001:死にぞこないの猟犬

 暗い。何処までも続く――暗闇だ。


 俺は闇の先をジッと見つめる。

 そこには何も無いのに、俺はただ見続けた。


 冷たい。ただひたすらに寒かった。


 体の感覚はまるで無く。

 立っているのか寝ているのかも分からない状態だ。

 俺は訳の分からない現象に戸惑いを覚えながら。

 必死になって周りに目を向けようとした。

 

 此処は何処か。

 俺は一体、何をしていたのか……?

 

 思い出そうとする。しかし、何も思い出せない。

 視線は暗闇の先へと戻されて、俺は寒さしか感じない体に恐怖を抱いた。

 早く出たい、早く此処から立ち去りたいのに……何だ?

 

 何も無い空間に音が響く――これは知っている。

 

 ざわざわと聞こえるそれは最初は小さく。

 段々と大きくなっていく音と共に。

 見つめていた先に光が現れ始める。


 まるで、塞がれていた天井に穴が空いたように。

 漏れ出した光が暗闇の中を照らしていって。

 俺の体はゆっくりと光の中へと吸い込まれていく。

 俺は抗う事もせずに、そのまま光の先へと――――…………



 

「……」


 重い瞼を開けていく。

 眩しい光が視界を覆いつくして。

 ゆっくりと目を慣らしながら、俺は頭を左右に振る。


 段々と視界が慣れてきて。

 周りの景色が見えるようになってきた。


 簡易的に張られたテント。

 所々に穴が空いていて、シミで茶色く変色しているそれ。

 幾つかベッドが置かれている此処は前線から離れた後方陣地だろう。

 銃撃戦の音も、焦げ付いた肉の嫌な臭いもしない。

 安全地帯であり、戦場には似つかわしくない人の笑い声が聞こえて来た。

 ベッドは全て空いていて、眠っている人間はいない。

 代わりに袋に入れられた何かが地面に乱雑に転がっていて……視線を逸らす。


 外からは人の話し声が聞こえて来る。

 けたけたと笑っている人間たちの声で。

 虫唾が走る連中の声に眉を曇らせながら。

 俺はゆっくりと視線を下へとおとす。

 

 俺は過去の記憶を思い出していく。

 最期の任務として、俺は異分子の国へと繋がる要塞を墜としに向かった。

 他にも多くの仲間がメリウスに乗って向かったのを覚えている。

 俺たちは敵の猛攻を掻い潜りながら、何とか距離を縮めていって――そうだ。


 俺はあの戦場で、奴と出会った。

 多くの兵士や傭兵たちに知られる存在。

 武功を建てた英雄につけられる異名を持つアレは――”碧き獣”だった。


 碧の機体を駆り、その手には異様な空気を放つ銀色のブレードが握られていた。

 その真っ赤な瞳は俺に向けられていて。

 あの瞬間に、俺は自らの死を覚悟していた。

 次の瞬間には殺される。無残に、あっさりと……だが、違っていた。

 

「……奴と相対して……俺は敗れて……生きているのか」


 何度も言うが、俺はあの瞬間に死を覚悟した。

 しかし、何故かは知らないがとどめは刺されなかった。

 が、それでも瀕死の状態の俺は敵の攻撃を受けて――ぅ。


 ずきりと頭が痛みを発した。

 それ以上を思い出そうとすれば、激痛が走る。

 まるで、体が拒否反応を起こしているようで。

 俺はゆっくりと頭から手を離しながら呼吸を整えた。


 生きている。死んではいない筈だ。

 何故かは分からないが……”また”生き残ってしまった。


 俺は何時もそうだ。

 死を覚悟した瞬間は何度もある。

 それでも、俺は何故か一人だけ生き残っていた。

 必ず、俺は戻って来る。


 任務に失敗しようとも、仲間たちが皆、殺されようとも。

 俺だけがベッドで目覚める。

 訳が分からない。何が起きているかも分からない。

 だが、これは決して神の”祝福”ではない……ただの”呪い”だ。


 俺が自分の不気味さに怯えていれば。

 テントの中に誰かが入って来た。

 それは俺の上官であり、特務執行大隊の第二中隊長デクスター・カーヴァーだ。


 軍人に見えないほどに痩せこけた体。

 丸眼鏡を掛けた坊主頭のデクスターは俺たちの間で”枯れ木”と呼ばれていた。

 そんな奴は俺を見つけるなり舌を鳴らして。

 ぼそりと「死にぞこないめ」と悪態を吐く。

 この程度は何時もの事だが、今日は何時にもまして不機嫌そうだった。


 俺は少しだけ重い体を動かして敬礼をする。

 奴はぶっきらぼうに「休め」とだけ言って。

 手短に状況の説明を始めた。


「貴様はナナシ上等兵……で、間違いないか?」

「……ハッ、そうであります……何か」

「……いや、いい……任務は失敗した。貴様以外は皆、戦死した……唯一、貴様だけが生き残り。条約にのっとり送られた回収班たちが偶然、負傷した貴様を発見した……喜べ。貴様は晴れて自由の身だ」

「……自由……俺は、何を」


 俺は思わずそんな質問をしてしまった。

 自分はあの戦場で死ぬものだと思っていた。

 生き残れる道はなく、そんな可能性は一欠片も考えていなかった。

 俺が上官を見ていれば、奴は隠す気も無く舌を鳴らす。

 そうして、苛立ちを露わにしながら言葉を吐き捨てた。


「知らん。好きにしろ。私は貴様と違って忙しいんだ……最後まで厄介事を押しつけおって」


 ぶつぶつと文句を言いながら、奴は踵を返して去ろうとする。

 しかし、言い忘れた事があったようでテントから出る前に俺に声を掛けて来る。


「除隊に必要な手続きは終わっている。体が動くのなら速やかに会計係の元へ行け。これまでの働きに応じた給料を支払う。それと”名誉市民”の証となる――首輪を受け取れ」

「……了解しました」


 奴は最後の単語を発する時だけ嫌らしい笑みを浮かべていた。

 首輪という単語は俺も知っている。

 それを俺が嵌める事になるなんて思いもしなかったが……まぁどうでもいい。


 奴は必要な事だけを伝えて去っていく。

 残された俺はゆっくりと己の手を見つめる。

 ゴツゴツとしていて傷だらけの手で――俺は固く握りしめる。

 

 俺は死にそびれてしまった。

 たった一人だけ生き残ってしまって。

 俺はこれから先ずっと、死ぬよりも辛い苦しみを味わう事になる。

 この世界で俺たち異分子には居場所は無い。

 例え、名誉市民の権利を手にしたとしても人々からの侮蔑の視線は消えやしない。

 俺はこれから先ずっと自らの罪に苦しめられながら。

 永遠に思えるような時間を過ごしていくのだろう。


「……それでも……俺は」


 吐き捨てるように言葉を吐く。

 そうして、俺はベッドから足を出してブーツを履く。

 胸のドッグタグがある事を確認してから。

 傍に掛けてあった灰色の上着を掴んで羽織る。

 そして、特務執行大隊の兵士である証の赤い腕章をつけた。


 ゆっくりと立ち上がってから。

 俺は体に残る痛みを無視して歩き出した。

 もう此処に俺の居場所はない。

 最低で劣悪で、二度と戻りたいとは思わない場所。


 テントから出れば光が差し込んでくる。

 兵士たちや医者が談笑しながら歩いていた。

 怪我人もいるが大したことの無い傷だ。

 しかし、仲間たちのように乱雑に扱われてはおらず。

 奴らは戦場には似つかわしくない笑みを浮かべていた。

 

「……おい、アイツ」

「……ッチ。飯がまずくなるぜ」


 飯を食っている若い兵士たち。

 異分子に宛がわれたボロボロのテントから出て来た俺。

 たった一人だけ生き残った俺に向けられる視線は何時も通り最悪な物だった。

 悪態を吐きながら、俺を睨みつける兵士共。

 俺はそれらを無視して歩き出す。


 野戦病院などには何度も世話になった。

 最低限の治療を受けて、後は自力で回復させたが。

 それでも、辛うじて命を繋いでくれた場所だ。


 例え後方陣地に設営された拠点だとしても他の拠点と大きな変わりはない。

 何処も同じような配置であり、後方陣地も規模が大きいだけで似たようなものだ……会計係もあそこだろう。

 異分子の国から離れた場所にある後方陣地。

 此処には奴らが攻めて来る心配はほぼ無い。

 奴らとの小競り合いで怪我をした兵士の治療の為の場所で……死んでいった仲間の死体を預かる場所でもある。


 足を動かしながら、俺は進んでいく。

 俺を知っている人間は俺を憎々し気に見てきて。

 女も男も冷たい目を俺に向けていた。

 俺はそれらの視線を無視して歩いていく――


 

 §§§

 

 

「……これで全部か」

「あぁ、これで全部だ……何だ。文句でもあるのか?」


 小太りで背の低い会計係は、呆れたような目を俺に向けて来る。

 お前如きはこれで十分だと言わんばかりの目で。

 俺の前に置かれているのは、給料が振り込まれた通帳と最低限の私物が入った煤汚れたナップサック。

 使い古した財布に入れられた紙幣が数枚と小銭が少し。

 そして、三ヶ月分の”適応剤”と鈍い光沢を放つ首輪だけだった。


 別に、荷物に関してはどうでもいい。

 後で自分で買って揃えればいいだけだ。

 問題なのは、通帳の方で。

 奴は何故かは知らないが、中身をこの場で俺に確認させようとしないのだ。


 理由を聞けば「サプライズだ」と言うだけで……おちょくっているだけだ。


 自分の給料の内訳なんて知らない。

 給料が毎月、記録に残されているとは聞かされていた。

 しかし、自由に引き出す事も出来ない上に。

 引き出せたとしても俺たちには休日も無ければ、何に使うかという意思すら無かった。

 買いたい物も、何処かへ出かけるという事も無かったからだ。

 最低限の衣食住は保障されていたのもあるだろうが、現代の人間の暮らしでは無い。

 

 俺の知る限りでは、現金を受け取った仲間はいない。

 全員が明日に怯えていて、生きるのに精一杯だった。

 だからこそ、もしも、兵役を終える事が出来たのならばという話をして……そんな過去を思い出した。


 俺が黙ったまま荷物を見ていれば。

 会計係は大きくため息を吐き、苛立ちを露わにしながらくしゃくしゃと髪を掻きむしる。

 

「……はぁ、何だよ。言いたいことがあるのならハッキリと言え! それとも何かぁ? 今すぐ此処で」

「――ありがとう」

「……ッチ」


 面倒事は御免だ。

 俺は手早く荷物を受け取る。

 そうして、ナップサックにそれらを押し込んで。

 置かれていた首を掴んで首に近づけた。

 

 硬く冷たいそれを、躊躇いもなくその場で首に掛けた。

 ガチャリと音が響いて、短い機械音が鳴る。

 首輪は正常に稼働しているようであり、会計係の男はニヤリと笑う。


「おめでとう――名誉”家畜”」

「……」


 奴の侮蔑の言葉は無視する。

 一々反応していればキリが無いからだ。

 俺はナップサックの紐を握りしめて。

 それを肩から下げながら去っていった。

 後ろで舌打ちが聞こえてきたが無視する。

 

 扉を開けて外に出る。

 建物から出てから、俺は歩いていく。

 最寄りの街へと行く為に、乗り物に乗る必要がある。

 乗せてくれるかは分からないが……まぁ、一か八かだ。


 ゆっくりと歩いていく。

 ざくざくと土を踏みしめる音と周りからの小さな声が聞こえてきて。

 周りの兵士からの嫌な視線を無視しながら。

 ”呪いの首輪”を嵌めて俺は、不自由な自由に体を縛られながら外の世界へと向かった。

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