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 こうした公爵家内部でのあれこれはさておくとして、夫人達のお披露目パーティーが公爵家主催で行われることとなった。姫を慕って母国から後宮の夫人ら数百名が移住した旨は派手な一団だったことも相俟って既に社交界では知られており、隠し立てなど無駄とばかりのそれに誰も彼もが参加を希望している。またナジュマは今まで茶会が主であった為、実質的にはこれが初のパーティーとなるのだった。

「ナジュマぁ、これがいいわよぉ〜」

「絶対こっちの緑よ!」

「いいえ、緋色でしょ」

 喧々諤々、ナジュマの衣装を巡ってやり合う母達の姦しさすら懐かしい。

「こちらの国らしいドレスじゃなくて本当にいいのかい?」

 蚊帳の外にいるナジュマは、半ば無理矢理参加を余儀なくされているヒネビニルに縋って問いかける。身体が大きい割に離宮に入った途端借りてきた猫のように動かずにいるヒネビニルは、ナジュマの問いに顎を掻き……、うんとひとつ頷いた。

「王家主催のパーティーでは着てもらうことになるが、貴女にはそちらの方が似合うと思う」

「ネビィ!」

 しっかとヒネビニルに抱き付くナジュマに、母達はにっこり笑顔を向けている。

「相性がよさそうでよかったわあ〜」

 かくして異国情緒溢れる豪華絢爛なパーティーが始まった。公爵家は通例として、派閥に偏ったパーティーなど行わない。公爵家自体が既に王家に匹敵する公人扱いである為、わざわざ差を設けないのだ。ゆえにあらゆる貴族へ招待状が出されており、欠席に対して正式な連絡さえあれば目くじらを立てることもない。遠方に住まう者、或いは王家を慮る前時代的な者以外はほぼほぼの貴族が集結し、裏で公爵家騎士団とほとんどヒネビニル個人の副官であるマリス率いる軍部の一部とが嵐のように走り回っている。

 主役は勿論ナジュマ達で、ありとあらゆる貴族達がヨノワリの最高位を戴いた女達の想像だにしない華美さに驚いてはお近付きになりたがる素振りを見せた。……とはいえ女達の只中にドンと存在するヒネビニルという壁に、男達は羨ましげに、そして言葉少なに挨拶だけして去る羽目になっている。そんな絵面に哀れみを覚えるのは公爵家の家族ばかりだ。

「兄上、男の本懐すぎる光景に見えるそうです」

「何を言っている……私はこの場で一番に権限のない男だぞ……」

「よそには……わからないので……」

 兄弟のぼそぼそとした会話をよそに、ナジュマはほくほくと会場を見渡していた。今日日は茶会の時とは違って誰も彼もがそれなりに自制しているから穏やかだ。ナジュマの関心を得ようと無遠慮に近付いてくることをしないので、好きなだけヒネビニルや母達と共にいれる。

(なんていい光景だろう)

 昔はこんなに自由に皆といられる未来があるだなんて考えたこともなかった。物語のどこにも引っかからない異国ヨノワリの後宮の奥深く、ずっとただ生きて死ぬのだと思って。

(この力だって、物語に無関係の女の中になんの為にあるのかすらわからなくて……いや、それは今だってわからないけれど)

 もしやナジュマは神が不用心に起こしたさざなみで生まれた、この世界の異分子なのかもしれない。それでもナジュマは幸せになろうとしているし、今正にその最中だ。あとは王宮の面倒ごとを片付けて、ヒネビニルとの結婚に備えなければ。

「ナジュマ!」

 不意に一人の母に呼ばれて顔を向けると、母達が一組の少しばかり年嵩な夫婦の話を聞いていた。

「ここで真珠が手に入るんですって!」

「母様、まだ真珠が欲しかったの?」

「貴女の肌には真珠の粉よ! 金でも勿論素敵だけれど!」

 商人でもあるらしいどこかの貴族夫妻は、母達の真珠を砕いて粉にするだの金粉と共に肌に塗るだのという会話を聞いて目を白黒させている。

「ついでに翠玉はあるかしらね」

「そっちもまだ諦めてなかったの? まあいいや。そちらの方、わたしがナジュマよ」

 諦め半分ナジュマが息を吐くと、ハッとした主人の方が胸に手を当て、大仰に挨拶をくれた。随分と腹の肥えた男だが、装飾品を見るに肥えるほどには金満であるらしい。

「お名前を賜り恐悦至極! 私はレベッロ商会の主人、レベッロ男爵でございます」

(メラービルの親!)

 頭の天辺から稲妻を受けたような刹那、ナジュマはほとんど無意識でレベッロ男爵の名を検索していた。


【ジェイム・レベッロ】

 当代レベッロ男爵。若かりし頃に貧乏な実家に辟易し一念発起、長くはかかったが外国で一旗挙げて帰国し爵位を継いだ。昔の苦労や失敗は忘れるタイプ。長年の外国暮らしの中子供に恵まれず、美しさを見初めたナーヤを養女、その姉メーヤを侍女に引き取るが、ヨノワリで女で失敗した上に賄賂にも失敗。姉妹を生贄にヨノワリを出国した。その後帰国し、遅まきながらメラービルを得て甘やかして育てることになる。


(なんだ、この胸騒ぎは)

 ナジュマは今、自ら索引を手繰ってはいない。だのに脳内で次々と名前が浮かんでは消えていく。


【メーヤ】

 ヨノワリ国王女ナジュマの乳母。家族は妹のナーヤ。孤児院でナーヤの将来性のある美貌に目を付けたレベッロ男爵が彼女の世話係としてメーヤも引き取り、そのままグランドリー王国へ入国して生きる筈であったがしかし、運命は変えられた。仕事の失敗の生贄として共に捨て去られ、容色は平凡であった為王の手付きにはされず、後宮で妹の世話をし、妹の死後は姪の世話をし続けることになった苦労の人。


(メーヤ)

 妹、姪、なんの話。

 ナジュマは何もわからない。ひたすら知らぬ情報を強制的に読まされている。誰に? そんなこと、そんな、


【ナーヤ】

 孤児にありながら将来性を感じさせる磨けば光る玉であったことが彼女の不幸であった。我儘を言うことで姉のメーヤと離されることだけはなかったが、金持ちの貴族の養女として社交界に出る人生から一転、賄賂として政府高官の手に渡されそのまま王の褥に転がされることになる。妊娠期間中は後宮で一番に大事にされたが生まれた子供が女であった為に環境は一変、また年若すぎたナーヤに出産は大いに負担となり、産褥熱に侵されメーヤが縋るのをよそに砂漠に捨てられて人生を終える。享年十五歳。娘の名前はナジュマ。


(──かあさま!)

 ……刹那の大事であった。現実には瞬きひとつほどのこと、ナジュマはしばし目頭を押さえてレベッロ男爵に笑顔を見せる。

「レベッロ男爵か。母達が姦しくしてすまないね。しかし入り用の物は伺いを立てるのが筋だと思うから、まずは公爵達に訊いてみることにするが構わないかい?」

「ええ、ええ、勿論でございます! もしご用命の折にはいつなりともすぐに駆け付けますとも!」

 レベッロ男爵はそれだけ言うと笑顔を向け、妻を伴って素直に引き下がった。無闇に縋らぬところを見ればそれなりに有能であろう、商人としては。


 ──さりとて、人としては如何ばかりのものか。


(なるほど、そういうことか……)

 ナジュマが神の起こしたさざなみで生まれた世界の異分子なのではない。ルゥルゥの運命を変えたものすら実はナジュマではない。

 そもそもの話として、見た目から明らかに異国民であるルゥルゥがグランドリー王国の貴族内で主人公として問題なく立ち回りが出来る設定であったのは何故か。前例があったからだ。レベッロ男爵家の養女ナーヤ。異国民であるナーヤが先んじて社交界にいた為、ルゥルゥを受け入れる土壌が少なからず構築されていたという背景だったのである。

 そうした全てを塗り替えたのはレベッロ男爵の不用心なつまずき。少しばかり仕事が波に乗ったからと女にうつつを抜かし、仕事の手を緩めた矢先のヨノワリ高官との交易での大失態。結果として二人の女の運命を明確に変え、そののちに生まれし子供達が今この国に集っているというわけだ。

 ──レベッロ男爵は都合の悪い過去を忘れる質であるという。ならば既に養女達のことは忘れているだろう。実子を舐めるように甘やかす横、無意に捨てられて地に伏した娘達のことなど欠片も記憶にないに違いない。

 ナジュマはヒネビニルの胸元に顔を寄せ、ぎゅっと目を閉じた。

「ナジュマ?」

「ネビィ、やりたいことが出来た。少しばかり強引に進めるが、まずは聞いてくれるかい?」

 パッと開いて見上げた黄金の瞳に巌のような男が映る。この男に出会う為にナジュマは遠路はるばる国を越えた。──そして全ての乱れを整えることを暗に求められ、更にその先、二人の幸いが確かに存在している筈なのである。

「勿論だナジュマ。いつでも言いなさい」

 ナジュマはこの男を既に愛しく思っている。不器用なまでに家族を愛するヒネビニルのその腕の中に、ナジュマも含めてほしい。だからその為なら幾らだって、金も力も使ってみせよう。

(レベッロ男爵、これはお前が狂わせた物語だ)

 この物語に生まれた穴を補填せよと、知らぬ物語の我儘な神がメラービルを……、そして最後の切り札にとナジュマを遣わしたのだ。

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