ガンライフオンライン

わふ

第1話

プロローグ 黄昏、空になった試合場で


 道場の窓から西日が差して、防具を照らしていた。

 試合場が一つあるだけの、小さく古い剣道場。床には薄っすらと埃が溜まっていて、足の裏がザラつく。一か月前、毎日掃除していた頃は、傷や色褪せは目立ったが綺麗だった。

 学校帰りの一ノ瀬イチノセカズヤは制服のまま、竹刀を左手に納めて試合場の外に立っていた。

 かすれた白線で作られた、一〇×一〇メートルの正方形。

 そこへ、右足から一歩入る。礼。自然、口にしていた。

「お願いします」

 帯刀。三歩。抜刀。竹刀を構えて蹲踞そんきよする。身体にしみ込んだ所作。

 相手は、いない。審判のいない、無音の『始め』を合図に立ち上がる。

「ィヤアアアアアアアア――!」

 ひとり、気勢をあげた。

 小刻みに揺れる剣先が、打突の機を窺う。素手で握った柄はツルツルに摩耗しているのに、籠手の鹿革がない分だけしっかりと伝わり、自身の腕の延長が如く。

 いないはずの、対峙する相手を睨む。面金の隙間から覗く、細く綺麗な双眸。

 架空の相手は、結局公式戦では一度も戦わなかった。

 最後の部内戦でも、延長に次ぐ延長で、時間切れ。決着はつかなかった。

 目を瞑れば、そこにいるかと錯覚するような、息遣いすら聞こえてきそうなほど慣れ親しんだチームメイト。

 誰よりも剣を交えてきたのに、最後は言葉もかわさなかった。彼は先に、次へ向かって行ってしまった。心残りはなかったらしい。カズヤだけが今もこうして、ここに取り残されている。

 じりりと足が床を這う。目と剣を交わし、正中線を奪い合う。攻め合い。

 互いに飛び込み、打ち合う相面は、はやく、そして中心を奪った方に軍配が上がる。

「ッ!」

 静と動の狭間で、確かに実感した一本を思い出して――

「……」

 結局、構えを解いて、面は打たなかった。もしくは、打てなかった。

 それは相手がいなかったからかもしれないし。もうなくなった大会に、居場所に、未練がましいと感じたからかもしれない。このままでは次にいけない、と。

「――」

 試合の開始線に戻る、その途中。

 道場の一角、そこにいたような、とある剣士の記憶を思い起こす。

 十年ほど前、初めてこの道場に来た時に見た一人の少女。

 小さい体で、居合刀を自分の身体のように振り回す姿はただただ美しく――現実味がないほど、綺麗だった。

「一度も……会えもしなかったな」

 記憶の捏造か、白昼夢か、あるいは真夏の日の陽炎か。

 やめる日になってそんなことを思い出す自分に、少しだけ嫌気が差した。

 道場の入り口で礼をすると、最後に空になった県大会優勝旗の台座が見えた。


 立て付けの悪いドアは、軋みをあげて閉じられた。慣れ親しんだガチャリという施錠。いつもの癖で鍵をカバンにしまおうとして、もう必要のないことに気が付く。

 道場を出て、その横の建物へと向かう。武家屋敷を思わせる純和風の玄関。厳かな『霧咲キリサキ』の門扉に設置された木製ポストに鍵を入れることで、最後の別れの挨拶が完了する。

 三年間入れていたカバンと、心を空っぽにして、背を向けた。


『――居場所が欲しいの?』


「!」

 少女の声に、振り向いていた。

 ゲームの宣伝らしい。誰もいないリビング。開いた窓から覗く巨大モニター。

 そこに、真っ白の少女が映っていて、こちらを見ていた。

『ここがそう。戦場。思いのままに駆け、出逢い、撃ち合う闘いの場』

 流れてくるのは、鈴を思わせる高く綺麗なソプラノ。

『いこう』

 凛とした声。荒野を駆ける白装束の女の子。

 少しあとに、四人のチームメイト。先頭を走る彼女の両手には白銀迷彩の短機関銃サブマシンガン。次々に敵を屠っていくその姿は強烈に、カズヤの瞳に映った。

「ッ」

 息が止まっていた。空虚な乾いた心に一滴だけ沁みわたるかのように、深く。

 あるいは、それは弾丸に胸を撃ち抜かれるような、衝撃の邂逅。

 新しい戦場。新しい居場所。現実にはない電子の世界。

 驚くほど整った、ゲーム内アバターの表情。キリッとした顔が和らいで、問いかける。

『アタシと一緒に戦いましょう』

 差し出された右手。真っ白の、小さな手のひら。

 呼ばれている気がした。モニター越しの勧誘。

 それが、カズヤとサキの出逢いだった。

 ゲーム名は――

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