第16話 ニルバドよりの使者
互いの秘密を共有したせいか、レンとマルコの距離は確実に縮まった。
代々の〈遠見〉に割り当てられた〈鳥籠〉下部の私室で、談笑している二人の姿などもはや珍しくない。
「ね、そういえば街では今、何が流行っているの」
椅子の背もたれに体を預け切った、少しばかりだらしない姿勢のレンがマルコに質問を投げかけた。
マルコはといえば、わざとらしく顔をしかめている。
「そんなの、おれが教えてもらいたいくらいですよ。食べ物も服装も、兵士の場合は選ぶ余地がないから楽ですけどね。聞く相手を間違えていませんか」
「あはは。じゃあ、今度はフランチェスコに訊ねてみようか」
「面白そうですね。あの方が困惑している姿を一度くらいは見てみたいものです」
ここ最近の日常の光景だ。
しかしこの直後、将軍フランチェスコからの伝令が駆け込んできたことで、短かった平穏な日々も終わりを告げる。
「レン様、マルコ殿!」
息せき切って〈鳥籠〉へやってきた伝令の男は、レンたちの返事を待つ時間も惜しむかのごとく話を切り出した。
「ご無礼をお許しください! ですが事態は急を要するのです!」
一拍置いて呼吸を整えた後、彼によって伝えられた内容はまさに状況の急転といえるものだった。
ニルバド皇国より使者が送られてきたというのだ。
あらかじめの打診などない、不意の来訪である。
厳密に言えば国の外交としてではなく、ジャズイール第六皇子個人によって遣わされてきたそうだ。
とはいえヴァレリア共和国が直接対峙していくのは戦神とまで謳われる彼である可能性が濃厚な以上、対応を間違えれば一気に開戦へと傾きかねない。
しかもその使者が今回求めているのは、〈遠見〉のレンとの面会だという。
「政庁の方々が緊急協議された結果、受諾するより他なしとのこと。将軍もその決定を支持されております」
となればレンに選択の余地など初めからないのだ。
「じゃあ、行くしかないってことですね」
伝令に確認を求めると、「恐れながら」とだけ返ってきた。
マルコはといえば、黙って聞いているだけで特にこれといった反応を示していない。レンの目にはまったく動じていないように見受けられる。
「あなたはこうなることを予期していたのですか、マルコ」
伝令がいるため、〈遠見〉としての話し方でレンが問う。
マルコからの返答には迷いがなかった。
「はい。遅かれ早かれ、ニルバドはヴァレリアへの圧力を強めてくるだろうと。そしてレン様、〈遠見〉であるあなたに干渉してくる。将軍もそうお考えでした」
「だからニルバドの政治形態や情勢についてのみならず、言葉まで話せるように学ばせていたのね……」
ニルバドを肌で知るマルコはもとより、さすがにフランチェスコは慧眼である。
そう認めながらもレンには釈然としない気持ちが残っていた。理由も明白だ。
ひとえに彼ら、特にフランチェスコが説明を省いているからに他ならない。
「わかりました。すぐに支度をし、使者の下へ出向きます」
通訳は不要ですよ、と言い添えておく。
◇
実際の面会は当たり障りのないやりとりに終始し、短時間で散会した。
急遽用意されたと思われる応接の間へ案内され、レンが入室したときにはすでに双方の出席者が顔を揃えていた。
ヴァレリア側は統領モレスキが席につき、通訳と書記を務める二人がその傍らに控えている。おそらくレンが余計なことを口にしないよう、統領自らその監視を務めるということらしかった。
対するニルバド側は正使と副使の二名。
正使の男の顔には、一度見たら忘れられない特徴があった。左目の下に大きな傷痕が刻まれているのだ。
年の頃はフランチェスコとさほど変わりなく、こちらは艶やかな黒髪をなびかせる美しい男なのだが、印象が強すぎてどうしても傷痕にまず視線がいってしまう。
着席している五名の姿を視界に捉え、レンは小さく息を吸った。
『大変長らくお待たせいたしました、ニルバド皇国のお客人』
まずは初手が重要、とばかりにニルバドの言葉を流暢に操ってみせる。
『お初にお目にかかります。私はレンと申す者でございまして、只今ヴァレリア共和国で〈遠見〉と呼ばれる任を務めております。以後お見知りおきくださいませ』
〈鳥籠〉からの長い階段を下りている間に考えていた演出だ。
優雅に一礼し、「どうだ」と思いながらレンが顔を上げた瞬間、室内に拍手の音が大きく鳴り響いた。
『お見事です、レン殿』
拍手の主はニルバド皇国の正使である。
『〈遠見〉の名を冠するにふさわしく、遠方であるはずの我らがニルバド皇国の言葉まで修められているとは。心地よいその発音、国元の人間と比較しても遜色ありません。感服いたしました』
続けて彼は自らをテスレウと名乗った。
その名前はマルコの授業で履修済みだ。ジャズイール第六皇子の乳兄弟にして、信頼厚い第一の側近。
彼に好印象を与えたことが、はたしてどう影響してくるのか。
◇
幅の狭い螺旋階段に、ぜいぜいという荒い息遣いが規則的に聞こえていた。
疲れ切っているレンの呼吸である。
「何だろうね……。拍子抜け、ていうの……? 終始和やかだったしさ……」
ニルバドからの使者との面会を無事乗り切り、マルコとともに再び〈鳥籠〉への階段を上っている最中だ。
行きの下りは緊張感に満ちていたため、疲れを感じる余裕さえなかった。だが大役を果たし終えた後の帰り道だ。疲労がまとめて彼女を襲う。
とはいえ、道程ももう半ばを過ぎた。少しずつ口も滑らかになりだしている。
「油断はできませんよ」
振り向いて苦笑いを浮かべながらマルコがたしなめてきた。
「あのテスレウという男は、ジャズイール第六皇子の片腕とまで評されています。いったいどのような出方をしてくるか」
「心配性だねえ……」
縦皺がもう一本増えちゃうよ、としんどいにもかかわらず茶化してしまう。
マルコが何か言い返そうと唇を動かしかけるが、それより早く階下から二人の名を呼ぶ声があった。どうにも聞き覚えのある声だ。
「レン様、マルコ殿ー!」
またしても伝令役の彼である。
つい先ほどもニルバド皇国の使者到来を告げるべく〈鳥籠〉最上部まで駆けてきたというのに、再びレンたちを追いかけてきたらしい。レンからすれば、恐るべき体力と言わざるを得ない。
伝令の男は階段に片膝をつき、いきなり本題に入る。
「ニルバドの使者テスレウより新たな要求あり! 両国の友好な関係を深めていくため、〈遠見〉であるレン様の身柄をあちらで譲り受けたい、とのこと!」
「え」
きちんと耳に届いていたはずなのに、思わず聞き返してしまった。まるで頭が告げられた言葉の理解を拒んでいるかのようだ。
そうやってすぐには飲み込めなかったレンとは対照的に、相変わらずマルコは落ち着き払った態度を崩さない。
「将軍は何と?」
フランチェスコの意向を短く訊ねる。
伝令も心得ており、軽く頷いてから「マルコ殿へ二つ」と答えた。
「まず一つ、状況は非常に流動的だが必ずレン様をお守りすること。さらにもう一つ、以上を踏まえて最終的な判断は任せるとのこと」
「了解した」
具体的な内容はなかったにもかかわらず、マルコは即答した。
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