第18話 猫

世界が壊れるかどうか、終わるかどうかなんて言うことは、正直菱津にとっては割とどうでもいいことだった。そもそも、スケールが大きすぎることも一つ、何より、どうせいつか消えるじゃないか、という思いもないではない。しかも今回は砂糖菓子は望めないと来ていた。


(でも、約束は約束だしね。長生きさせてあげたい気もするし。)


歌詞に紛れて滑り込ませたあの世界の欠片を握りつついちご飴を口に放り込んだ。鼻に抜ける、少しチープなイチゴの匂いを堪能しつつ、溶けてきた頃合いに噛み砕くと、心地よい食感と共に、イチゴミルクの味が広がった。其の飴が一番お気に入りである。


日が傾き始め、闇が深くなってくる頃合いに隣を歩き始める白蛇君に、二、三個手持ちのものを渡しつつ、そっと手を握ってみる。


「君って、体温ないよね。」

「まあな。・・・それより、さっさと歩いたほうがいいぞ。」


ちょっと嬉しそうにいちご飴を口に含んだ白蛇は機嫌は良さげだったが、少々困った顔をしていて、菱津もそれはそうかと頷いた。


 それからさっさと歩いても、結局ついたのは深夜になってからで、ブロック塀をよじ登って中を確認した菱津は、重いため息をついた。


「やっぱり昼間は絶対侵入不可能だね、この屋敷。典型的な広さのある平屋の日本家屋だ。白蛇君、前回は裏口から入ったけど・・・」

「玄関以外をお勧めする。」

「僕のことどれだけ馬鹿にしてるの・・・まあいいや。頑張るか。」


そのまま、ブロック塀を砕かないように気をつけながらよじ登り、そのままひらりと乗り越えた。そんな仕事も慣れているために、着地した時足音を立てることもない。

菱津はまず手近にあった松の影に身を隠し、家の方を見やる。

(よし、電気は消えているらしい。・・・っていうか、なかなかの屋敷じゃないか?)

松はいいとしても、広い敷地には池が作られ、そこには朱色らしき橋がかかっており、一望するのも大変な広さのある庭はさることながら、屋敷はさらに大きいと思われる。


 しかし、くだんの教師は噂によると一族郎党皆教師だという。本当だろうか。


 足を踏み出そうとしたちょうどその時、近くの茂みが動いてサッと身を隠すと、暗闇の中で光る目が何事かと様子を伺っていた。


「・・・なんだ、猫か。」


茂みから出てきた黒猫はしばらくその場をうろついた後、屋敷の方へと戻っていく。


「なかなか堂々とした猫だねえ。・・・先生、猫好きなのかな。」


とにかく、前に来た時は入り口で捕まってしまったため、今回は慎重に、と様子を伺い、ため息をついた。


「何?この昔のみたいな広い庭園は!人目につきやすいじゃん・・・」


今菱津がいる場所から屋敷までの距離はおよそ五十メートルほどだろうと踏んだが、其の間身を隠せる場所がない上、戸が開いているとも限らない。大きな音を立てるのも御法度だ。

(ま、なんとかなるか。)

自分の足の速さには自信があった。体力テストでは五十メートルで全国トップを捻り出したこともある。短いが長い時間、しかし10秒以内ならば、夜の闇も手伝って、すぐに捕まってしまうこともないだろう。


菱津は、猫が屋敷へ向かい、軽く身を立てて障子を開けて入って行くのを確認し、狙いを定めた。同じばよからならば、まず間違いなく侵入できると踏みつつ、その場所までのアクセスはかなり悪い。そのまま直進すればガラスを使用した雪見窓に激突することになるし、そこから壁伝いに歩くには、玉砂利が敷かれているせいで足音が気になった。それならば、草木は生えていても、できるだけ足音が鳴らないルートで・・・


(考えるのも面倒だな。とにかく、あそこまで行ければ入れるよね。)


身をかがめ、一散に走った。躓きそうになる小石の類もモノともせず、吹き抜ける風のように目的の場所に着くと、息をひそめ、中の様子に耳をそばだてる。

(うん、誰も近づいてきていない。この部屋に誰かいても、眠っているよね。)


靴は脱ぎ、音を立てないよう手早く障子を開けて身を滑り込ませ、中の様子は見ずに壁に背をつけ、そろそろと足を運ぶ。思わぬものがあったり、本当に人が寝ていた場合、パニックになりやすいことを、よく心得ているためである。


そのまま無事部屋を出て、天井を見ると梁がむき出しになっており、もしもの時は上に逃げてもいいかと心算をしておく。

(嫌だな。なんか、もう少し先みたいだ。)

できるだけ部屋を突っ切るのではなく廊下を歩くようにし、そしてまたその広さにまた感嘆する。


そうして、白蛇が把握していた部屋まで来ると、一度深呼吸をした。ここまで来て、しくじるわけにはいかない。気配を探れば、周囲のものは一つ。ただ、二、三部屋先のことで、問題ないだろうと踏む。

(まあ、ここまで来ればバレたとしても、なんとか任務遂行できそうか。)

菱津はごく普通の襖を最新の注意を払って開け放ち、閉めることはせずに迷わず押入れの前まで進んだ。


「ニャア!!」

「っ・・・君か」


思い切り飛びかかり、引っ掻いてきたのをなんとか引き剥がそうかと悩んでいたとき、気配が二つになった。


「あー・・・こんばんは先生、ご機嫌よう?」

「何をしている。」


困ったな、と笑っていると、猫が持ち上げられ、抱えられた。その腕の中から、気持ち良さげに腕に頭を擦り付けている、可愛らしい顔が見えた。

「猫、好きなんだ。」

「・・・おい、こんなところまで入り込んで何を。」

「色々。」

と、脇差を抜いてその場に置き、そちらに気を取られている間に即座に押し入れを開け放って中を見た。猫の鳴く、狂ったような声が聞こえてくる。


「・・・何でネズミの死骸と一緒にあるのかはわかんないけど、とりあえず、回収完了。」


振り向くと、先ほどまで騒いでいた黒猫が、じっとこちらを見つめていた。物言いたげに、金色の目が恨みを込めて睨みつけており、大きな体で微動だにせず座っていたが、説教しそうだった教師の姿が、どこにも見当たらない。


「どういうこと?」

「ニャァ」

一声鳴いた猫は、ついてこいと言いたげに先を行き、そうしてからこちらを振り向いた。

「君は先生の・・・」


廊下を歩く黒猫についていくうちに、異臭が漂い出した。その臭いは嫌というほど嗅ぎ慣れたもので、菱津は思わずため息をついた。

「ニャーオ」

猫が立ち止まり、こちらを振り返るので、菱津はその襖の前に立ち、そっと手を添えた。


「・・・これは。」


ネクタイをした年若い男、それからもう一人は、もう少し身なりのいい壮年らしい。

「にゃあ。」

「・・・君の記憶を、見てもいいかい?」


目を閉じ、額を合わせると、痛みの記憶が蘇る。壮年の男に蹴られ、食事を抜かれた記憶だ。・・・そこに、教師は来た。

「なぜ?」

それは、わからなかった。ただ教師は、心配そうに自分を見た後、壮年の男に殴りかかったが、男は鈍器を片手に殴りつけてきて、最後は揉み合いになって、相打ちで死んだらしい。


「・・・君は、どうして。」

「にゃあ。」

「・・・そう、助けてくれたから。・・・拾って、育ててくれたんだね。」


だから、命をつなぐ力を欲した。短い時間であれ、慈しんでくれた人を、同じように、もしくはそれよりも深く、愛していたのかもしれない。


「ごめんね・・・ごめん。だから、もう2度と、君を虐げず、置いていくこともない人のところへ、連れていってあげる。」


猫はまた、しばらく遺体を見つめた後、目を閉じた。

「にゃあ。」

その声は、少し弱々しく聞こえた。



それから、数日。


「猫ちゃんの様子は?」

「何も食わん。水しか飲まんわ。・・・全く、吸血鬼でもあるまいに。」

そう言いながら心配そうな吸血鬼に、肩を落とした。

「・・・よし、今回の報酬を決めた。ちょっとさ、猫ちゃん借りていけるかな。」

「何をする気か知らんが、衰弱しておるから、気をつけてな。」

「もちろん。」


慎重に、小さい体をタオルで包み受け取ると、すぐに異界へ向かった。

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