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「お初にお目にかかります」

「あら……あらまあまあ……」

 メラービルからの招待状を受け取ってしばらくのちのことである。ナジュマは少数人の連れと共に王城にやってきていた。

 しかしその姿は常のナジュマではない。胸を潰して男装し、整えぬ蓬髪を手櫛で纏めるようにしてみればナジュマは大柄なことも相俟って顔立ちのよい男性に見える。そもそも人種の違いや文化の違いもあるものだから、その性差を見破ることは至難であろう。

「ナジュマ姫よりご紹介に与りました、しがない商人〈ジェマイマ〉と申します」

 ナジュマの都合が付かず、代わりといってはなんだが希少な商品を持つ商人を一度お目にかけたく、と返信を送れば不機嫌さを感じさせる動きがあったらしい。だがそれでも異国の品には興味があったのだろう、最終的に商人向けに王城への入城許可証をいただいて使者が帰参した次第である。

 その許可証を持参したナジュマが下働きに扮したルゥルゥその他数名を連れて王城を訪問したのが本日のこと。案内された部屋は相変わらずナジュマの感覚で言えば貧相だ。

 勿論、その感覚に相応しいほどナジュマは煌びやかな格好をしているものだから、やってきたメラービルはその華やかさに目を瞬いた。ついでに砂漠から持参した珍しい品(という触れ込みのナジュマには特に不要な品物)を広げれば目の色を変えて上機嫌になった。

「なんて素晴らしいのかしら! 貴方、私の家と契約しない?」

 喜んで手を叩くメラービルにナジュマは笑顔で口を開く。

「申し訳ございませんが商いにて流浪の身、此度もこのあと大皇国皇宮に戻るよう言付かっております」

 次の予定が大皇国、しかも皇宮とあれば流石のメラービルも口を挟めない。王太子妃とはいえ、生粋の皇族とは身分があまりにも違いすぎるのだ。

「惜しいわジェマイマ。貴方なら私の無聊を慰めてくれたでしょうに」

 流石男を誑し込むことに注力し続けただけのことはある。囁かれる言葉、そのひっそりとしたか弱い様に、けれどナジュマは心惹かれない。

 ──自身が女であるという以前に、ナジュマの美意識ではナシのナシだ。性格が可愛らしければそれで十分お釣りが出たのだが、メラービルのそれはアルティラーデによく似て性質の悪さが浮かんでいる。こんな腐った果実に手を出す暇は一寸足りとてありはしない。

「有難いお言葉です妃殿下。またお会いする機会に恵まれました折には、是非このジェマイマにその花のような唇から再度愛らしい言葉を零していただけますよう」

「上手いのね!」

 目尻を歪めてにじり寄るメラービルに、けれどナジュマは焦るでもなく「騎士様が見ておられますよ」とそっと告げた。部屋の隅、最初からずっと侍っている男がじっとナジュマ達を見つめている。

 それを横目で見たメラービルはゆるりと扇子を振って微笑んだ。ふんわりとした装いが相俟って花のようでもあるが……目の肥えたナジュマからすれば無為に栄養を偏らせた無残な花だろう。

「ああ、いいのよ。ハワードは特別なの。わざとよ」

「よいご趣味をされておられますね。わかりますよ、女人は一層一番に構われたいものです」

「そうよ、そうなの! 貴方もいつか私と遊んでくれたら嬉しいわ。皇女よりもずっと贔屓にしてあげるから」

 持ち込んだ品を全て譲り渡し、ナジュマは悠々と城を出た。颯爽と去っていく異国の商人の後ろ姿をメラービルは惜しく見つめている。その横、侍るハワードが呟いた。

「殿下、お戯れは」

「ちょっとくらいいいでしょう? だって身重では殿下も、貴方だって私を構ってくれないのだもの」

「尊いお身体ゆえです」

「もう、早く産んでしまいたい! ……ねえ、次は貴方の子を産むわ。大丈夫、私と貴方、髪の色が似ているんだもの。バレやしないわ。きっと可愛い子が生まれるでしょうね」

 囁いたメラービルは猫の目をした男の、桃色の髪を一房撫でて寄り添った。……部屋の中には、誰もいない……。

 他方、ナジュマはルゥルゥと馬車の中で行儀悪く足を崩して話をしていた。

「側にいた桃色の近衛が浮気相手だなあ。ついでに妊娠中だ」

「妊娠の報はございました?」

「いや、聞いていないね。テルダに言われた覚えがない。きっと公にしていないんだろう」

 普通なら妊娠が安定するまで秘匿しているのか、もしくはそれ以外の何がしかの理由があると穿って見るが、相手はあのギーベイである。一番にいい頃合いを図っているだけなのだろうし、ついでにその間にメラービルより条件のいい女が出てくれば鞍替えする気でいるのだろう。それこそナジュマが入国した時のように。

「それにしたって、浮気相手にするにはあんまりにも近すぎませんか? 流石に露見しすぎると思うのですが」

「近いからいいんだよ。妊婦はあまり遠くに手が伸ばせないし、外出も制限されているんだろう」

「妊婦なのに!」

「そんなものだよルゥルゥ。それに浮気は妊娠前からだ」

 まったく面白い、と呟くナジュマの目は酷薄に歪む。ルゥルゥが「またお会いされるので?」と問うのに、けれどナジュマは首を横に振った。

「会うことがあるかなあ。ない方がいいと思うけれどもね」

 

【ハワード・エルウッド】

 エルウッド侯爵家次男。実母に愛されて育った自己肯定感の強い、法務大臣の息子。近衛と他称されているが実際には王太子妃の指名で側に上がっているだけの平騎士。……間違った自信であらゆる悪事に手を付け口先だけで全てを回避してきた為、表立っては身綺麗。詰めの甘い小悪党で、性質が悪いが愚かなので穴がある。過日、令息を借金沼に落とし、またある時は令嬢を襲って傷物にして逆に脅しの材料とし──。

 

「わたしはね、女は好きだけれど、後宮の主ナジュマとして托卵する女を許す器量はないから」

 テルディラに会おう。……どんどんしなければならないことが増えていくなあ。わたしはこの国でヒネビニル殿とのんびり暮らしたいだけなのに。

「あ〜! めんどくさいなあ〜!」

「ぜ〜んぶ放ります?」

「やだ〜! 頑張る〜! 色々証拠を揃えたいから後手に回るけど頑張る〜! 平和な結婚生活の為に頑張る〜! 頑張るよルゥルゥ〜!!」

「畏まりましたわ姫様〜! ルゥルゥもお伴しますからね!」

 メラービルの悪いところは自分の都合のいいところしか見ないところ。自分が王妃と同じく社交界で爪弾きにされていることに気付かないところ。アルティラーデとそっくりそのまま、自分の世界だけにいるところ。

(無知だからこそ世界はただ光り輝いているのだろう。深く知る者はその輝石の複雑な光の陰影にまで目が行くものだけれど)

 メラービルは王家の現状も、将来も、己の真の立場も、何も知らない。

 そして愚か者には愚か者が添うと古今東西決まっているのだ。

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