閑話  ある看護師と患者と

 婦人科に勤めるその看護師は、入職して三年目。

 産婦人科というだけあって、病棟には赤ちゃんをこれから産もうとする人ばかりが居るわけでもなく、婦人科の病気を患っている人も入院する。テレビドラマなどを見ていると産婦人科では『助産師さん』しか働いていないのかな?と思うかもしれないが、実はきちんと看護師も働いているのだ。


「保科さん!救命から電話で、患者さんを一人うちの病棟に上げたいって言っているんですが、どうしましょうか?」

「え?今から?」


 夜の12時過ぎに陣痛が始まった妊婦さんが入院して来ることは多くあれども、十八歳の女性。

「交通事故に遭った患者さんで、目立った外傷があるわけではないんだけど、事故のショックで失神してしまって・・それに運び込まれた時に不正出血も見られたということで、一度婦人科でも診てもらいたいということで、うちの病棟に入院ってことなんですけど」


「頭を打ったとかそういうことではないんだよね?」

「そういうことじゃないみたいです、ただ本当に、事故を目の当たりにしてショックを受けて運び込まれたっていうことで」

「は〜、それじゃあ受け入れても明日退院とかになりそうな感じだね」


 そうして運ばれて来た患者さんは、渡辺瑠璃さん、バーベキューに行った帰りに、車を停車させて外に出た運転手が車で轢かれる事故があり、その事故を見たことで精神的ショックを受けて失神。搬送時に不正出血が見られた為、一度、婦人科に診てもらいたいということだった。


「すみませ〜ん、救命の者です〜」


 救急救命から患者をストレッチャーに乗せて運んできた看護師は、一通りの説明をすると、

「この患者さん、実は訳ありなんですよ」

 と、言い出した。


「えーっと、訳ありってどう言った訳ありで?」

「なんでも、花魁淵に肝試しに行っていたみたいで、その帰り道に対向車の車を運転している人から、車の上に人が乗っているぞと言われて、運転していた子が外に出て、車の上を確認しようとしたみたいなんです」


「花魁淵ってあの花魁淵?」

 奥多摩湖のさらに先に進んだ場所にある、黒山金山の麓の滝壺が、最恐の心霊スポットと言われているのは有名な話なのだ。


「それで、その車を運転していた子が後続車に轢かれちゃって」

「えええ?」

「それで、その子は今、救命に居るんですよ」

「うわー!もしかして、幽霊系?」

「そのもしかしての幽霊系なんですよ〜」


 この病院には、奥多摩で事故を起こしたバイクの運転手とか、車の運転手とかが運び込まれて来るのだが、たまに、

「幽霊を見たんです!」

「黒髪の女が現れて!本当に自然とハンドルが取られたんです!」

 と、言い出す人がいる。特に花魁淵の近くになればなるほど、黒髪の女性の目撃証言が増えていくことになるのだが、伝説によると、遥か昔、橋から何十人単位で滝壺に突き落とされたというのだから、怨念が現れることもあるのかもしれない。


「まあ、本当に渡辺さんの場合は、ショックで気を失っただけなんで、特に問題はないと思うんですけどね」


 申し送りを受けた看護師は大部屋に移動させた患者を見に行ったのだが、ぐっすりと眠っているように見えるし、バイタルも特に問題ない。


「これなら夜勤は楽勝かしら」

 そう言ってナースステーションへと戻って行ったのだが、

「キャーーーーッ!」

 朝方、ベッドから半身を床に落下させている姿を見て、思わず悲鳴を上げることになってしまうのだった。


 結果から言うと、渡辺さんはヤバかった。

 産婦人科では、陣痛に耐えられない妊婦が、痛みに絶叫することは良くあることなのだが、彼女は、

「離せ!離せ!離せぇえええええええ!」

 と、少し触るだけで絶叫する。


 暴れ方が尋常ではなく、即座に個室に移動をして鎮静剤の投与を始めようとしたものの、

「やめろ!やめろ!やめろー!」

 絶叫しながら点滴の針を自ら引き抜き、血塗れになってしまったのだ。


「ひいいぇえええ!日勤は楽勝!すぐに退院って言っていたのに〜!」

 暴れ方がエクソシストで、ベッドの上でバインバイン飛び跳ねているのだから恐ろしい。その日、日勤で渡辺さんの担当となった看護師は、

「精神科の先生を呼ぶことにしたから」

 と、主治医から言われることになったのだ。


「もしかしたら、ヤク中とかアル中とか、そういうこともあるかもしれない」

「えーっと」

「夜中はまだ切れてなかったから静かにしていても、朝方に薬だかアルコールだかが切れて、それであんな暴れ方をしているのかもしれない」

「え?そんなことで、エクソシストになるんですか?」

「なるなる、前にアル中の患者さんをみたことがあるんだけど、同じ感じだったから、今回もそうかもしれない」


 暴れる渡辺さんを取り押さえて採血を出したものの、結果は問題なし。精神科の先生も診療に来てくれたものの、

「中毒とは何か違うんだよな〜」

 と、言い出す始末。


 なにしろ鎮静剤の効果がほとんどない状態で、患者はバッタンバッタン暴れまくっている。お見舞いに来た母親も、

「どうしてあの娘がこんなことに!」

 と、絶句したものの、看護師は何も答えることが出来なかった。


 この病院で働いていて、こんなにエクソシストな感じで暴れる患者は見たことがないからだ。『せん妄』で片付けられないほどの異様な光景に、

「・・・」

 言葉が出ない。


 そうして、

「これから夜勤か・・どうなっちゃうんだろう・・」

 と、渡辺さんの夜の暴れ具合を心配しながら電子カルテに記載をしていると、

「あの〜、すみません」

 と、二人の大学生くらいの男の子がナースステーションに声をかけて来たのだった。


「あの・・僕ら渡辺瑠璃さんの見舞いに来たんですけど・・」

「あ・・それはちょっとぉ・・」


 エクソシストな患者の渡辺さんは、面会謝絶を主治医から言い渡されている為、

「今はちょっとお見舞いが出来ない状態なんです〜」

 と、答えながら、ナースステーションの向かい側にある個室に思わず視線を送ってしまう。扉越しにも、

「ヴウウウウウウ!」

「うわああああああああ!」

 と言う叫び声が聞こえているので、絶対に面会無理!な、状態なのだ。


「あのぉ、僕ら、渡辺さんがホラースポットに行ったっていう話を聞いていて、それで、霊験あらたかなお守りを、気休め程度なんですけど枕元に置いて頂けないかなーっと思っていまして〜」


 背が高め、髪の毛は色が抜けた感じの褐色で、顔が整った男の子の方が隣の男の子をせっつくと、

「え?あれを?マジで?」

 隣の男の子はグズグズ言いながらも、自分の財布から紫色のお守りを取り出して、

「霊験あらたかなお守りなんです!」

 と言ってナースステーションのカウンターの上に置いたのだった。


 二人はお見舞いを諦めて帰ってしまったけれど、カウンターの上にはお守りが一つ。そのお守りのおもてには何かの紋様と共に厄払いと刺繍がされている。


「神頼みっていうのもおかしな話だけど」

 その看護師は柏手を打って拝むような形を取ってからそのお守りを手に取ると、ナースステーションの向かい側にある個室へと向かったのだった。


「渡辺さん、先ほど娘さんのお友達の方がいらっしゃって、お守りをお見舞い代わりに置いて行ったんです」

「まあ!お守りですか!」

 憔悴しきった母親はパイプ椅子から立ち上がると、

「病気の快癒とか、そういう効果もあるかもしれないし」

 と言って、紫色の厄払いのお守りを、床頭台の上にそっと置いたのだった。


 するとどうしたことだろう、鎮静剤を入れても(量を増やしても)一向に静かにならなかった瑠璃さんは、あっという間に口を閉じ、脱力した様子で寝息を立て始めたわけで・・

「え・・?え・・?え・・?」

 慌ててバイタルを測定しても、平常で何の問題もなし。


 看護師は軽く患者の体を叩きながら、

「渡辺さ〜ん、渡辺さー〜ん、起きられますかぁ?」

 と、声をかけたところ、パチリと患者は目を覚ましたのだった。


「瑠璃?」

「ママ!」


 がんじがらめに固定されている瑠璃さんは、自分の体を見下ろしながら、

「あれ?ここは何処?私、なんでこんなことになっているの?」

 と、疑問の声をあげたのだが・・まさか今までエクソシスト状態だったんだとは言い出す事もできずに、

「今すぐ主治医を呼んできます〜」

 と言って、看護師は一旦、病室から逃げ出すことにしたのだった。


 その後、霊験あらたかなお守りは病院内で話題となったのではあるが、何処の神社のお守りなのかは判明せず、

「ええ〜!私も霊験あらたかなお守りが欲しい〜!」

 と、病棟スタッフ一同、お守りの出所が知りたくて仕方がなかったのだった。



         ******************




 言うまでもないことなのですが、このお話はフィクションです。

ですが、アルコール中毒のアルコール切れが、もう本当に、こんなんなっちゃうの〜?という感じにエクソシストになっちゃうのは見たことあります。みなさん、アルコールの飲み過ぎにはお気をつけて。

 ちなみに、そんな霊験あらたかなお守りがあったなら・・欲しくなると思います。

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