問剣会

 街外れに突然現れる巨大な白壁。役所にも思える壮大さだが、この建物は朝廷の持ち物にはなり得なかった。そのただ中でどっしりと口を閉ざす門こそが、蘇口一の大富豪、鄧令伯の邸宅の入り口なのだ。

 この日はその門が開け放たれ、方々から集った客人を次々と中に収めていた。若者、老人、豪奢な者、貧相な者、小柄な者、大柄な者、粗野で荒々しい者から美しく洗練された者まで、一見共通点のない人々が続々と吸い込まれていくさまは不可思議でもある——しかし、この日屋敷を訪うであろう人々については蘇口の全員が知っていた。

 なぜならば、中原じゅうを騒がせる問剣会が今日から始まるのだ。となれば、今日鄧令伯の屋敷に向かって歩く者は全員江湖の剣客だ。


「聞いていた以上の賑わいだな」


 常秋水の押す車椅子の中で知廃生が扇子を揺らす。昨晩になって、剣を使える者以外は屋敷に立ち入れないことになったと鄧令伯の従者が触れ回ったために、武功ができない如竹が一行から外れることになったのだ。五招妙手の二つ名に免じて如竹も入れるのではないかと飛雕が言ったものの、不必要に危険を冒すこともないと知廃生が言ったために、如竹は皆の留守を守ることになった。


「しかし、鄧令伯も直前になって条件を増やすとはね。瑞州を丸二つ養えるほどの富を蓄えているというのに、らしくない話だ」


「大方怖気付いたのだろう。所詮は見栄ばかりの小物だ」


「そう言ってやるな。まあ、あまり集まりすぎて収拾がつかなくなっても困るというのが実際のところだろうが」


 知廃生は扇子をもてあそびながら言った。


「でも、あんたって掌法の使い手だろ? 門前払いされたらどうするんだよ」


 ふと、飛雕が知廃生に尋ねた。九珠も同じことが引っかかっていた——だが、そう言う飛雕にも刀剣の心得はないはずだ。短剣を使っているのは一度見ているが、弓矢が使えない場所で戦う際の補助的な武器といった様子で剣そのものを使える雰囲気ではなかった。

 どう答えるのかと見ていると、知廃生は涼しい顔で「まあ、見ていたまえ」と言った。


「そんなことより君はどうなんだい? 君も弓の使い手のはずだが」


 悪戯っぽく目を輝かせ、意趣返しのように聞いた知廃生に、飛雕は目線を逸らしてぼそぼそと答えた。


「……まあ、見てろって」



 家々がまばらに並ぶ路地がぱっと開け、四人の前に荘厳な門が現れる。その前の道ではいかにもな装いの男女が数人、代わる代わる剣を振るっていた。その様子を門のところからじっと見ているのは使用人らしき装いの男二人——そしてその奥に黒髪を高く結った堂々たる偉丈夫が一人、煌々と輝く目で剣の実演を見守っている。

 九珠たちは誰ともなく足を止めた。一人はすでに演技を終えていたが、ちょうど他の面々が套路を演じるところを見ることができた。

 一人が緻密な技を繰り出せば、次の一人は羽のように軽く鋭い身のこなしを披露して、最後の一人は豪快で力強い動きを見せつける。それぞれがひととおり演じ終えると、最後の者が使用人の一人に剣を返して一礼した。


「……最後の男」


 ふと、九珠はあることに気が付いた。ぽつりと漏らした声に常秋水が気付き、言ってみろと促す。


「あれは刀客です。剣を扱う動きではありませんでした」


 九珠は常秋水を見上げて言った。常秋水は無言のまま頷き、目線を眼前の集団に戻した。


「簫殿の言うとおりだ。一人目は分からないが、私たちが見た中では彼だけが違う動きをしていたな」


 知廃生が面白そうに言い、扇子をぱたんと閉じる。


「おそらく一番奥にいるのが鄧令伯だ。武術好きではあるが武術家ではない。土壇場で剣客以外の参加を禁じた以上、自分でも参加者を見定めているのだろうが……さて、どうなるか」


 九珠は固唾を飲んで目の前の一団を見た。剣と刀は体の動かし方や相手の捉え方が全く違うのだが、代表的な武器であるがゆえに同等に扱われることが多い。鄧令伯かもしれないという奥の男にその知見がなければ、当然見分けがつかないだろうが——


「皆様、実に見事な立ち回りでしたな」


 ついに奥の偉丈夫が口を開いた。皆が緊張の面持ちで見ている中、男は「だが」と言って最後に剣を振るった男を指さした。


「そこの先生だけは、剣を扱う御仁ではないとお見受けする。実は昨日、当初の予定より変更して問剣会には剣客のみ参加できるという規則にしたのだが、もしや周知が足りませんでしたかな」


 丁寧な、しかし氷の張った冬の川のように冷たい声で男は言った。皆が息を飲み、視線が集中する中、指された男は顔を真っ赤にしてわなないている。


「せっかくご足労いただたというのに誠に申し訳ないが、規則は規則ゆえ。また私が問会を開いた暁には、是非ともその技を披露してくだされ」


 無慈悲なまでの拒絶に、男は舌打ちとともに悪態を残して去っていった。


「このクソ商人が、こっちから願い下げだぜ! ちょっと剣と刀の区別がつくからって調子に乗りやがって!」


 肩を怒らせて去っていく男を、九珠は唖然と見送った。知廃生と常秋水はこうなることを予想していたかのように平然としている。


「……いやはや、お見苦しいところを見せてしまいましたな。失礼いたした」


 片や偉丈夫は柔らかい苦笑を浮かべ、残った面々を通すよう脇の使用人に合図する。


「此度はよくぞ、この鄧令伯とうれいはくめの問剣会に起こしくださいました。さ、どうぞ中へお進みください」


 九珠はハッと息を飲んだ――やはりこの男が鄧令伯だったのだ!


「成る程。見分けがつくときたか」


 知廃生が愉しげな声音で呟く。その後ろの常秋水は、フンと鼻を鳴らすだけで何も答えない。


「では我々も行くとしようではないか。あの成金の目を欺いてやろう」


 知廃生は飛雕と場所を変わるよう常秋水に合図した。その目は見たことがないほど不敵な輝きを放っている。


「……この弟にしてこの兄ありってかんじだな」


 常秋水に代わって車椅子を押しながら、飛雕がぼそりと呟く。九珠は全く同感だと頷いた。顔立ちもあまり似ていない二人だが、今の知廃生の目付きは敵を前にした常秋水とそっくりだ。それも己が対峙するに値すると感じた敵――ちょうど初対面の九珠に勝負を仕掛けてきた常秋水と。


「ところで飛雕、お前本当に大丈夫なのか? あの様子ではその場しのぎの剣は通用しないぞ」


 九珠が尋ねると、飛雕はあまり嬉しくなさそうな顔で「大丈夫だ」と答える。


「まあ見てろって。俺は剣で刀の動きするような馬鹿じゃねえからさ」


 自信はあったが、やはり弓矢のことを自慢するときとは打って変わって固い声だ。

 だが、それをじっくり疑っている時間もなかった。話しているうちにも四人は、鄧令伯の前まで到着していたのだ。

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