ナジュマは砂漠の国ヨノワリに建つ白亜の後宮で、王の一粒種として生まれた。ヨノワリの後宮には女が山と揃っていて、いつも華やかで美しい。

 とはいえ祖父母もなく、父たる王は殆ど後宮にやってこない。聞くに、王は女にちやほやされるよりも男にちやほやされる方が好きな男のようだ。男に男として上げられる為に定期的に後宮に女を増やすだけで、女自体に小まめに手をかけようという気がないらしい。実際ナジュマ自身も王女であったので、生まれてすぐ母が実家に帰された後も後宮ですげなく放置されている。

「……」

 王子王女が盛り沢山であれば、ナジュマはこうして平穏に過ごすことも出来なかっただろう。きっと他の夫人やきょうだいに命を狙われ、親もないものだから頼る辺もなく、心休まらず暮らしていた筈だ。

 しかしナジュマはたった一人の王の子としてその血の保管だけを確かに求められ、母と後宮の外に出ることも叶わず、ひたすら空気のように過ごしていた。

 とはいえ、ナジュマはそんな日々に腐るようなことはなかった。

 何故か。ナジュマには特別な能力があり、それで幾らでも暇潰しが出来ていたからである。

 そっとそれとなく脳裏に名前を思い浮かべればパラパラと事典が捲られて、その人物の大まかな為人と人生とが浮かぶのだ。名前は一部や渾名でも問題ないので大体検索可能。ナジュマに優しい能力である。

 ──ナジュマはその事典をいつかのどこかで読んだと覚えている。作品本編は箱に浮かぶ映像で見ていた。そのどこかでの家族があれこれ言いながらヒロインを操作していて、次々と出てくる男達を攻略していくのだ。主に恋愛的に人生を何度も繰り返すようなそれを、けれどナジュマは操作自体が苦手だったので傍から眺めていたのである。なんて言ったかなあアレ……。

 とにかく、一家団欒のひとときだったように思うが、そうした中ナジュマは作品資料集のような分厚い便覧を読んでいたので人物名を記憶しているのだ。本当に世界の端から端、脇役から出番のない国に至るまで丁寧に設定された作品だった……作り込みすぎでは?

 そうした諸々に気が付いた時、後宮内で殆ど放置され日々をぼんやりと過ごしていたナジュマは(ゆめか何かわかんないけどすごい!)とちょっと興奮したが、すぐに消沈した。

 何故なら物語の中心人物は遠い異国にいる人間達で、ヨノワリにはかすりもしないのである。

 おっとここって殆ど登場しない国かあ! ……真面目になんでそんな国の人物の設定まで作り込んでるんだ! 無駄に作り込みすぎだろ! なんの夢なんだ! いや前世か! ……前世ってなんだっけ……生まれる前のどこか……そんな話もあったな……。

 転生の意味のないことこの上もない始末であるし、しかもナジュマ自身の項目はない。ひどい。目の前でなんにも見れない。

 そんなある日、転機が訪れた。八つの歳の頃、実母と共に後宮入りして母が帰ってなおただ一人付いてくれている乳母のメーヤが、商人が連れてきた奴隷を見初めたのだ。

「ナジュマ様と年頃も近うあるかと。我が娘としてお仕えさせたく思いますが如何でしょうか?」

 メーヤの後方、ぺたりと床に這う小さい生き物。その手足は棒切れのように細い。

(こんなに肉のない子がいるのね)

 土のような肌に焼けた藁のような髪は、メーヤが言うに土着の平民に多いという。ということはヨノワリの民なのだろう。ナジュマは後宮内で様々な国の女達を見てきたが、皆ただ生きるには過分なほど手間をかけられているし、ヨノワリの一般的な民など見たことはないからわからない。

 ……ヨノワリは、あまりよい国ではなさそうだ。そもそも奴隷制がある時点で駄目だろう。後宮の夫人達の中にも多くの奴隷がいるけれど。

 ここでナジュマがいらないと言えば、この子供は別の場所に売られるのだろう。その場所がいい場所である保証などひとつとてない。

 ナジュマはこの後宮が纏うぼんやりとした空気のまま、大きくて豪奢な背もたれに埋まるようにして頷いた。

「いいんじゃない? ねえ、あなたなまえは?」

「ル、ルゥルゥ、に、ございます」

 途端、閃くようにナジュマは目を見開いた。

 ルゥルゥ! その名、確かヒロインのそれ!

 今のナジュマに『ヒロイン』なる言葉の意味の正確なところはわからないが、とにかく『物語の主人公』だ! 例の名前もわからない作品の!

 ナジュマは即座脳内事典の索引を辿り、ルゥルゥの名を引いた。


【ルゥルゥ】

 砂漠の国ヨノワリに生まれた貧民。奴隷になってグランドリー王国に流れ着き、王子や令息達の恋の鞘当ての中心に据えられる──予定だったが、ヨノワリ王女の侍女になり運命は変更された。熱砂の髪をした真面目な異国の男の妻になる。


(変わってる!)

 この一瞬で運命は容易に変更され、主人公はその座を降ろされてしまった。人生の内容まで明らかに変更を告げている。

(そうか、事典の内容は変化するのか……)

 ならば運命は運命にあらず、己の手で変えることも出来るのだ!

「ルゥルゥ! よろしくね!」

「は、はい!」

 ナジュマは勢い込んでルゥルゥの元に走り寄り、その小さな手を握り込む。驚くルゥルゥの乾いた皮膚を纏った手は本当に枯れ木のようで、けれど温かかったものだ。

 それからナジュマは打って変わって明るくなって、ルゥルゥを引き連れて女千人にもなる広い後宮内を走り回った。事典の仕様は後宮の女達にも適応されており、その能力で彼女らの懐に潜り込んだのである。

「おはよう、おはよう! おはよーう!」

 今までなき者として扱われていたのとは真逆に、ナジュマはまるで後宮の太陽であり月でもあるように輝いた。夫人達の日々を安らかにすることはつまり、己の生活の安寧にも通じていると知っていたからだ。

 こうしてナジュマは父の目もないまま、実に伸び伸びと成長した。成長しすぎて後宮内で一番の背高となり、

「じゃーん! こないだ商人から買い上げた絹だよ! メーヤが縫ってくれました! 母様達どう!?」

「素敵よナジュマ!」

「素晴らしいわナジュマ!」

「くるって回って〜! 母様達にひらひらを見せて〜!」

 ──気が付けば男装の麗人になっていた。体格もよろしく、濡れたような黒髪が美しくうねり、しっかりとした太い眉の下の目は星のように瞬く黄金色だ。細かな星を散らしたように光る肌も瑞々しく、誰しもがうっとりするほど……美丈夫である。

 正に後宮の主、国王を差し置き全ての女達の愛情を一身に受けて育つナジュマなのであった。

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