2・北の谷の戦い・弐

 兵達が空き地に伏せて弓に矢を番える頃には聞こえる物音から、すでに沢山の人間が近くまで来ている事が分かる。

「矢を撃ち終わったら、弓と矢籠しこは置いていけ。」

俺も槍を置き、矢籠を外して膝射の姿勢を取る。

「若様。」

増蔵が声を掛けて来る。

「ん?増蔵か、どうした?」

「撃ち終わったら俺が先陣を切って道を拓きます。若様はその後から続いて下さい。危ないですから俺の横には出ないで下さいよ。」

「しかし!」

「若様、そうなさいませ。」

「そうそう、それが山之井流ってね。」

他の兵が気安い感じでそう勧めて来る。

「わ、分かった…」

不承々々そう答えたその時。

「ホー」

川の向こうから梟の鳴き真似が聞こえる。用意良しの合図だ。

「ホー」

こちらからも合図を返す。本当にギリギリのタイミングだった様だ。


 すぐに目の前をバシャバシャと川の水を掻き分けながら爺を中心とした山之井勢がジリジリと後退して行く。人数は既に十人にも満たない。顔ぶれを見れば落合と上之郷の衆が主の様だ。皆傷を負っている。爺を具足に何本もの矢が刺さり、足を引き摺り左腕は力が入っていない様子だ。

 すぐさま助けに入りたいのを断腸の思いで堪える。今攻めかかっても相手の先頭を混乱させるだけで後続に押し込まれてしまう。なんとか逃げ切ってくれと祈る傍から一人力尽きて敵に飲み込まれる。紅蓮の様に燃え上がる心中とは対象的に思考は冷たく静かに平らかになって行く。


 続々と敵が手に松明を灯して彼等の後を追う様にやって来る。先頭の旗印は板屋の物では無い。という事は横手だろう。

 今後の事を考えれば板屋の連中は当然として奴等にも相応の出血を強いねばなるまい。そう硬く誓ってすっかり敵の波に隠れて見えなくなった味方の姿を見つめる。

 すぐにその後ろから板屋勢も続いて来た。こちらは怪我を負っている者も多く、数も出立の時に比べて大分減っている様に思える。父達が身を挺して退路を切り開いた結果だろう。両勢遭わせて七十人程か。

 人数だけで言えばほぼ同数。こちらは装備も整わず、退いて来た者達は死に体だが虚を突ける分だけ有利に戦えるはずだ。そう自分に言い聞かせて時を待つ。


 漸く先頭が出口の柵に到達したのか、味方の喚声も聞こえ始める。丁度そこへ隊列の一番後ろから悠々と宗貞が馬に乗ってやって来た。正月に三田寺に集まった時に皆に見せびらかしていたなんとか言うやたらと高い馬だ。その脇を二人の身形の良い男が徒で固めている。この三人は絶対に逃す訳にはいかない。逸る気持ちを押さえ込み、最後尾の三人が通り過ぎるのをジッと待つ。


「放てぇ!!」

溜め込んだ思いの丈を籠めて腹の底から叫ぶ。自分でも驚く程の声と共に引き絞った矢を放つ。

 両岸から人数以上を思わせる喚声と共に矢とそれを上回る量の石が敵に殺到する。少し遅れて柵の方の喚声も大きくなる。時を合わせて行賢大叔父が攻勢に転じたのだろう。だが、こちらの矢玉も石もすぐに尽きる。打って出るのが少しでも遅れると体勢を立て直されてしまうだろう。

 矢を半分程射った所で手を止め状況を注視する。同世代の子供達が投げている石は既に数が疎らになり始めている。訳も分からず手当たり次第必死に投げているからだろう。周りの兵の持つ矢の残りも僅かになる所で声を掛ける。

「槍に持ち替えろ。すぐに掛かるぞ。」

敵に悟られぬ程度の声量で、だがはっきりと命じると、流石は戦慣れした兵ばかりとあってすぐさま弓を放り投げて槍を(増蔵は棒を)掴み突撃の命を待つ。


 対岸からの矢も疎らになった。

「掛かれぇ!!」

そう声を張り上げると周りの兵達が増蔵を先頭に先ほどに輪を掛けた喚声を上げて脱兎の如く飛び出して行く。いや、それは兎では無く怒れる熊を先頭にした狼の群れか。

 同時に対岸からの矢も止んだ。命令通り撃つのを止めたのか、それとも矢玉が切れたのか。ともかく、それを確認してから俺も兵達の後に続いて草むらから飛び出す。


 目の前で宗貞の左右を固めて居た男の片方が吹き飛ぶ。体勢の整わない男を横薙ぎに振られた増蔵の棒が強かに打ち据えたのだ。成程、前に出るなと言われる訳だ。

 それを見たもう一人が馬の影から慌てて宗貞を守る様に前へ出て来る。この状況で大した物だとどこか達観した様にそれを見つめる。

 しかし、狭い隘路では前に進んだ味方が戻るのも容易ではない。特に宗貞の馬が道を塞いでいる現状なら尚更だ。すぐさま、兵達に取り囲まれて追い込まれて行く。それを馬上から振り返って確認した宗貞だが、焦ってか思う様に馬首を切り返せない。それとも鎧に何本も刺さった矢がそれを阻んでいるのだろうか。

 どちらにせよこの隙に敵は討たせて貰う。槍を握り直すと、

「板屋宗貞!覚悟!!」

そう叫びながら槍を突き出す。大柄な馬に乗った宗貞の上半身はとても狙えない。狙いを違わず伸びた穂先は草摺の間から宗貞の左腰に突き刺さる。何とも言えない嫌な手応えを感じなら渾身の力で更に押す。

 深く突き刺さった槍を放すと目を見開いたまま宗貞の上体が馬の向こうに倒れて行く。

「若、首だ!」

倒れて行く宗貞をぼんやりと見つめる俺の横を追い越し様に増蔵がそう言う。そうか、首を取らねばならんのか。そう思いながら脇差を抜き放ち馬の向こうへ回り込む。

 左右を固めて居た二人の男は既に倒され、首を斬ろうとしている二人の兵以外は増蔵の後に続いて敵の最後尾に襲い掛かっている。


 落馬した宗貞はそれでもまだ事切れては居らず、自由の利かない腕で地面を掻いて居た。

「悪いな、その首貰うぞ。」

思考だけでなく、先程まで燃え盛っていた心の内すら冷たく感じられて来た俺は左足で宗貞の右手を踏み付けるとその首に刃を当てると、濁った目で何か言い掛ける宗貞にその暇を与えずそれを引いた。

 夏の山狩りや定吉の所で肉を捌くのを手伝っておいて良かったな。そんな益体も無い事を考えながら首を取る。

「板屋宗貞討ち取ったぞ!!」

そう声を上げると先へ行った兵達も口々に「板屋宗貞討ち取ったぞ!!」。そう叫びながら突き進んで行く。

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