第32話 お見舞い 薄木さんの場合
陽川さんがバイトに向かったしばらく後、入れ替わるように月宮さんが戻ってきて、夜が来るまで看病してくれた。
夕食にはおかゆを作ってくれた。
生姜と溶かし卵を入れたものだ。
「はい。相地くん、あーん」
スプーンで掬ったおかゆを差し出してくる。
「作ってくれたことには本当に感謝してる」
と俺は前置きをしてから言う。
「でも食べるのは一人で食べられるんだけど」
「体調悪いのに無理しちゃダメ。また熱が上がっちゃうよ?」
「おかゆを自分で食べることがムリの範疇に入るのなら、もう息をすることも無理の範疇に入ってくるのでは……」
「あ、確かにそうかも」
分かってくれたか。
「じゃあ、呼吸も全部私経由でしよっか」
はい!?
「つかぬ事を聞くけど、どうやって?」
「私の口と相地くんの口を繋げて、人工呼吸の要領で。私が吸った酸素を、相地くんの中に絶え間なく送り続けるの」
とんでもないこと言い始めた!
呼吸を月宮さん経由で行うってことはつまり、ずっとキスした状態ってことだ。
「いや、さすがに息くらいは自分でできるから!」
「ってことは、おかゆを食べるのはしんどいってことだよね」
にっこりと微笑みながら言う月宮さん。
しまった。
極端な案を出すことによって、俺に元々の案――おかゆを食べさせてあげるというのを自然に呑み込まされてしまった。
実に高等な話術。
とてもじゃないけど敵わない。
「ふふ。相地くんがもう少し弱ってたら、息をするのもおかゆを食べさせるのも水を飲むのも全部私がやってあげたのに」
一刻も早く回復しようと思った。
ちなみにおかゆはとても美味しかった。
溶き卵が口触りをなめらかにし、生姜が身体をぽかぽかと温めてくれる。
俺が差し出されたおかゆを美味しそうに食べるのを長めながら、月宮さんはうっとりとした恍惚の表情を浮かべていた。
その後、夜になると容態が安定した俺を見て、月宮さんは帰宅した。
「何かあったらすぐに連絡してね。飛んでくるから」
そう言い残しながら。
たぶん、連絡したら本当に飛んできてくれるのだろう。
バイト終わりの陽川さんからもメッセが来ていた。
『体調だいじょうぶそう?』
俺が『平気。ありがとう』と打つと、すぐに既読がついた。
『よかった! ゆっくり休んでね!』
そしてデフォルメされたかわいいペンギンがお大事に、と言っているルインのスタンプが送られてきた。
普段なら通話をしている時間だったが、俺の体調を考慮してくれているのだろう、今日は掛かってこなかった。
束縛癖はあるものの、陽川さんは基本的に気遣いができる良い人だ。
そのことを思い出させてくれた。
寝汗を掻いて気持ち悪かったので、俺はベッドから起き上がりシャワーを浴びる。 身体はさっぱりしたものの、後にまた熱が上がった。
日中は大人しくしていたのが、猛威を振るってくる。
熱が上がってくると、周りに誰もいない孤独感に囚われる。
辛い、しんどい。この状態で一人でいるのは心細い。
思わずスマホに手を伸ばそうとする。
月宮さんに連絡をすれば、きっと駆けつけてくれる。傍で看病してくれる。日中みたいに手を握っていてくれるかもしれない。
それだけで心細さはなくなる。
――いやいやダメだ! そうすればもう取り返しがつかなくなる! 月宮さんという沼に全身が浸かって抜けられなくなる!
俺は寸前のところで抑え、連絡をするのを取りやめた。
危ないところだった。
もう少しで人生を踏み外すところだった。
その後、時間が経つにつれてどんどんと熱は上がっていく。
たぶん、端から見ていても辛そうなのが伝わったのだろう。
クローゼットがゆっくりと開くと、そこから制服を着た黒髪の女子が影のように物音を立てずに静かに這い出てきた。
――薄木さん、今日もいたのか。
もはやクローゼットの中に潜んでいる程度では驚かなくなっていた。いつの間にか耐性がついている自分にびっくりする。
薄木さんは廊下の方に歩いていった。
――帰るのか? それともトイレにでも行くのか?
そのどちらでもなかった。
水の流れる音が聞こえた後、部屋に戻ってきた薄木さんは、俺の寝ているベッドの近くにいそいそと近づいてきた。
――な、何をするつもりだ……?
気づいてないふりをして薄目で様子を窺いながら身構えていると、薄木さんはぬうっと両手を伸ばしてきた。
次の瞬間。
冷たい感触が額を覆った。
――これは……タオルか?
どうやら俺の容態が悪化しているらしいと察知した薄木さんは、濡らしたタオルを俺の額に置いてくれたらしい。
心遣いはありたがい。
ありがたい――が、一つだけ難点が。
それはタオルが全然絞られてないことだ。
額の上に置かれたタオルはびちゃびちゃで、顔中に水が垂れまくっていた。
たぶん、絞りはしたのだろう。でも絞りきれていない。
薄木さん、あまりにも握力が弱すぎる……!
あと、誰もいないはずの部屋でいきなり俺の額に濡れタオルを置いたら、存在がバレるとは危惧しなかったのだろうか?
元から俺は気づいていて気づかないフリをしているからいいものの、もうちょっと慎重になった方がいいんじゃないのか?
濡れタオルを俺の額に置いた後、薄木さんはベッドの傍に置かれていた椅子に腰掛けると何やら本を開き始めた。
そしてぶつぶつと内容を読み始める。
もしかして、読み聞かせをしてくれてるのか?
でもなんで今?
子どもを寝かしつける時に絵本の読み聞かせをするみたいな発想か?
落ち着いた声色で本を朗読することで俺をリラックスさせて、快適な睡眠に誘おうとしてくれているのだろうか。
それ自体はありがたい。
――のだが。
「……巨大な老婆の振るった石斧は、男の脳髄に突き刺さった。飛び散った脳漿が部屋の壁にびっちりとこびり付いて……」
グロいホラー小説を読むのは止めて欲しい。
ホラー自体は好きだし、普段なら楽しんで読むけど、睡眠導入時には適さない。もっとほっこりする話にして欲しい。
けれど。
薄木さんが俺のために頑張ってくれてるのは伝わってくる。
自分の存在がバレて、騒ぎになるリスクを冒してでも、苦しんでいる俺の助けになろうとしてくれている。それは悪い気はしない。
不器用さが空回りしている様は、一周回って微笑ましく思えてくる。
その後、俺は眠りの中に誘われていった。
いつも見る悪夢は見なかった。
代わりに薄木さんが朗読していたホラー小説の影響でグロい夢を見た。
甲乙つけがたい悪夢ではあった。
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