第40話 思春期に大人に変わる少年 その⑦


「ビラ配りはどうなったんです?」

「中止よ。あの後すぐに生徒指導の先生も来て、一同逃げるように退散というわけ。誰も捕まらずに済んだのは不幸中の幸いといったところかしら」


 確かに、留年しないための部活づくりで生徒指導を受けるようなことになっちゃあ本末転倒だ。


 というか、そもそもバニーガール作戦なんて意味の分からないことをやってしまって良かったのだろうか。


 なんだか虚しさだけが残ってしまったような気がする。


 まるで、気合を入れて選び抜いたAVを新品で購入したけども冒頭シーンで満足(意味深)してしまって賢者のような気持ちで残りを流し見しているときのような……。


 というかそもそも満足してしまったら残りは見ないかもな。わけのわからないたとえ話をしてしまった。それだけ僕も混乱しているということだろう。


「きっと部員は入ってきますよね?」


 不安を抑えきれず、僕はそう訊いていた。


 橘さんは何とも言えないような表情を浮かべ、言った。


「あと何日か猶予があるわ。待ってみましょう」



 三日が過ぎた。


 今日までに入部する部を決めなければ僕らは留年してしまい、橘さんは自動的に退学になってしまう。


 しかし、依然として僕の元には入部希望者は現れていなかった。


 いつものように中庭へ向かうと、橘さんたちは既に集まっていた。


 が、みんな一様に重たい表情を浮かべている。


 きっと僕も同じような顔をしているに違いない。


「……あの」


 開口一番、僕は言った。


 他の三人が緊張した面持ちでこちらを見た。


 嫌な予感がした。


 僕は深く息を吸ってから、言った。


「単刀直入に聞きます。入部希望者は集まりましたか?」


 誰も口を開こうとしない。


 それが答えみたいなものだった。


 だけど、それでも一縷の望みを捨てたくなくて、僕は言葉を続けた。


「僕のところには来ていません。橘さんは?」

「……私も同じよ」

「山田さんは?」


 山田さんは無言で首を振った。


「……美澄、さんは」


 美澄さんの顔は、今にも気絶してしまうんじゃないかというくらい真っ青になっていた。目の端には大粒の涙が浮かんでいる。


「お、お役に立てずっ、ず、ずびばぜん……っ! 精いっぱい、やったのですが……っ‼」


 直後、美澄さんは顔中涙と鼻水だらけにしながら泣きだした。


 ――終わった。


 全部終わった。


 この一か月間僕らがやって来たことは、全部無駄な努力になってしまった。


 ……あーあ、やっぱりそうだ。


 できない奴は結局、どう頑張っても何もできない。


 どうせ無駄な努力なら――いや。


 みんな、頑張ってくれた。


 僕のくだらないバニーガールのアイデアを実現させてくれた。


 それを僕が、無駄な努力だったというわけにはいかない。そんな資格はない。


 だとしたら僕がやるべきことは一つ。


「みなさん、すみません!」


 コンマ0秒もない圧倒的に無駄のない動きの土下座。


 常人であれば躊躇するようなことも、プライドのない僕なら迷いなくやれる。


「僕が何もやらない部活を作るなんて言ったから、みなさんに余計なことをさせてしまいました! どうか許してください!」


 這いつくばるように頭を下げているから橘さんたちがどんな顔をしているかは分からない。


 だけど、困惑するような空気だけは伝わった。


 他人とのコミュニケーションが不得意なせいで周囲に馴染めなかった人たちに、自分の欲求の赴くままバニーガールの恰好をさせ、衆目に晒すような真似をした罪は重たい。


 さあ、煮るなり焼くなり好きにしていただきたい。


「……宇津呂くん、顔を上げて」


 橘さんの声だ。


 顔を上げた瞬間に蹴られたらいやだなあと思いつつ、声のした方を見上げる。


 橘さんは穏やかな表情で、僕に言った。


「部活を作ると言ったのはあなた。そして、それに賛同したのが私たち。あなたの言うことに従うと決めたのも私たちなの。だから、あなたが謝る必要はないわ」

「でも、現に部員は集まらなかったんですよ」

「ええ、そうね。私たちの試みはそういう結果に終わった。だけどその事実は変えられないわ。今は気持ちを切り替えて生徒会室へ行きましょう。部を作れないのだとしたら、今日中に他の部に入部届を出さなければ私たちは留年してしまうのよ」

「でも」


 考えもまとまらないまま、僕は口を開いていた。


 そして、僕がそうするのを待っていたように橘さんが言葉を重ねてきた。


「あなたのおかげで私は、他人と話すことができるようになったのよ」

「……?」

「そうよ宇津呂! たとえ部活ができなくても、ガンガムで結ばれたあたしとあんたの絆は決して消えたりしないでしょ!」


 今まで黙っていた山田さんがそう言って急に僕に駆け寄ってきて、こちらに手を差し伸べて来た。


 思わずその手を取ると、強い力で引っ張り上げられた。


 僕はよろめくように立ち上がった。


「山田さん……?」

「バニーは恥ずかしかったけど、あたし、宇津呂に怒ってなんかいないわ。ま、あんたの女装が意外と似合ってたのはムカついたけどね」


 なんだ?


 一体どうしたんだ?


「私が鈴仙副会長と仲良くなれたのも宇津呂さんたちの作戦があったからですっ! だから――」

「だから、あなたが今までやってきたことは何一つ無駄じゃないのよ、宇津呂くん」


 美澄さんの言葉を遮りながら、橘さんは言った。


「どういう、意味ですか……?」

「あなたが部を立ち上げようとして色々なことを考え、工夫し、行動したことで、本来出会うことさえなかったはずの私たちがこうしてここに集まったのよ。結果が出なかったからといってあなたがやってきたことすべてを否定してはいけないわ。過程が大事なのよ」

「……橘さん?」

「さあ、こんな話はやめて生徒会室へ行きましょう。もし神様のような存在がいるのなら、私たちを見捨てたりしないはずよ。昔からよく言うでしょう? 終わりよければすべてよしって」


 橘さんは大人びた微笑みを浮かべながら僕を見た。


 ……本当はこのまま帰って枕を涙で濡らしたかったが、留年しないためにはそういうわけにもいかない。


 生徒会室へ行って、入部届をもらおう。


 僕は橘さんに向かって頷いた。


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