第27話 彼女の置き土産

 あまりに乾いた悲劇を見せつけられたレンだったが、自身の吐瀉物に塗れながらも体を起こして膝を立て、顔を上げた。

 視線の先ではジャズイールが「本物だったか」と手を叩いている。


「見事だ。その憔悴しきった様子だと、期待通りの光景を目撃してきたようだな。舞台裏を明かしておくと、すべて同じ街での出来事だ」


「よくもあんな……恐ろしいことを」


 思わずレンは彼に本音をぶつけてしまった。

 雨の中の首吊り台、槍が待ち受ける死の行進、生きたままの火葬。それらの事実を認識した上で、ジャズイールはこの収蔵庫に縁の品々を保管していたのだ。


「いい目だ。〈遠見〉などという存在はヴァレリアのはったりだったようだが、おまえは素晴らしい目に恵まれたぞ。誇れ、レン」


 初めて彼から名を呼ばれた。だがそこに喜びなど欠片もなく、全身を粟立たせるような嫌悪感だけがある。

 ようやくレンも気づいた。ジャズイールは初めからレンの反応など意に介していない。彼女がどんな感情を抱こうが些細なことなのだ。


 それはそうだろう。片や飛ぶ鳥を落とす勢いで進軍を続ける皇族と、片や名目こそ客人となっているが実態は単なる出奔者だ。

 結局はジャズイールの意向次第でレンの立場なんてどうとでもなってしまう。

 彼の気まぐれで人が死に、あるいは命を長らえる。


「あれは五年ほど前に陥落させた街だ。おまえは私を非難するが、これも世の習いだと学ぶ機会を得たことに感謝すべきだろう。彼奴らは無謀にもニルバドに対して徹底抗戦を掲げていたのでな、占拠後は相応の態度でこちらも臨ませてもらったまでのことよ」


 賢明でないのは悪だ、と彼は断じた。

 さらに「弱さは罪だ」と。

 もちろんレンには納得できない。


「だからって、大勢の人たちにあんなひどい死に方をさせるなんて。殿下には情がないのですか」


 直情的で無礼なレンの問いを、ジャズイールは咎めもせず鼻で笑う。


「そんなものがあればとっくに私の方が殺されていただろうさ。なに、おまえにとっても他人事ではない。いずれヴァレリアもああなるのだぞ」


 約定を違えたわけだからな、というのが彼の言い分だ。

 やはり偽物の〈遠見〉を差し出したと難癖をつけ、侵攻を開始するつもりなのか。

 動揺を必死に抑えようとしている彼女をよそに、ジャズイールが「聞け、レン」と居丈高に告げてくる。


「その〈鑑定〉の力とやら、私のために役立てろ。そうすればおまえを娶ってやってもいいとさえ考えている」


 信じられないほど傲慢な提案だった。

 愕然としたレンが返答できずにいると、彼は続けて言った。


「妻になれば、おまえには特等席で観覧させてやる。老いた大国のヴァレリアが我がニルバドの圧倒的な暴力によって蹂躙される様をな」


 どうだ、と勝ち誇ったような顔で迫ってくる。

 ヴァレリアの話を持ち出すことで、レンの心を折って屈服させようとしているのは考えるまでもなく明らかだった。


 ここで彼女は最後の手札を切る決意を固めた。隠していたわけではなく、使いどころが非常に難しいため温存せざるを得なかった札だ。

 あえて柔らかく笑みを浮かべて、ジャズイールに語りかける。


「身に余る光栄、と申し上げるべきなのでしょう。ですが殿下。殿下には以前から恋仲の相手がいらっしゃるはずです」


「ん? 何のことだ」


 怪訝そうにジャズイールが問い質してくる。

 はっきりと、そしてゆっくりとレンはその名を告げた。


「テスレウ殿ですよ」


 ヴァレリアでの初対面のときから気づいてはいた。

 左目の下に傷があり、黒髪で、ジャズイール第六皇子の信頼を得ている男。これだけ条件が合致している人物など、広大なニルバド皇国とて二人といまい。


 かつてサラが〈遠見〉の力を行使した際、小高い丘の上にある金色に輝くような邸宅で二人の男が抱擁している姿を目撃した。

 友情や敬意ではなく、情愛の表れとしての抱擁。

 当時のジャズイールとテスレウが特別な関係だったのは間違いない。ただしその仲が今も続いているのかどうか、慎重に確かめる必要があった。


 ほんのわずかだが、テスレウが口にした言葉からはジャズイールの背を追っていくことへの精神的疲労が感じられた。

 なのでレンも二人の関係についての結論をしばらく出せずにいたのだ。

 いまだに特別な関係を継続しているのか、それとも政務上でのみ繋がる関係へと変質したのか。


 レンの脳裏には、ヴァレリア共和国初代統領ルージアと〈遠見〉のミトのことが常にあった。彼女たちの関係も時とともに大きく移ろい、破綻している。


 この収蔵庫でジャズイールは二度「テスレウから聞かされていないか」と繰り返した。その台詞でようやくレンは確信に至った。

 ジャズイールがあそこまで露骨な信頼を寄せている以上、危うさはあっても彼らの関係は依然として変わっていない。


 レンからの指摘は、彼にとってまったくの想定外だったはずだ。


「貴様、もしかして私の記憶も許可なくどこかで覗き見したのか? であれば不敬極まりない重罪だぞ」


 取り繕うのも難しかったらしく、ジャズイールの声は震えている。


「いいえ」


 落ち着きはらった態度でレンは首を横に振る。


「これこそ、先代の〈遠見〉が直接目にした情報です。わたしはただそれを教えてもらっただけに過ぎません」


 ジャズイールが「ヴァレリアのはったり」などと侮った〈遠見〉は確かに存在した。そのことを彼に知らしめてやらねばならない。


「〈遠見〉である彼女の目にとって、ヴァレリアとニルバドの間の距離が障害になりましょうか。いいえ、その視線が海を超えるなど造作もないこと。直前まで楽器を弾かれていた殿下が部屋を訪れたテスレウ殿と抱き合い、口づけを交わしている光景を実際に見ているのですよ」


 レンを歓迎するためにサラが披露してくれた半ばお遊びのような〈遠見〉、それとても命を削った行為だったのだと後に知る。

 だが、今この場において彼女が残してくれた情報は値千金となった。


 一瞬目を瞑り、観念したかのようにジャズイールは大きく息を吐いた。


「潔く認めよう。私とテスレウとはそういう間柄だ」


 ニルバド皇国では同性との恋愛は認められておらず、ジャズイール第六皇子にとって致命傷となる醜聞になりかねない。

 彼を引きずり下ろそうと密かに画策する者はニルバド国内でも枚挙にいとまがないはずだ。

 彼はレンを鋭く睨む。


「念のために訊ねておくが、私を脅す気か?」


「とんでもないことです」


 その選択に意味などないのはとっくにレンも理解している。

 合理性を重んじるジャズイールならば、きっと彼女と同じ結論にたどり着いているはずだ。


「仮にその情報を欲しがる誰かに売ったところで、わたしにどれほどの利がございましょうか。殿下とテスレウ殿、お二方を陥れた先に、どのようにニルバドで生きていける道がありましょうか。所詮は姦計の使い捨てとされるだけ、ならばこのまま殿下の庇護の下にあることを選びとうございます」


「なかなかに計算が働く女だな。だがそれゆえに信用もできる」


 賢明だ、と彼は上機嫌で口にした。


「おまえの護衛を務めている、あのマルコという男。やつはかつて我が奴隷部隊に所属していた男だろうが、本来なら極刑をもって報いる脱走の罪も不問としよう。おまえが私に忠誠を誓うかぎりはな」


 やはりジャズイールの目はごまかせていなかった。

 自分たちが想像していたよりも危ない橋を渡っていたのだと理解し、今さらながらに全身が震える。

 最初から対等の立場になるはずもない交渉だったのだ。


「それにしても匂うな。鼻が曲がってしまいそうなほどのすごい悪臭だぞ、レン。早く城塞の風呂を使わせてもらうがいい」


 初めて気遣う言葉を残してジャズイールが去っていく。

 その後ろ姿を眺めながら、彼からの試験をどうにかくぐり抜けたのだと実感してレンはへたり込んでしまった。

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