第4話  それは霊なのか?

 小児科病棟では、患者さんが退院しては入院患者さんが入り、退院したと思ったら、待機中の患者さんが入院しての繰り返しで、僕が小児科病棟に移動する余裕は未だにないみたいなんだ。肺炎になっちゃった子どもとか、高熱が下がらない子どもとか、物が食べられなくなって脱水症状になっちゃった子どもとかが、ひっきりなしに来るんだから仕方がないよ。


 コロナが蔓延していた時の自粛期間中に、ウィルスとか菌とかから離れた生活をしていたからか、さて、自粛は解禁して元の生活に戻りましょうということになった時に、今まで罹らずにいた感染症にドドーッとかかっちゃう子供が続出状態なんだってさ。


 そうなると僕なんか点滴をしているわけじゃないし、自分で食事も食べられるし、自分でトイレにも行けるからね!(絶対安静で寝たままトイレと寝たまま食事生活は正直に言って地獄だった)とりあえずは病室にいれば良いというわけだから、お前は脳外科病棟に居てくれ!みたいなところがあるのかもしれない。


「あ・・・」


 病棟の廊下を何の目的もなくぶらぶらと歩いていた僕が自分の病室に戻ると、昨日から空いたままの状態になっているベッドに、小さなおばあちゃんが真っ白い顔で寝ていたんだ。


 仰向けで胸の前に皺くちゃの手を組んで、目を瞑ってじっとしているんだけど、息を吸っているんだか吐いているんだかも分からないくらい胸が上下していない。謎のおばあちゃんはそのベッドの上に、仰向けで一直線みたいにピーンと体を伸ばして寝ているんだよ。


「ど・・ど・・どうしよう・・」


 この顔の白いおばあちゃんは、いったい誰なんだ?そもそも、生きているおばあちゃんなのか?僕は病院生活を送るうちに、生き霊とか死霊とか、そういうものの判断は出来てきたんじゃないのかなとは思うんだけど、目の前に居るおばあちゃんは、本物なのか?幽霊なのか?ちょっと本気で分からない。


「か・・影を確認しないと・・」


 担当看護師さんである君島さんの言葉を思い出した僕は、おばあちゃんの影があるかどうかを確認しようとしたんだけど、白いシーツが敷かれたベッドの上でピンとした姿勢で寝るおばあちゃんの真上から白いLEDライトが照らしているので、影とかそういうの、全然見えない。影が見えないのはライトの所為なのか、それとも生き霊だからなのか。


「いや〜ん!谷本さん!こんな所にいた〜!」


 開けっぱなしのドアから飛び込んで来た一人の看護師さんが、おばあちゃんの寝ているベッドのナースコールを押した。


『はい、どうされました?』

「谷本さんいました!サチュレーション88とかなり低いので、すぐにベッドに戻したいんです。ストレッチャー持って来てくれますか?」

『わかりました』


 看護師さんはおばあちゃんの指に、僕も使ったことがある血中酸素濃度を測る機械を嵌んだままにして、

「智充くん、いつからこのおばあちゃん、このベッドに居たかな〜?」

と、問いかけてくる。


「いや、あの、今、病室に戻って来たらこのおばあちゃんが寝ていて、なんで?って思っていた所だったんですけど」


 この顔色の悪いおばあちゃん、どうやら肺を患って入院する予定だったんだけど、呼吸器内科が今は満床で(大人も感染症に罹って、肺炎が酷くなる場合が多くって、入院患者さんでいっぱい状態なんだって)病棟で受け入れ出来ないから、脳外科で見てくれないかという話になったらしい。


 認知症があって徘徊グセがあるらしく、

「脳外科の患者さんって、認知症の患者さんとほぼ同じようなものだからとか、意味不明なことを言い出して、脳外科だったら面倒を見られるだろうみたいな感じで押し付けて来ることが多いのよね〜」

 って、看護師さんは言っていた。


 お年寄りは環境の変化に対応しきれなくなって、入院がきっかけで元々あった認知症がひどくなっちゃう場合も多いらしい。僕が生き霊なのかと判断に迷ったおばあちゃんもそういう感じの人だったみたい。


「脳外科ではね、患者さんが自分のベッドではないベッドで寝ていましたとかは良くある話なんだけど、谷本さんの場合は血中酸素濃度(サチュレーション)が下がっていたからビビったわ〜」


 と、言いながら看護師さんはストレッチャーにおばあちゃんを乗せると、酸素ボンベを開いて、酸素マスクを装着したおばあちゃんに酸素を流しながら颯爽と移動して行ってしまったんだ。


「うちの科の患者さんは無理って言って面倒見てくれないのに、認知症でも脳外科だったら大丈夫でしょうなんて言って押し付けるって、ねえ?そりゃ思うところは色々とあるわよ。自分のところの徘徊患者さんが出て行かないように阻止するだけでも大変だっていうのに、これ以上、大変にしてどうするっていうのよ」


 今日も廊下から看護師さん達の愚痴の声が聞こえてくる。

 いやいや、本当に看護師さんは大変だよね。


 昼間はまだ看護師さんが多いから良いけど、夜には四十人の患者さんをたった二人で見るわけだもん。そこに認知症まで加わって、ぷらっと何処かに行かれるようなことになったら、看護師の責任問題になっちゃうんだもんね。


 ちなみに僕の担当看護師である君島さんが夜勤についていた時には、患者さんが病院前に待機しているタクシーに乗り込んでキャバクラまで行って、家族に取り押さえられて帰って来たんだけど、君島さんは始末書を書かされたんだって。世知辛い世の中ってこういうことなのかな。


 僕の退院まで後わずか。

 今度、ベッドに寝ている人が生き霊なのか、そうでないのか判断に迷った時には、とりあえず触ってみようと僕が考えながら眠った時のことなんだけど・・


「・・・・」


 夜中に誰かの視線を感じて目を覚したんだけど、どうやら女性が一人、僕の寝ているベッドの横に立っているんだよね。


 その日は窓のカーテンがぴっちり閉められていなかったみたいで、街頭の白い光が病室の中にまで差し込んでいたみたい。

 僕は寝る時にはカーテンで周りをぐるっと囲って寝るんだけど、そのカーテン越しに白い光が当たっていたからか、ベッドの脇に立っている女の人の顔は良く見えたわけ。


 看護師さん・・の格好をしているんだけど、そのナース服はこの病院では見ないようなデザインのもので、首から垂れ下がる黒い髪の毛が蛇のようにうねうねとうねっているようにも見えたわけ。


「あ・・あのう・・・」

 この時は、まだ、寝ぼけていたので、看護師さんの誰かが、僕がきちんと寝ているのかどうかの確認に来たのかと思ったんだよね。それで、とりあえず僕は声をかけたわけなんだけど、みんなが寝静まっている病室に僕の『あのう・・』は、ものすごーく良く響いたように感じた。


 その女性は、パチパチと瞬きをすると、口をパクパクと動かした。

 そう、口をパクパクと動かしたんだよね。

 で、その場からすーっと消えていったものだから、

「ぎゃーーーっ!」

 と、僕は叫び声を上げた。


 僕の魂消るような叫びは隣の病棟にまで響いたらしい。

 僕と同室のおじいちゃんは叫びを聞いて飛び起きたし、ナースステーションからは夜勤中の二人の看護師さんが飛んできた。


 幸いなことに今日の夜勤には君島さんがいたらしく、

「幽霊!幽霊を見た!」

 恐怖に顔を歪ませた僕の顔を見下ろした君島さんは、

「そうか、悪夢を見たんだな!」

 と、断言したんだ。 



     *************************

お年寄りが自分のベッドを間違えて寝てしまうのは良くある話。あんまりぐっすり寝ているもので、まさか死んでないよね?なんて思うこともありました。無事に自分のベッドにお帰り頂きましたけれども、おい!大丈夫か!みたいなことは多いかも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る