第026話


「……たまに暁斗さん、オジサン入りますよね?」


「え? そう? それはちょっとショック……」


「冗談ですよ」


 でも俺は実際、海奏ちゃんが今朝どういう状態でコロンをつけたのかと想像してしまった。


 今の時期は暑い。


 きっと……服を着る前にコロンを手に取って、首や胸元につけているんだろう。


 俺は下着姿の海奏ちゃんを想像する。


 きっと上半身はブラだけで……この時点で興奮している自分は、もう立派なオジサンである。


「あ、花の香りがするね。うん、思った通り可愛い海奏ちゃんのイメージにぴったりだ」


「もう……そういうのいいですから」


 海奏ちゃんはまたカバンを俺の顔に軽く押し当ててきた。


 照れてる海奏ちゃんは、本当に可愛い。


「試験も終わりましたし、もうすぐ夏休みです」


「あ、そうか。いいなぁ。俺も夏休みほしいよ」


「社会人は大変ですね。あ、でも夏休み中は、私もシフトを増やしますよ」


「そうなの?」


「はい。それでお昼間のシフトも増えるので、そのときは帰りは一人で帰れますから」


「えー! そうなんだ……」


 俺は声が少し大きくなった。


 ちょっと待て。


 夏休み中は電車の中で会えないってことだろ?


 それで海奏ちゃんの夜のシフトが減ったら、一緒に帰れないじゃないか。


 それはマズいな。


 俺の推し活の時間が減ってしまうぞ。


「今よりも海奏ちゃんに会えなくなっちゃうんだね」


「え? は、はい……まあ、そうですけど……」


「じゃあその分、なにか美味しいものでも食べに行こうか? ラーメンだけじゃなくってさ」


「はい……連れてってくれますか?」


「もちろんだよ。じゃあ行きたいところをリストアップしといてよ」


「はい、そうします。楽しみです」


 海奏ちゃんは嬉しそうに笑った。


 その笑顔はいつもの可憐な笑顔というよりは、遠足を楽しみにしている子供のような笑顔だった。


 最近海奏ちゃんは、俺にいろんな顔を見せてくれるようになった。


 それだけ俺に気を許してくれている証拠だろう。


 そんな事を考えるだけで、俺は嬉しくなった。




 8月の第一週目。


 東京は連日猛暑日を記録し、溶けそうな暑さだ。


 俺は平日有給を取って、税理士試験の財務諸表論の科目別試験を受けた。


 今年でもう3回目になる。


 年1回の税理士試験は、平日に行われる。


 去年までは会社に黙って試験を受けていたが、今年は岩瀬課長と槙原主任には試験のことを話しておいた。


 昨日お二人からも、励ましの言葉を頂いた。


 それに海奏ちゃんは天神様にお参りして、合格祈願のお守りまで取ってきてくれた。


 このお守りの効果が出てくれるといいのだが。


 試験は……一応解答用紙は全部埋めた。


 合格する自信があるかどうかすらも、よくわからない。


 まあ毎年そうなんだけど。




「試験、おつかれさまでした」


 試験が終わったその日の夜。


 久しぶりに夜のシフトに入っていた海奏ちゃんと一緒に、スーパーナツダイからの夜道を二人で歩いていた。


「あーもう、本当に疲れたよ。あとは海奏ちゃんにもらったお守りの効果がでてくれるといいんだけど」


「ふふっ、そうだといいですね」


 今日の海奏ちゃんはスポーツブランドのTシャツに、アンクルパンツというラフなスタイル。


 こうして薄着だと、海奏ちゃんは本当に細身で華奢だ。


 ちゃんと食事を取っているのか、少し心配になる。


「でもこうして海奏ちゃんと話しているだけでも、癒やされるよ。『アイドルに癒やされる』っていう気持ち、なんだか分かる気がする」


「アイドルって……じゃあ私、もうちょっとアイドルっぽくした方がいいですかね?」


 海奏ちゃんはいたずらっぽく笑う。


「アイドルっぽくって?」


「えっと……こんな感じで」


 そう言って海奏ちゃんは両腕を俺の前に突き出して、手のひらをヒラヒラと動かしながら……


「暁斗さぁーん! 今日は会いに来てくれて、ありがとー! みたいな?」


「おおっ!」


 これはなかなかの破壊力だ!


 海奏ちゃんがライブ会場で、ファンの声援に応えているシーンが目に浮かぶ。


 海奏ちゃんはノリノリでやってくれたが……さすがに恥ずかしかったのか、顔を真赤にして足をジタバタとさせている。


 またその仕草が、メッチャ可愛い!


「海奏ちゃん、それやって! 毎回やって! 朝の駅のホームでも、スーパーのレジでも!」


「い、いやですよ! 恥ずかし過ぎます。レジでやったら普通に店長に怒られますよ」


 まあそうだろうな……でも時々頼んでやってもらおう。


 やってたときは、結構海奏ちゃんノリノリだったし。


「ところでさ。海奏ちゃん、週末時間ある?」


「えっと……土曜日はシフトが入ってるんですけど、日曜日は空いてます」


「じゃあラーメン、食べにいこうか?」


「え? 本当ですか? 行きたいです!」


「じゃあそうしよう」


「はい、楽しみです。どこに行きますか?」


「どこでもいいよ。海奏ちゃんの好きな所で」


「いいんですか? じゃあ冷やし中華はどうですか?」


「あ、いいね。暑いし」


「そうなんです。やっぱり暑いうちに冷やし中華を食べておきたいんですよ」


 海奏ちゃんは、楽しみにしてくれていたようだった。


 こういうところは、本当に子供っぽい。


 俺にも妹がいたら、こんな感じだったのかもしれない。


 週末はアイドルと冷やし中華を食べに行く。


 俺はまたそんな推し活イベントを楽しみにしていた。


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