩めて、その爛々と燃える黄金の瞳を垣間見せていた。それこそが、黄金の戦士たる証だ。

「いいや。そんなつまらないことはしない。ただ、話をしてみたかっただけじゃ」

 それは本当のことだ。ぜひ、天才少年と話してみたい。それだけ。その聖騎士が何を「しでかした」かなぞどうでもいいこと。些末なこと。

 老人はおのれの膝をバシッと叩くと明るい声で続けた。

 

「さて、こちらの情報を開示しようじゃないか」

 

 老人は旅人――否、聖騎士ケルバンが求める、「海の国から、王都サラスへ向かうのによく使われるルート」を口伝えで知らせた。

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