第045話


 ところが、意に反して中から出てきたのは……なんと男性だった。


 それもスーツを着ている。


「誰だ?」


 俺は一瞬頭の中がパニックになった。


 え? 男? 誰? 


 俺はマンションの生け垣の裏に、とっさに隠れた。


 マンションのエントランスの自動扉が開いて、一人の男性が出てくる。


 中年男性だな。


 服装からして、海奏ちゃんの部屋から出てきた男性に間違いない。


 俺は生け垣の影から、その男を凝視した。


 その男の顔が、街灯の明かりではっきりと映し出される。


 俺は驚きで、声を出すことができなかった。


 その男性は、俺のよく知る人物だった。


「篠原……部長」


 俺の会社の上司、篠原経理財務部長だった。


 でも、なんで?


「父親……ではないよな」


 海奏ちゃんの名前は、たしか「定岡海奏」だったはずだ。


 飛行機事故で亡くなったお母さんの名前が「定岡」だったからな。


 では篠原部長とは、どんな関係なんだろう……親戚の叔父さんとか? まあ多分そんなとこだろう。


 でもなんで言ってくれなかったんだ?


 なにか言えない理由……なんだろう。


 ひょっとして「パパ活」の相手とか?


 いやいや、男性恐怖症気味の海奏ちゃんに限って、それはねーだろ。


 ただ「海奏ちゃんが俺の会社の中で知っている人」というのは、篠原部長で確定と考えていいだろう。


 あとはその関係が気になるが。


 俺はモヤモヤとした気持ちのまま、100均の店へ早足に向かった。


 早くしないと、閉店時間になっちまう。




 結局俺はモヤモヤとした気持ちのまま、土曜日を迎えた。


 海奏ちゃんは今日は昼のシフトで、帰りは夕方だ。


 日曜日もシフトは入っていないので、今度会うのは月曜日の朝になってしまう。


 Limeで連絡をして訊いてみるか?


 でもなんて訊くんだ?


 海奏ちゃんのマンションの生け垣で隠れていたら、篠原部長を見たって?


 それもどうなんだろう……もしかしたら海奏ちゃんに、ストーカーを思い出させてしまうかもしれない。


 どうする?


 でもどこかの段階で訊かないと……。


 いや、結局黙っておいて海奏ちゃんから話してくれるのを待ったほうがいい?


 俺はアゾマンプライムの無料映画を見ながら、そんなことをぼーっと考えていた。


 時間は既に夕方になっていた。


「うーん……やっぱLimeでサラッと訊くのがいいよな」


 まだスーパーでバイト中かもしれない。


 俺はスマホとにらめっこをしながら、あーでもないこーでもないと文面を考えていた。


 暁斗:バイトお疲れ様


 暁斗:昨日100均に行く途中に海奏ちゃんのマンションから篠原部長が出てきたのを見たんだけど


 暁斗:ひょっとして海奏ちゃんの親戚かな?


 まあ後で返事が来るだろう。


 俺は夕食の支度に取り掛かった。


 来週の分の下ごしらえもしておかないとな。




 それから夕食と来週の下ごしらえも済んで動画を見ていたら、かなり遅い時間になってしまった。


 俺はシャワーを浴びて、寝る準備をしたのだが……


「なんで既読にならないんだ?」


 Limeのメッセージが既読にならない。


 今までこんな事はなかった。


 ひょっとしてマンションにいないのかな?


「でも……どこかに出かけるとかも、聞いてないし」


 なんだかモヤモヤする。


 ずっと配信を続けてきたアイドルが、長い間理由もなく配信をしなくなった。


 そんな感覚だ。


「いずれにしても、もう夜も遅い。とりあえず明日もう一度連絡してみよう」


 俺は心配だったが、そのまま寝ることにした。



 ◆◆◆



 そして翌日。


「おっかしーな。まだ既読がつかない」 


 俺は心配になったが……冷静に考えると、この時点で一番可能性がありそうなのはスマホのトラブルだろう。


 おそらくは紛失か水没か。


 でも最近のスマホは耐水性能も高いので、水没は考えにくい。


 多分スマホをどこかへ忘れたか、落としたりしたんじゃないか?


 バッテリー切れは考えにくい。


 これだけ長時間スマホを充電せず放置することはありえない。


「本当に海奏ちゃんに……トラブルとか、ないよな?」


 俺は金曜日の夜に、海奏ちゃんのマンションで篠原部長が部屋から出てくるのを目撃した。


 そしてそれ以降、海奏ちゃんと連絡がとれていない。


 俺はたまらず、Limeの音声通話をかける。


 しかし軽快な呼び出し音が聞こえてくるだけで、可愛いソプラノボイスの声が聞こえることはなかった。


 嫌な予感がする。


 トラブルに巻き込まれていないといいのだが。


 もう一度スマホを見る。


 時間の表示は11:47。


 もうお昼前だ。


「ちょっと様子を見てくるか……」


 いても立ってもいられなくなった俺は、支度をしてアパートを出た。


 足早に海奏ちゃんのマンションへ向かう。



 俺は海奏ちゃんのマンションの入口に着くと、エントランスゲートの所で立ち尽くした。


「あんまりこういうの、気がすすまないんだけどな……」


 海奏ちゃんがいなければ、それでいい。


 でももし……部屋の中で倒れてたりしたら、大変だ。


 できれば安否確認をしたい。


 そのためには仕方ない。


 俺は自分にそう言い聞かせた。


「まあ暗証番号が変わっていたら、アウトだけどな」


 俺は入口の暗証ロックのキーバッドに、数字を入力する。


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