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「あそこ、あれが門兵だ」
「冗談だろう? 一人だぞ?」
「舐め腐っているからああなる。門番は勿論連絡も一人きりだが、あれでもこちらに手を出せば殺されるし、こちらはこちらであの門から出たら捨てられることを知っているから、互いに不可侵なのだそうだ」
砂に埋もれるようにして後宮の門を窺うのはナジュマと皇帝サンスクワニである。
ナジュマはサンスクワニの興味を引くことが叶い、こうして軍隊を引き連れて後宮の傍にまで戻ってきていた。あとは門前の兵士をどうにかするだけだ。目覚めが悪いし女達に見せたくもないので殺す以外でお願いはしたが、さて。
「では僭越ながら」
そう言って前に出てきたのはオルローである。少しばかり腹の出た文系中年ままのオルローは、腰に提げた袋から小さな木の実ほどの球を取り出すとクルクルと回し始めた。
「私、これでも投擲は得意なんですよぉ!」
ホイッとばかり手の内から消えた球は綺麗な放物線を描く……間もなく瞬時に兵士の横っ面に当たり、昏倒させる。
「凄い!」
ナジュマがパチンと掌を打つのに、オルローは「暇潰しに覚えたんですが、攻撃にもなりますし便利ですよ」とウインクを返してきた。お茶目な男ではないか。
「よし!」
立ち上がったナジュマはラクダを引いて砂山を降りる。殆ど滑るような形になり、然して時間はかからない。ドヤドヤと共に降りてきた大皇国軍の者達が倒れた兵士を簀巻きにする横、ナジュマは門に向かって朗々と叫んだ。
「帰った! 開けておくれ!」
「姫様!」
門の内側からワアワアと騒ぐ声が漏れている。一拍、二拍。脇の通用門ではなく両開きの大門が音を立てて開かれ、ナジュマと大皇国軍に後宮が開放された。
「ナジュマ姫、お帰りなさいませ」
──お帰りなさいませ!
女千人、皆が平伏してナジュマを迎える様は壮観である。その只中、ナジュマは一人悠然と歩いてラクダ、ベールとを次々女達に手渡し、中心にいた母達の元に近付いた。
「お帰りなさい」
「ただいま。メーヤは?」
「目を覚まさないわ〜。熱も出ているみたい〜」
「皇帝! 医師を!」
「おう。医官衛生兵達、全員ここで患者を見ながら待機だ! オルロー、お前も掌握するまでここでナジュマ姫をお守りしろ」
「畏まりました」
バタバタと医官と衛生兵達が前に出て、女達の先導を受け宮の中に入っていった。ナジュマはその背を見送り、サンスクワニを振り返る。彼らは後宮の境、門から中に入ってはこない。
「俺達はこのまま王宮を叩く。理由は国王唯一の姫、ナジュマの嘆願によるものとなる」
「無論だ、とことん叩いてやってくれ。せめていい音がすればよいのだが」
腰に手を当てて溜息を吐くナジュマの様にサンスクワニは大口を開けて笑いどおしだ。どうにも、ナジュマの言動は彼にとって愉快に過ぎるようである。
「結果をとくと御覧じろ。あとの話はそれからだ」
びょう、とサンスクワニが腰に差していた剣を振ると、軍勢が王宮に向かって回廊を疾走していく。
「ではな」
重い扉が外から閉められて、全ての決戦は砂の海に隠された。ここが次に開くのは全てが決してからだ。
【サンスクワニ】
大皇国現皇帝。大変な愛妻家で子供が男女一人ずついる。豪放磊落で決めたことはやりとおす主義。きちんと責任も取る為、接収した国々からの批判は少ない。天性のカリスマを持ち、多くの人材が集まっている国の現状に満足しているが、故に難しくなるであろう次代に関して頭を悩ませている。
(よき時に、よき男。わたしは恵まれている)
にんまりと笑いつつ隙間から後宮内に滑り込んで転んだオルローを引っ張り上げたナジュマは、「さて、守っていただこうか?」と豊かな巻き毛を揺らして小首を傾げた。
結果だけいえば、メーヤは助かった。
「怪我をした場所が悪かったようですね。ちょうど血が沢山出るところが切れてしまったんです」
頭を縫われたメーヤは痛み止めと熱冷ましを処方され夢現つだ。ついでに部屋の隅にはメーヤの手術で目を回してしまった女達が転がされているが、そうした怪我すらも放置されて死に直結させられてきた結果の今なのだから仕方がなかろう。
「申し訳ないのですが傷は残りましょう。女性には酷なことです」
「いいえ、生きていてくださるだけで大丈夫です」
深く礼をするルゥルゥの目元は涙の跡で白くごわついている。ルゥルゥに濡れた手拭きを貸してやりながら、ナジュマは今回何が原因でメーヤが傷付けられることになったのかをオルローに話した。
「結局はわたしの所為だ。わたしの行うこと、その一挙手一投足には責任が生じる」
後宮の女達はナジュマに優しい。ナジュマが白と言えば白と言い、黒と言えば黒と返すほどナジュマを頭上に戴いて暮らしている。その愛を甘受するのであればこそ、彼女達に対してナジュマは責任があるのだ。
「わたしは自由だ。だが、自由とは制約の中にあってこそ自由であり、わたしはその制約の仔細をわかってはいなかった。全てはわたしの責任だ」
わたしはここの女達を守らなければ。そう言ってメーヤの手に触れた、刹那である。
「この怪我は私の責任ですよ姫様。私の責任を奪わないでくださいまし」
メーヤが思わぬほどハキハキとそう言った。
「メーヤ!」
「母様!」
二人の娘が添うのにメーヤは視線を向けない。ぼうっと垂れ下がった幕を見つめたままだ。
「まだ薬が効いておられます。夢現つの中にいらっしゃるかと」
医官はこっそりと呟く。そうか、ならばこれはある意味でメーヤの本音かもしれない。
ナジュマが手を取り顔を近付けると、「姫様のなさりたいようになさいませ」とメーヤは静かに告げた。
「人間とは結局己の周りにしか目を配れないものです。大局を見、差配する者は別にきちんとおりましょう。姫がその役目ではないのなら、姫の思うまま生きてよいのです。姫には姫の役目がございます。御身そのままにお生きください。その背を我々は手前勝手に追うでしょう。それでよいのです」
「メーヤ」
「全ての運命は指し示されている。ただ、それだけのことなのです」
ハッとしてナジュマはメーヤを見つめる。メーヤは言うだけ言って満足したのか、すっかり微睡んで眠ってしまった。
メーヤ。わたしの乳母。二十年にも近い人生を、このナジュマに捧げた女。
ナジュマはメーヤの掌をするりと撫でた。少しごわついた手はつまり彼女が夫人の立場になく、使用人であることを示している。よく主人を見つめる、出来た使用人だ。
「運命ならば、変えられるなメーヤ」
勢い頬を叩くと周りが目を見張っていた。大丈夫、音を上げただけだ。ナジュマの頬は赤くもならない。ニッと笑むと同時に部屋の外に女が伏せ、「皇帝陛下の副官を名乗る者が姫とオルロー殿をお呼びです。仔細、全て済んだとのこと」と、そう終わりの言葉を告げた。
「思ったより早かったな」
「では参りましょうか、ナジュマ姫」
立ち上がるオルローの後ろ、ナジュマが立ち上がるのに女達が流れるように動き、たった一人の主を飾っていく。金糸銀糸に宝玉を、ナジュマ一人で既に一国の宝。言わずに体現するのは見事の一言に尽きるであろう。
オルローは拍手で賞賛の意を伝え、ナジュマは笑顔でそれを受ける。
【オルロー】
大皇国外交官、現ヨノワリ担当。地に交わり人に触れ、その国に出来得る限りの益をもたらす形で外交を執り行う為、諸外国での信頼の篤い男。ヨノワリでは王宮には馴染まなかったが市井では既に人望がある。今後ヨノワリ担当が延長され、大皇国とヨノワリを繋ぎながらヨノワリで得た〈妻〉と共に砂漠に尽くすこととなる。
「では、わたしのお前達の為、運命を変えに。オルロー、行こうぞ」
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