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 ハルフォーン伯爵家とマリーログ子爵家の顛末は瞬く間に広がった。この件にナジュマが関わっていることもそこかしこで囁かれてはいるが、誰も直接的には言ってこない。唯一ケーティニアがナジュマに傾倒している様を証拠とするばかり、何故問うてこないかと言えばナジュマが大皇国皇女であり公爵家に嫁入りを控えた高位の女性であるからだった。

 ナジュマはグランドリー王国にやってはきたが、未婚の現在王国民ではなく大皇国民である。つまり不祥事は全て国際問題となるのだ。大皇国と国際問題? 王家ではあるまいし、良識ある一般貴族はそんな虎の尾を踏むような真似はしない。

 ……と思っていたが、勿論良識のない者も数多いた。一人そうした者が出ればそれを皮切りに次々と間抜けが釣れるものだ。

「ナジュマ姫におかれましては不思議な力をお持ちとか。是非私の運を見ていただきたい!」

「ナジュマ姫は将軍と縁を結ばれるそうですわね。なんてお可哀想に……! 私でよろしければ是非お側に、お慰めになりましょう」

 そうした者達を、ナジュマは笑って罰した。

「愚か者には教育が必要だろう」

 ルゥルゥが静かに鞭を差し出して、ナジュマはそれを公爵家の騎士に与えたのだ。これには誰しもが戦慄した。

 無礼には教育が必要である。これは元々後宮で行われてきたことで、人間の上下を教え込むのに有効だった。話せばわかるならここまではしない。しかし愚か者は話してもわからぬから愚か者なのである。

 ナジュマは王女にして皇女、髪の毛一筋たりとも他者に侮られることなどあってはならない。

 こうして罰を与えられた者は全て低位貴族であった。ナジュマは奴隷から貴族まであまねく女を侍らせてきたから、今更生まれにはこだわらない。ただ、分別のない人間だから低位貴族のまま燻り、ついてはナジュマの罰を受けるようなことになるのである。

 ナジュマは常に笑顔で快活であったからあらゆる人間が近付いてきた。侮ったのだ、ナジュマを踏み台に公爵家に踏み込めると。ナジュマはそんな馬鹿者達を全て打ち据えさせた。笑顔のまま、一切の妥協なく罰を与えた。

「お前は汚い悲鳴しか出せないの?」

 美しい顔で当然のように言うナジュマに、畏れを抱いた者達は静かに去った。去った者は後ろ暗く己に不安があると宣言しているようなものであるがとにかく、代わりに侍ったのは分別を弁えた者達だ。

「物事には道理と順番がある。弁えぬ者を寄せるようなナジュマではない」

 ナジュマはにっこり笑って女性達の手を取り、或いは何かを囁いた。

「信じるかは任せる。ひとつ言うならば、わたしは貴女達の敵ではないよ」

 砂漠に与えられる月夜の穏やかさ、日中の苛烈なまでの熱。ナジュマは確かに砂漠に生まれた女で、高貴な女であった。……。

 そうして幾つかの運命を変え、ルゥルゥの他に一人の侍女を引き入れた頃、ラディンマラ夫人達から訪いがあった。二人は改装して鮮やかになり裸足でも駆けられるようになった部屋の半分、元のとおり靴を要する範囲でどことなく窮屈そうにナジュマと対峙している。

「貴女が告げた全ては外れることがありませんでした。騎士、書記官、立ち会った者達は皆間違いなく現場を確認しております」

「よかった! 少しは貴女達の信用に足るといいんだが!」

 高座に胡座を掻いてカラカラと笑うナジュマに、テルディラは一度瞼を伏せ……、しっかりとナジュマの黄金の眼を見つめて問いかけてきた。

「貴女はわたくし達夫婦の運命はもうあの女によっては揺らがないと言いましたね。では、揺らいでいたいつか、わたくしや夫は、ヨナビネルは、どうなる未来があったというのか教えてちょうだい」

 これが本題か。ナジュマがパンと膝を打つとラディンマラ夫人の肩が微かに震える。しかし覚悟をもって求められたのなら、ナジュマは誠意を返すと決めていた。

「テルディラ、貴女は王家を籠絡した女の血縁として責任を取らされ、吊られた。一族郎党全て、つまり貴女の妹も連座だよ」

 穏やかに語られる消えた末路たるや。

「……」

 ナジュマはテルディラ自身の家族構成など教えられてはいない。そしてこの間、ルゥルゥと新人の侍女の他、大皇国からの密使がいないことを公爵家として確認していたことも知っていた。

 つまり、否定の仕様もなく全てはナジュマの内から出ていると二人は認めねばならない。

「ヨナビネルはアルティラーデが王家へ近付く為の踏み台とされ、状況に困惑して弱ったところを付け込まれて犯された。そのまま頭がおかしくなって軟禁され、余生を送ることになっていた。あの侍従とね」

 ナジュマは美しいヨナビネルを思い起こす。その後ろにいつも侍る大柄の男。侍従らしからぬ男だと思ってはいたが、その身ひとつで護衛も兼ねているのだと理解すればなんということもない。

 ヨナビネルは多くの護衛すら伴うことが出来ないのだ、その美しさ故に。

「ヨナビネル、あの顔がいけないんだね。過激な信奉者が多い。特に歳を食っても権力のある類の老人に」

 ふうと溜息を吐いた途端、ラディンマラ夫人が食い付いてきた。どんな老人かわかるかという問いに、ナジュマはややあってから「何人かいる」と呟く。

「悪い道筋は何本かあって、それぞれで出てくる者が違うのだけれども……ヨナビネルが慰み者にされるのは変わらない。顔はわからないけれど、名前は全員わかる。必要かな?」

「全員教えてちょうだい」

「わかった」

 言わず手を差し出せば、ルゥルゥが薄紙とペンを渡してくる。インクを付けてはすらすらと何人もの名前を書いて、ひらひらと乾かすように振ったそのほとんど呪われた紙を、ラディンマラ夫人は殺意を隠さない顔をして摘まみ上げた。

 どう使うのかナジュマは知らないが、きっとまた幾人もの運命が変わっただろうし、むしろ変わるべきであろう。だってヨナビネルはナジュマの義弟になるのだから。

「本当に有難う。このお礼は必ずするわ」

 真剣な顔でラディンマラ夫人が言うのに、ナジュマは穏やかに笑った。

「構わないよ、家族のことだもの。今のヨナビネルなら今後も問題ないでしょう。運命が変わって、テルディラの為だけに鍛えたんだ。きっと何かあっても自力で対処出来るさ! なんたって消えちゃった道筋のヨナビネルはヒョロヒョロで、どうしたって風に吹かれて倒れる男だった筈だからねえ」

 あっけらかんとしたナジュマの言い様に、対面のテルディラも噴出するように笑った。ヒョロヒョロのヨナビネル、という表現になんだか緊張の糸が切れてしまったらしい。

「そうね、ヨナビネルはわたくしの為に頑張ってくれたの……」

 テルディラも気を張っていたのだ。常に己の為に、ヨナビネルの為にと。アルティラーデの厄は遠ざかって、残りはラディンマラ夫人が握ったのだからきっとどうにかなる。

 ──そしてわたし達は家族になるのだ。

 しばらくののち、ルゥルゥが煎れた香辛料が沢山入った茶を舐めるようにしながら、すっかり憑き物が落ちたかのようなテルディラがふと視線を上げた。

「それにしても、どうしてあの女とヨナビネルの縁は繋がらなかったのかしら。何をどうして運命が変わったというの?」

 本当に単なる疑問に過ぎなかったのだろう。しかしその答えをナジュマはしっかりと持っている。

「ごめんね、わたしが変えちゃったんだ」

「え?」

 瞬くテルディラにナジュマはルゥルゥを見た。

「いやね、ルゥルゥがね、この国の特定の男達に好かれる筈の女でねー! それに敵対する予定だったのがアルティラーデでさ! でもわたし、この子がやってきた時に侍女に召し上げてしまったものだから、こっちに来る筈だったルゥルゥの運命変えちゃって、結果ぜ〜んぶ変わっちゃったんだよね!」

 アハハ! 軽く笑うナジュマとにこやかに頷くルゥルゥとを、テルディラとラディンマラ夫人の二人は呆然と見つめるしかなかったのだった。

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