第26話 召しませ熊肉
「ん~~~……っ♡」
片方のほっぺたを抑えて、イヅノはしばし身もだえる。
彼女と初めて出会ったときに、たまたま熊がいたと思うんだけど、あの肉をようやく召し上がってもらったんだ。
すげえな、ハートマークが浮いていそうな可愛い顔をしているぞ。こいつの味覚と胃袋はどうなっているんだ。などと呻いてしまう理由がある。
熊肉ってものすごく個性的なのよ。
大人の熊だったし、いくら適切に処理したとしても獣特有の臭みが多少はある。
うまく言えないんだけどさ、肉と脂が「強い」っていう感じかな。だから慣れない人にとっては、食べれば食べるほど辛くなってゆくらしい。俺もそう。途中でオエッてなる。
自分で獲ったやつだからいいけどさ、これがお高いお店だったらと考えてみろ。最悪だぞ。金を払った以上は嫌でも食べるしかないし、胃のなかから「ガオー!」と熊が叫んでいるような感じになるんだ。
そういう主張が強い肉だから、湯通しする、味噌仕立てにする、汁気たっぷりにする、などといった胸やけしないための手間と工夫をしているわけだ。
しかしイヅノにとってはたまらない味わいだったらしく、もうひとくち齧ってからいやんいやんと身もだえていた。
「おー、美味いか」
「美味いなんてものじゃありません! これぞ自然界の生み出した最高のごちそうです! 食べたその瞬間、身体から活力がみなぎるかのようです!」
ガオーと吠えだしそうな様子に「すげえ」と俺は呻く。オーク族の胃袋ってどうなってんだ。
国によっては犬にさえ食わせないくらいの代物なんだけど、俺もそんなに嫌いな味じゃないし、命を奪ったぶん腹に収めてやるべきだと思っているよ。自然の摂理としてな。
しかし彼女は自然のことなどまったく考えていないような明るい笑みを浮かべた。
「それと白米! この組み合わせは実にたまりませんね! こんなの無限にぱくぱくいけちゃいます! お替わりしていいですか! はい、お願いします!」
うん、イヅノちゃん、もうちょっと遠慮しよっか。お客さんもとい俺のお嫁さんだからつべこべ言わないけど、うちの食料がとんでもない速さで消えていくよ?
まあ、山で獲れた肉を業者に卸さなければ済むのかな。でもそのぶんの収入がなぁ、と悩んでいたとき、ピロンピロンとテレビが鳴る。どうやら震災のときなどに鳴る音だったらしい。俺たちは揃って顔をくるりと向けた。
『未確認の魔物が、県の防衛施設を破壊して群馬方面に北上中。住民は避難指示に従ってください。警戒レベルは12です』
おー、緊急速報だ。
大雨などで設定される警戒レベルというのは、基本的に5が最大値だ。しかし昨今ではこうして魔物が出てくることもあるため、それ以上のレベル表記が必要になった。
「ちなみにレベル12というのは、人を好んで食べる魔物が出たという意味だ。ある種の隠語みたいなもんだな」
「あら、物騒ですね。熊肉のほうがずっと美味しいでしょうに」
もぐもぐ食べながら話すのはやめようか、イヅノちゃん。
幾たびかアナウンスを繰り返したあと、画面の横にそいつの移動予測エリアが表示された。
最近の報道機関は撮影技術を上げていてさ、超望遠レンズでかなり先のものを映像にしてくれるんだ。
もちろんそれは駆除対応のみならず避難誘導にも役立てられており、この時代を生き抜くためには必須といえる。必要があればアメリカなど諸外国の技術を買う場合もあるらしい。
ザザ、ザザ、と映像が乱れたあと、望遠らしい歪みの多いものが映される。詳しくは分からないが、無数の大蛇のようなものが山の尾根を登ってゆく。
そして一体ではない。真っ黒くて鱗に包まれたものが次々に現れて、山の木々を粉砕しつつ進んでいるのだから、正直なところいま見ているドラマよりも気になってしょうがなかった。
味噌で味つけした熊肉を互いに噛むことしばし。グイとビールジョッキを煽ってからイヅノは話しかけてきた。
「私たちの家ってどのあたりなのです? 見るからに危険なあの魔物が来なければ別に構いませんが」
「あー、若干だけど進路が逸れてるかなぁ。うちはこのへん」
トントンとテレビを指でつつくと「へえ」と気のない返事が隣からした。咀嚼らしき音を響かせてから、がたんっと唐突にイヅノは立ち上がる。
「かなり近いじゃないですか!」
「安心しろ、爺さんの山に入るまで手は出さねえよ」
「ま、まさか、あれが来たら戦うのですか!?」
うん、戦うよ。
だって爺さんの山だもん。
口うるさい爺さんだったけどさ、遺言ってのはできるだけ守ってやりたいなと俺は思う。手足が枯れ木のように細くなった爺さんから「山を守って欲しい」と言われてしまい、税金の支払いが面倒くさいだなんだとぶつぶつ文句を言いつつも意思を継ぐことにした。とっくに皆は避難しているっていうのにね。
うーんとしばし迷ったあと、俺は箸を置いた。
「一応と準備を済ませておくか。イヅノ、そいつを食い終わったらついてきてくれ」
「ふぁいっ、いまはへおはひまひは!(※訳:はい、いま食べ終わりました!)」
……あー、うん。
ゆっくり噛まないと身体に良くないよ?
がらっと外に出ると、冬らしいからからに乾いた夜風が吹く。空に浮かんだ月は明るく輝いており、外はもう風の音しかしなかった。
とても人里とは思えないよな。街灯や民家の明かりなんてないし、あの月が雲に隠れたら本当に真っ暗になるんだ。こんな場所に住むようなやつは、人の温もりというものをいつか忘れてしまうかもしれない。
などと考えていたときに、口をもぐもぐさせるイヅノが近づいてくる。そして当たり前のように腕を絡めてきて、目が合った俺に「なにか?」と言いたげに小首を傾げてきた。
まあね、彼女のおかげで人の温もりを忘れずに済んだのは良かったかな。
イヅノと連れ添いながらしばらく歩く。軒先から納屋にたどり着くと、入り口にあった電気をパチンと点ける。
ここは俺が生まれるずっと前から使われているが。道具を置いたり車を停めたりするだけでなく、金が余っているときに俺は少しだけ改良した。
地面にあった戸を引っ張ると、男の子の大好きそうな地下施設が待っている。
取りつけてある折り畳みの梯子を降りると、床はブ厚いコンクリートで敷き詰められていた。
「……ここは?」
遅れて降りてきたイヅノにとっては初めて見る景色だ。
単なる農家として考えられない規模の地下施設に見えただろうな。貯蔵しているのは食糧、水、避難道具、発電機、そして……。
からんと音を立てて手にしたのは、武骨な鉈だった。
続けて役所に電話するや「発砲許可の申請が通らないとマズいんですよねー、この辺りが地図から消えちゃうんで」と脅しつつ、必要そうな道具を棚から引っぱり出す。
てきぱきとした俺の準備が気になったのだろう。ピッと電話を切ったときに、イヅノがおそるおそる問いかけてきた。
「あの、どんな相手か分かるのですか?」
うん、まあ、多少はね。ごそごそとリュックを取り出しつつ、俺はゆっくりと口を開いた。
「この世界で魔物が現れたとき、真っ先に絶滅したのはドラゴンだった」
ドラゴンは巨体であり、怪力であり、とんでもない熱量のブレスを吐く。他であれば王座に君臨したであろうそいつらは、近代兵器のいい的でしかなかった。
とにかくでかくて目立つし、飛翔速度も近代兵器に比べたら大したことないし、おまけに人類はというと向こうから絶対に届かない場所から攻撃できる。
あまりにも危険だったせいで軍隊は本腰を入れてしまい、すべてのドラゴンが駆逐されるまでに数日しかかからなかった。圧倒し過ぎたせいで、その野蛮な行為を非難する人まで今度は出てきてしまう始末だ。
「しかし、のさばり続ける魔物も数多い。そいつらが優れていたのは攻撃力じゃない。現代の技術でも追跡不可能なほど数が多かったり、小回りがきいたり、そしてさっきのテレビで見たような悪路でもへっちゃらなやつだったりする」
恐らくあいつは地下に生息するタイプだったんじゃないか? あれだけの巨体を軍が見逃すわけないし、県境にある防衛施設を破壊したときにようやく発見されたんだ。
「だから見た目ほど恐ろしい相手ではないと俺は思う。わざわざこんな田舎に向かっているのは、ただ単に食料を求めていたんじゃないかな」
ビッと補強テープを破りつつそう答えた。まだ半分くらいしか納得していない様子のイヅノだったが、それは正解だ。いまの言葉の半分くらいは嘘なんだよね。
常識的に考えればすぐに分かるだろうが、あれは間違っても一介の猟師ごときがどうこうできるような相手じゃない。大口径の機関銃くらいは最低でも欲しいところであり、熊だって泣いて逃げ出すような相手だよ。たぶんね。
狩りの基本は「備え」だ。討伐できる手段を事前に用意しておくことが最も重要だと言われている。しかし、あれを倒す準備などまったく整っていないのだから、俺は猟師失格なんじゃないかな。
役所からの返事を待つあいだ、ノートパソコンで魔物の正体をAIに探らせたり、スラグ弾の準備をしたりと忙しい。これから酷使するであろう上下二連装式のライフルも引っぱり出さないとな。
どうあっても逃げる気はないと悟ったのだろう。イヅノはため息をひとつ吐いたあと、親父さんにこしらえてもらった武器と防具を用意し始めていた。
むーっ、むーっ、むーっ。
振動したスマホを、素早く手に取る。
「はい、
ピッとスマホの電源を切る。
これで発砲許可が降りてくれたし、役所の人から教えられるまでもなく俺のノートパソコンには進行方向をグイッと大きく変える魔物の様子が映し出されていた。
まるで超大型台風が接近したみたいだなと思いつつ、この山の「匂い」につられて来たのだからやはり台風とは違うなと思い直す。
だいたいにおいて嫌な予感ってのは当たるもんだよ。
事態はほぼほぼ俺の考えうる最も最悪な方向に進んでいるが、うまくいけば大金ゲット、悪いことになれば辺り一帯が地図から消えるというオールオアナッシングそのものだ。
あ、イヅノは親父さんたちの避難誘導に充てさせるか。代わりに舞鶴さんの援護があれば……と考えていたときに、ゴスンッとコンクリートが鳴る。
振り向いた先には完全武装したイヅノの姿があった。その手にする長柄の斧で地面を叩いたらしい。
「いきましょう、あなた」
ふんと鼻を鳴らしたあとにイヅノはそう言い、長い脚でさっさと階段を上り始めていた。
まあ、俺の言うことを聞くわけがないか。だって猪突猛進なオーク族だもんね。そう半ば諦めつつ、俺はイヅノの後を追うことにした。
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