第3話 得体の知れない妹
「私は香奈と言います。蒼佑くん、これからどうぞよろしくね」
新しく母親になる人は、耳が丸見えになるほどのショートカットで、羅奈とよく似た大きな目でにっこりと笑った。
クールな雰囲気の羅奈と正反対で、元気な明るい女性のようだ。
少し母さんに似ているかな、と思った。
父さんの好みなんて知らないが、たぶんこういうタイプが好きなんだろう。
ただし、専業主婦だった母さんと違い、香奈さんはバリバリのキャリアウーマンで、父さんと同じ研究所に勤めているらしい。
ずっと気の合う同僚だったらしいが、香奈さんが三年前に離婚してからお互いに生涯のパートナーとして意識しだしたらしい。
「私の家に引っ越してくるとなると羅奈ちゃんの高校はずいぶん遠くなるね」
父さんが珍しく気遣いのある発言をした。
職場は同じでも、お互いの家は真反対にあって、羅奈は僕の家から更に遠くなる沿線の高校に通っていた。
「蒼佑と同じ高校に編入してはどうだろう?」
「まあ! それがいいわね。帰り道が同じなら、遅くなっても安心だし」
「羅奈ちゃん、編入試験を受けてみるかい?」
大人二人は勝手なことを言って盛り上がっている。
なんで僕が羅奈と一緒に帰ってくる設定になっているんだ。
それに、龍泉学園は最初目指していた県内屈指の進学校よりは落ちるが、まあまあの進学校で、編入試験は入学試験より難しいと言われている。
簡単に受かると思うなよ。
絶対断るだろうと羅奈を見ると、どういうわけか「受けてみる」と答えた。
この得体の知れない妹が何を考えているのか、全然分からなかった。
◇
母さんが死んで、僕は多くのことに気付いた。
まずはじめに、僕が朝食べた食器は僕が片付けなければ、帰ってもそのままなのだということに気付いた。
今考えると当たり前過ぎるのだが、僕は塾から帰って衝撃を受けた。
脱ぎ散らかした服も、食べ残したパンも、テーブルに落としたジャムも、すべて僕が出た時のまま残っていた。
これは誰が片付けるのだろうと、一週間ほど新しい皿とコップを出して過ごしてみたが、やがて汚れた食器でテーブルが山積みになり、脱ぎ捨てた服でソファが占領された。
使えそうな食器がなくなり、新しい着替えがなくなった頃、僕はようやく自分でやらなければ誰もやってくれないのだと気付いた。
その頃の僕は、勉強はできたがそれ以外何もできない人間だった。
仕方なく食器を洗ってみたが、一週間前の皿は汚れがこびりついてまったく取れない。
一週間前に脱いだ下着は少し異臭を放っている。
なんだこれは、と思った。
母さんがいないだけで、こんなことになるのかと驚いた。
そして、もう一つ重大なことに気付いた。
――父さんは全然使えないポンコツだった――
研究に命を懸けている父さんは、母さんが死んで食事が出ないと気付くと、三食すべてを研究所の社食で済ませるようになった。そして土日も研究所に泊まり込んで仕事に没頭するようになってしまった。
父さんなりに母さんの死というショックを乗り越えるために必死だったのかもしれないが、僕のために母親の役割も受け持たなければという責任感はなかったようだ。
だが父親を放棄したわけではない。
今までと同じように家計に必要なお金は僕に渡し、勉強の分からないところは丁寧に教えてくれて、電球が切れていたら替えて、庭の手入れはこまめにしていた。
毎朝庭の草木に水をやり、雑草を抜き、伸びた枝木は刈り込む。
ルーティンに組み込まれたことは責任をもってこなす男だった。
ただ母さんがしていたことには、一切手出ししなかった。
超一流大学の大学院を卒業したエリート研究職で、家庭でも温厚で庭の手入れもする。
家族思いの良くできた父親だと周りから思われていたし、僕も思っていたのだが。
それは母さんの絶大なサポートで演出されていただけだったのだと知った。
そして一か月が過ぎる頃には、父親なんてそんなものなのだと僕も達観していた。
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