第22話 白藤さん
月曜日、僕はなんとか白藤さんとコンタクトを取ろうと特進文系B組に行ってみた。
このクラスには、実は中学の時のクラスメートがたくさんいる。
特に女子はほとんど知っている顔だ。
本来なら中学で特進生だった生徒は、このクラスか隣の理系A組のどちらかに進級する。
特進生クラスから脱落したのは、僕と、あと二人ぐらいいただろうか。
ともかく、僕は特進生から脱落した哀れな落ちこぼれだった。
クラスの女子達は戸口に僕の姿を見つけると「今さら何の用があるの?」という顔をして、コソコソと隣の女子と耳打ちし合っている……ように見える。
僕の被害妄想なのか、本当にそうなのかは分からない。
自分の席に座っていた白藤さんは、僕に気が付くと顔をこわばらせて慌てて目をそらした。
これは良くないな、と思った。
僕が話しかけるのは、白藤さんにはとても迷惑なことのようだ。
そりゃそうだろう。
とっくに落ちこぼれて特進生と無縁になった僕と、まだなにかしらの関係があると思われるのは、優等生の白藤さんには迷惑
身分をわきまえるべきだったと、僕はすごすごと自分の教室に戻った。
「あれ? 蒼佑、どこ行ってたんだ?」
教室に戻ると哲太の間抜けな顔が出迎えてくれる。
うん。僕にはこいつぐらいがちょうどいい。
「なあなあ、知ってるか? あの編入性の羅奈ちゃん。神谷とデートするらしいぜ?」
「……」
突然なんの話だ。
それは浴衣を一緒に買いに行くとかいうやつだろうか。
それなら、今頃羅奈が断っているはずだ。
「クラスの女子が朝から騒いでたよ。なんか神谷のことが好きな子がいるみたいだな」
「ふーん」
やっぱり神谷は普通にモテるらしい。
「はああ。やっぱ特進クラスの女子は特進生の男子しか相手にしないよな? 特進生の男子は普通クラスの女子とも付き合うのにな。なんか不公平だよな」
いや、しかるべき努力の結果だろう。
必死で勉強して特進生にならなかった自分のせいだ。不公平でもなんでもない。
自業自得なのだから、甘んじてこの待遇を受け入れるべきだ。
しかし哲太は突然立ち上がって意味不明なことを叫んだ。
「いや! 特進女子の中にも例外はいる! 中には普通クラスの男子が好きっていう物好きもいるんだ!」
「何言ってんだ? 大丈夫か、お前」
モテなさ過ぎて、ついにおかしくなったのかと思ったが、哲太は意気揚々と戸口を見つめた。そしてそこにはドアに隠れるようにして立つ白藤さんがいた。
「やっぱりこの間の直感は間違いじゃなかった。白藤さんは俺のことがずっと気になっていたんだ。順位表に名前が載った俺に、ついに気持ちが固まったようだ」
哲太は僕に小声で言ってから嬉しそうに白藤さんのもとへ向かった。
そしてすぐに肩を落として戻ってきた。
「お前に用だってよ、蒼佑」
吐き捨てるように言うと、僕の背中を力一杯ばんっと叩いた。
「え? 僕?」
特進クラスの美女の出現にクラスの男達がざわついている。
普段は男子の行動に無関心の女子達も、何事だろうと戸口の白藤さんに注目している。
気まずそうに隠れてしまった白藤さんのもとへ、僕は急いだ。
さっき僕が意味深にB組の教室を覗いていたから、気になったのかもしれない。
廊下に出ると白藤さんの姿はなく、少し歩くと階段の踊り場に隠れるようにして立っていた。
「あの……」
僕が口を開くと同時に、白藤さんも口を開いた。
「お、おとといのことを言いにきたのでしょ? 私、別に誰にも言わないから」
「え?」
もう羅奈が先に話をしてくれたのかと思った。それなら話が早い。
「相手のあの人……この間椿が丘から編入してきた子でしょ?」
「ああ、うん」
ん? 羅奈が話したわけじゃないのか?
「名前までは知らないけど、付き合ってることを内緒にしたいなら、誰にも言わないから」
あれ? やっぱりおかしい。
「いや、ちょっと待って。付き合ってないから」
「だ、だって名前で呼び合うような仲なんでしょ?」
「名前でっていうか、名字で呼び合うことはできないから」
「できないってどうして……」
白藤さんは戸惑うように顔を上げて僕を見た。
「彼女の名前、南羅奈っていうんだ」
「南……羅奈……」
白藤さんは呟いてからはっとした顔になった。
「え? じゃあ……」
「うん。父さんの再婚相手の連れ子なんだ」
「連れ子……」
白藤さんは急にこわばっていた表情を和らげだ。
「でもまあ……できれば内緒にしてくれるとありがたい。僕がっていうより、彼女の方がいろいろ迷惑するだろうから」
「そ、そうだったんだ……。そういえば南くんのお母さんが亡くなって、もう五年も経つんだものね。そんなこともあり得るわね。なんだ……。私勘違いしちゃった。恥ずかしい」
白藤さんは赤く染まった両頬を隠すように両手で顔を覆った。
「いや、あの状況じゃしょうがないよ。それで一応誤解のないように白藤さんにだけ本当のことを話そうかと思って教室に行ったんだけど。ごめん、なんか悪かったね」
「う、ううん。私こそ勝手に勘違いしてごめんなさい」
白藤さんは、本当に恥ずかしかったようで真っ赤になっている。
この数年どんどん疎遠になっていた白藤さんだが、母さんが死んですぐの頃は気遣ってよく声をかけてくれた。自分の受験もあるのに塾にお弁当を作って持ってきてくれたこともある。
「なんでも協力するから一緒に受験がんばろうね」と何度も言ってくれたっけ。
でも僕はその白藤さんの期待に応えることもなく、第一志望の受験日に寝坊をするという失態を犯してしまったのだけど。
その頃から少しずつ白藤さんは僕に失望して距離を取るようになっていた。
でもこうして久しぶりにちゃんと話してみると、白藤さんはあの頃と何も変わらず真面目で親切で可愛い人だ。
変わってしまったのは僕なのだろう。
僕だけが変わって、僕の見える世界だけが違ってしまったのだ。
あの頃の僕には二度と戻らないだろうけど、誰もいなくなってしまった無人の世界に、一人ずつ戻ってくるような不思議な感覚がある。
ずっと止まったままだった僕の世界が、ほんの少しだけ動き始めたのかもしれない。
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