第12話 「推す」という気持ちはずっとではない

 どんな好きなものでも、飽きる日が来る。


 好きで通っていたラーメン屋も、足が遠のくことがある。

 すごく好きだったマンガも、もう読まないだろうと売ってしまう。

 好きだったゲームも、新しいゲームが出ると、そっちのほうが新鮮で面白くて移ってしまう。


 推しもそういうものなのだ。

 すごく好きな推しでも、飽きる日が来る。


 特に今は消費が早い。

 ネットで好きなものを全部見てしまって、さあ見るものなくなっちゃったから次行こうとなるのが早いのだ。


 ネット小説家も、配信者も毎日毎日新しい人が出てくる。

 小説家だと商業小説家、配信だと事務所配信者などがいるが、それも毎週のように新しい人が出てくるのだ。

 それに対し、一人の人間が提供できる物の量は少ない。

 簡単に消費されてしまう。


 配信で言うならば、その人から出る面白い話も、その人がよく歌う曲も、そんなに一気に増えるものではない。

 最初は好きで配信に行っていても、何度も同じ話を聞いて、何度も同じ曲を聞いたら飽きて、次に行ってしまう。


 どんなものでも作る時間>>>>>消費する時間である。

 調べて考えて作った小説の一章も、数分で読み終わられてしまう。

 それはマンガや音楽も同じである。


 だから、推し活もそういうものだと思ったほうがいい。

 推される側は特にである。


 推すという感情に義務はない。

 推し変を責める人もいるが、明日、急に推し変しても何の罪もないのだ。


 法律的な義務があり、両家の親族の前で、神にまで誓った結婚ですら、数ヶ月で破綻することもあるのだ。

 何の義務もない「推す」という行為は、急に辞めても問題は何もないし、応援しないもギフトを投げないも、その人の自由なのだ。


 だから急に見に来なくなっても、自分を推しだと言ってた人が別のところでキャーキャー言ってても責めてはいけない。

 

 推しと恋は違うというのは、推す側だけでなく、推される側も覚えておかないといけない事なのだ。

 

 恋だって次の日に好きという気持ちが変わっても仕方ない。

 それ以上に、推しは、同じ立場の人間という形ではなく、俳優さんとか二次元のキャラと同じような扱いで配信者も見られることもある。

 だから「こっちの気持ちも考えないで、推し変した。来なくなった、応援してくれなくなった」は通じないのだ。


 興味がなくなった以外の別の理由があって離れてしまう事がある。

 引っ越したから、生活が変わったから、運営が変わったから等々……。

 そういうので移ることもある。


 だから、ある時にすごく推しだと言ってくれたのに来なくなっても、「その期間だけでも推しだと思ってくれて良かった」くらいで生きていた方がいい。


 一瞬でも誰かが推しだと言ってくれた、好きだと言ってくれた、その後、来なくても一度でもすごく素敵だから推したい言ってくれた、まぁそれだけでいいやと思うくらいでないと、今度は推される側が病んでしまうこともあるのだ。

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