第35話 思春期に大人に変わる少年 その②




 僕はどういうつもりであんな夢を見てしまったんだろうか。


 ……欲求不満?


 だとしたら恥ずかしすぎる。夢なのに質感とか妙にリアルだったし、いつも人をそういう目で見ていると疑われても仕方がない。


「最悪だ……」

「何が最悪なの?」


 朝の通学路。


 僕の隣を歩く橘さんが小首をかしげる。


「あ、いえ、大したことじゃないんですよ。気にしないでください」

「気にしないでと言われれば人は余計に気になるものよ」

「本当にどうでもいいことなんです。強いて言えば、僕は恥の多い生涯を送っているってことです」

「そう? そこまで言うなら、無理に教えてもらおうとは思わないわ」


 校門の辺りに差し掛かると、今日も美澄さんが遅刻者のチェックをしていた。


 彼女は僕らに気付くと顔を輝かせて、


「おはようございますっ! 宇津呂さんに橘さんっ!」

「どうも、いつもお疲れ様です」

「昨日はありがとうございますっ! もし私の恋が成就したら、みなさんは私のキューピットですっ!」

「はあ……」


 キューピットか。


 マヨネーズでも啜っていたらいいのだろうか。


「それから、お二人は今日も遅刻回避ですっ! おめでとうございますっ!」

「まあ、遅刻しないように登校するのが約束ですから」

「宇津呂さんも案外義理堅い人ですね?」

「当然です。適当なことは言いますが嘘はつかないのが僕ですから」

「なるほどっ! 誠実な人はモテますよっ!」


 一瞬、美澄さんの姿が、僕が朝夢で見たバニーガール姿と重なった。


 僕は慌てて彼女から視線を逸らした。


「そうですか? 実感はありませんけどね」

「そうですよっ! 鈴仙副会長も真面目で誠実な方ですからっ!」


 あ、つまりこれは惚気ってやつか。


 僕は適当に相槌を打って校門を通過した。


 靴箱のところで橘さんと別れ、教室に向かって廊下を歩いていると後ろから背中を触られた。


 振り返ると、山田さんだった。


 青い瞳が僕を見ている。


「おはよ、宇津呂」


 小声なのは、日本語が喋れることを他人に知られたくないからだろう。


「おはよう、山田さん。……あ、ごめん。借りてたアレ、忘れて来ちゃった。明日には絶対持ってくるから」

「急がなくていいわよ。来週まで待ってあげるって言ったでしょ。じゃ、また放課後ね!」


 ひらひらと右手を振りながら、山田さんは自分の教室に走って行った。


 山田さんと喋っている間、当然ながら僕の頭にはバニーガールがチラついていた。


 はあ、全く。僕も所詮男という名の一匹の狼にすぎないということか。


 ま、思春期だしね。しょーがないよね。


 なんて、誰にともなしに今朝見た夢の言い訳をしつつ、僕は現在の状況を再確認する。


 昨日の一件で美澄さんが入部してくれたとは言え、まだあと一人足りない。


 そして、会長から示された期限は今週の金曜日に迫っている。


 今日が火曜日だから、あと四日で残りの部員を勧誘しなければならない。


 それができなければ――留年の可能性が急激に高まる。


 ほんの二人を集めるだけで三週間以上もかかっているのに、四日であと一人なんて集められるのだろうか。


 普通に考えて無理だ。


 これ以上は無駄な努力かもしれない。


 それでもここまで大ごとになった以上は僕が責任を果たして――あれ?


 いや、待てよ。


 今更だけど、僕が部活を作る意味ってあるのか?


 山田さんはアニメーション研究会に入ってもいいと言っているし、僕だって同じだ。そして最大のネックであった橘さんもドジっ子属性が解消された今、日常生活における不安はなくなった。これによって多少キャラが薄くなったかもしれないが、今の橘さんなら普通に部活をやれるはずだ。美澄さんは風紀委員なのだからそもそも部活に入らなくてもいい。


「そうか……別にもう悩まなくてもいいんだ……」


 そうだ。


 もはや一人で悩む必要はない。


 どうやって人を集めようとか、どうやって宣伝しようとか、ビラを配るのは嫌だなあとか、そういうことは考えなくても良いのだ。


 大体、僕みたいなコミュ障が誰かを誘って部活を作ろうなんて考えてしまったことがそもそも間違っていたのだ。


 無駄な努力はしないっていうのが僕のポリシーでもあるわけだし。


 もういいや。放課後みんなに説明して入りたい部を決めてもらおう。


 そして生徒会長から入部届を貰って、すべてを終わりにしよう。


 なんとなく胸の辺りが苦しい気がするけれど、気のせいだろう。




 放課後になった。


 ここ三週間の無駄な努力はもう終わりにしよう。


 僕が学校中の人気者で、一声かければ大勢の人間を集められるような人間だったら部活くらい簡単に作れたのだろうけれど、残念ながら僕の辞書に人望の二文字は載っていない。


 ……僕の辞書、載ってない言葉多すぎないか? 間違いなく不良品だ。


 中庭に行くと、いつものようにみんなが集まっていた。


 みんなというのは、橘さん、山田さん、そして美澄さんの三人だ。


 栄えある何もしない部初代メンバー候補でもある。


 三人はそれぞれ何かを話し合っているように見えた。


 僕がその様子をぼんやり眺めていると、ベンチに座っていた橘さんが、僕に気が付いたように顔を上げた。


「あら宇津呂くん。遅かったわね」

「橘さんたちこそどうしたんですか。こんなに早く集まって」

「作戦会議よ。残された時間はわずか。今のところ、美澄さんが書類を改ざんして架空の生徒を作り出し部員にするという計画が一番有力だわ」

「えぇっ⁉ いつの間にそんな話になってたんですかっ⁉」


 美澄さんが目を丸くし、首を絞められた鶏のような声を上げた。


「でも、そのくらい強引な手を使わなきゃ厳しい状況にあるのは確かね。なにせ四日であと一人、何もしない部活に入ってもいいっていう奇特な人を見つけなきゃなんないんだから」


 シリアスな表情で山田さんが言った。


「……いや、そのことなんだけど」

「何かしら。宇津呂くん、良いアイデアでもあるの?」


 橘さんが黒い瞳で僕を見る。


 僕は一度短く深呼吸して、理由も分からず憂鬱な気持ちを落ち着けた。


 それから、橘さんたち三人に向き直った。


「もうやめようと思うんです。何もしない部活を作るなんてことは」


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