愛より覚悟ではじめよう

古都瀬しゅう

第1話 中学教師の、ある誕生日

 無理ゲーとわかっているのに、やってみる人間の気が知れない。ましてや親に強要されてでは、最後に無力感が残るばかりではないか。


 『面談終了を勧告します。文科省AIが生成した要旨を教育委員会に自動送信します。お疲れさまでした』


 区立中学校の殺風景な面談室に自動音声が流れ、となりあう僕と校長は安堵の息遣いを送りあった。目の前には不満顔の母親。彼女からのクレームを規定の15分間、拝聴しおわったところである。

「南部先生、くれぐれも、うちの子の才能を潰さないでくださいね」

 最後の念押しに僕は頭を下げ、二十代の外見にそぐわぬ威厳の母親を見送った。実際、彼女は四十歳。僕より年上だ。彼女の息子に自分の好きな道を進むのが一番、とアドバイスしたのがクレームの原因である。彼にはその気がないのに、母親は音楽家に挑戦してほしいのだという。長い人生、才能を試さずにどうするのです、と。


「いくら人生が長くても、子供の時間を親が消費するのは、どうなんですかねえ」

「経験が豊かすぎる親の過干渉には、文科省内で一貫した対策を検討中よ。とにかく私たちは生徒を一番に考え、親の問題は教保きょうほに任せましょう」

 つぶやいた僕に、校長の原田木蓮はらだもくれん女史が淡々と言った。

 僕は中学の理科教師、南部恭也なんぶきょうや。今日、三十五歳になった。クレームは誕生日も見逃してはくれないが、僕が生まれた2000年代前半はAI監視も時間制限も無かったから教師はもっと大変だったらしい。今年は2059年。三学期が始まったばかりである。

 それに小中高の親対応は学校現場から切り離されている。クレームは「聞く」だけで、あとはAI経由で教育委員会保護者対応特命係、通称、教保きょうほが対処する。いっそAIロボットに聞かせろよと思うが、実際に教師と校長が「聞く」と、親の不満が数十パーセント減少するのだそうだ。


 職員室に帰ろうとする僕を原田校長がじっと見て、なにか言いにくそうにするから、心臓がとびはねた。もうすぐ学年末。もしや人事異動だろうか。

「南部先生、今日、お誕生日でしょう?もし他にお約束が無ければ、ご馳走させてくれない?」

「えっ!もちろん約束なんて無いけど、いいんですか!?」

「まわりがどんどん不老治療を受けて、お酒を飲める友達が減っていくの。南部先生、まだでしょう?飲めるわよね?」

「まさか原田校長もまだだったなんて…てっきり…」

「実は五十近いと思ってた?」

「いや、その…うー」

 はっきり年齢を考えたことは無かった。ただ見た目より「偉そうにしようと頑張っているな」と思っていた。

「私、三十四。今日から二ヶ月は先生より年下だから」

 原田校長は意を決したように、自分の年齢を暴露した。二ヶ月後に誕生日ということは、同じ学年じゃないか。


 十四年前、日本で「老化治療」と称する、老化細胞を除去し生成も止める遺伝子治療が確立され、二十歳以上、三十五歳以下ならいつでも無料で受けられるようになった。治療により老化が止まり、老化に関わる病が予防できる。目的は人口減少の補完である。結果として二十代に見える四十歳とか、三十代に見える五十歳とかが跋扈している。女性は二十歳前後での卵子の凍結保存が無料化と共に推奨され、不老治療とのセットでいつでも出産が望めるようになり、少子化対策として成果をあげている。


 ただし老化を止める弊害は癌にかかると進行が速いことだ。癌につながる飲酒、喫煙、ストレスなどの排除は不老治療完了者の義務である。てっきり<完了者>だと思っていた原田校長と酒を酌み交わすことができるなんて、思ってもいなかった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る