第010話

 そうして山下町の交差点から歩くこと5分。


「ここです」


 海奏ちゃんはそう言って立ち止まった。


 正面には比較的新しくて綺麗なマンションがあった。


 でもここって……


「ここって、ワンルームマンションじゃない?」


「はい。私、一人暮らししてるんで」


「え? そうなんだ」


「はい。ここ、女性専用のマンションなんです。だから私も一応、自炊派なんですよ」


「そうなんだね。大変だ」


「そうでもないですよ。えっと……それじゃあ。送っていただいて、ありがとうございました」


 そう言って海奏ちゃんは、俺に頭を下げた。


「いや、こちらこそ素敵な特典をありがとう。じゃあ……またね」


「はいっ」


 彼女はそう言って踵を返し、マンションの中へ入っていこうとする。


 おいおい俺!


 これで終わりなのか!?


 このチャンス逃してどうするんだ!


「えっと、海奏ちゃん!?」


「……はい?」


 彼女は立ち止まって、振り返った。


「えっと……次のシフトって、いつか訊いてもいい?」


「えっ?」


 海奏ちゃんは一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、ニコッと微笑んだ。


 うっわ、もう……いちいち可愛い……


「はい、えっと……明日はお休みで、明後日の夜ですね」


「同じ時間?」


「そうです」


「じゃあ……また買い物に行ってもいいかな?」


「えっ?……はい、お待ちしてます」


 彼女はまたニコッと笑って頭をさげた後、「それじゃあ」と行ってマンションの中へ消えていった。


 俺は「よっしゃ!」と小さくガッツポーズをして、彼女のマンションを後にした。


 スキップでもしたいくらい、俺は浮かれていた。



 ◆◆◆


 

 そして2日後。


 時刻は夜の9時40分。


 俺はアパートを出て、スーパーナツダイへ歩いて行く。


 俺はちょっとした手土産を片手に、足取りも軽やかだ。


 ナツダイの入口からはいって、今日は生姜とニンニクを持ってレジへ向かう。


 すると……今日も彼女のいるレジが、ひときわキラキラと輝いている。


「こんばんは」


 海奏ちゃんの方から、声をかけてきてくれた。


「こんばんは。遅くまでご苦労さま」


「いえ、ご来店ありがとうございます」


 彼女は如才なくそう言って、生姜とニンニクのバーコードを読み込んだ。


「今日は……サービス特典はあるのかな?」


 俺は自分の心臓がバクバク音をたてているのが聞こえる。


「えっと……お願いしてもいいですか?」


「ああ、もちろん。そのつもりで来たし」


 俺は心の中でガッツポーズ!


「ありがとうございます」


 彼女はそう言って、俺にカードとレシートを返してくれた。


 その時……俺の指と彼女の指が、わずかに触れた。


「あっ……」


 海奏ちゃんはびっくりした表情で、手を引っ込める。


「あ、ごめん」


 俺もそう謝った。


 手が触れただけでこの反応……どんだけウブなんだ? 可愛いかよ。


 俺はそんな呑気なことを思っていたが……彼女の表情を見ると、なんか違う。


 男性と手が触れて、「嬉し恥ずかし」という表情ではない。


 その表情は……なにかを怖がっている表情だ。


 恐れ・恐怖といったような。


 もしかしたら海奏ちゃんは……これはちょっと注意しないと。


「じゃあ、あっちで待ってるね」


「はい、すいません。私もすぐに行きますから」


 俺はそう言って、この建物の従業員通用口の方へ回った。




 従業員通用口の前で、俺は海奏ちゃんを待ちながらいろいろと思考を巡らす。


「おまたせしました」


 俺の思考を途切るタイミングで、可愛いソプラノボイスが聞こえた。


「うん、じゃあ行こうか」


「はい」


 俺は海奏ちゃんと連れ立って、彼女の自宅方向へ向かった。



「海奏ちゃん、これ」


 俺は自宅から持ってきたビニール袋を彼女に手渡す。


「? なんですか、これ?」


「エビマヨを作ったんだ。ほら、この間マヨネーズ買いに来たでしょ?」


「あーっ……それでエビマヨを作ったんですね。凄いです」


「そんなに難しくないよ。油で揚げ焼きしないといけないのが、ちょっと面倒だけどね。だからちょっと試食してみてくれる?」


「いいんですか? じゃあ……遠慮なくいただきますね。明日のお弁当に持っていきます」


「気に入ってもらえるといいんだけどね」


「きっと美味しいです」


 彼女はにこやかにそう答えた。


 うん、やはり一人暮らしだったら、こういう差し入れは歓迎されるはずだ。


「ところで……ご家族は別の所にいるの?」


「はい。ここからだと電車を乗り継いで1時間ぐらいのところですかね。一応そこからでも、十分通学圏内なんですけど……」


「そうなんだね」


 なにか事情がありそうだが、俺は今はあえて訊かないことにした。


 そりゃあ誰にだって、訊かれたくないことは一つや二つはある。


 俺たちは歩きながら、料理の話で盛り上がった。


 なかでも……


「あ、私もリョウジさんのYoutube、参考にしてます」


「あれ、いいよね。簡単だし美味しいしさ」


「そうなんですよね。材料も少なくてすむようなメニューもたくさんありますし」


「そうそう。一人暮らしの味方だよ」


 リョウジのYoutubeで話がはずんだ。


 彼女も一人暮らしで自炊派だった。


 俺は歩きながら、となりの海奏ちゃんを垣間見る。


 そして俺と彼女の歩いている距離感を見て、ちょっと納得した。


 というのは、二人の距離感がとても微妙なのだ。


 遠くはないが決して近くもない。


 そして俺が少し距離を詰めると、彼女が少し遠ざかる。


 おそらく……彼女は軽度の男性恐怖症なんじゃないだろうか。

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