第29話 君は僕に似ているかもしれない その③



 日曜日になった。


 予想通り少し喉が痛い。声もガラガラだ。


 何より、体の疲れが全くと言っていいほど抜けていなかった。


 女の子の家に上がるなんて慣れない経験がよほど堪えているらしい。


 そんなこともあり、僕はいつもより長めに布団の中に潜っていた。


 橘さんと眼鏡を買いに行く予定になっているのだけれど、まさか午前中から出発するなんてことはないだろう。もう少し眠っていても問題なさそうだ。


 ……なんてことを考えながら僕が微睡んでいたとき、窓の外から凄まじいエンジン音が聞こえて来た。恐らくオートバイか何かだろう。その音は、ちょうど僕の家の前で止まった。


 朝っぱらから迷惑な人もいるものだ。何人たりとも僕の眠りを妨げる奴は許せない。


 僕は布団のさらに奥深くに潜った。


 せめてあと五分。それだけ寝たらいい加減起きよう。


 そんな僕の願いを打ち砕くように家のチャイムが鳴った。


 家族は朝から出かけると言っていた。ということは、この家にいるのは僕一人だけ。来客に対応しなければならないのも僕だ。


 最悪だ。


 ぼんやりした頭で寝間着を着がえ、客がせめてあのやかましいバイクの主ではないことを祈りつつ、僕は玄関のドアを開けた。


 そして一気に目が覚めた。


 そこに立っていたのは、黒いライダースーツに身を包みフルフェイスのヘルメットを小脇に抱えたお姉さん――というか、橘さんだった。


「おはよう、宇津呂くん。さっそく出かけましょう」

「え……えっ⁉」


 ちょっと待って欲しい、脳の処理が追い付かない。


 どうして橘さんがバイクに乗って僕の家へやって来たんだ? なんでライダースーツなんだ? やけに似合ってはいるけど!


「何か言いたげな顔ね。質問する権利をあげるわ」

「え、えーと、どうしてバイクなんですか?」

「ショッピングモールにある眼鏡屋さんに行こうと思っているの。そうすると、移動手段が必要でしょう?」

「それはそうかもしれませんけど……! 橘さん、免許持ってたんですか?」

「当たり前だわ。私、二十歳なのよ。免許の一枚や二枚くらい持っていて当然でしょう?」


 よりによって普通自動二輪の免許を?


 いや、ここは深く追求しないでおこう。もしかすると何か深刻な理由が――あるわきゃねえか。


「質問がそれだけなら、そろそろ出発したいのだけど」


 橘さんは彼女の背後を指さす。


 そこには黄色のバイク……というかスクーターが止まっていた。


「……まさか僕もあれに乗って行くんですか?」

「当たり前じゃない。二人乗りよ二人乗り」

「重量とか大丈夫なんですか? というか、音から想像してたバイクとだいぶ違うんですけど」


 もちろん僕は免許なんて持っていないし、バイクに乗ったこともないが、あの原付バイクみたいな乗り物なら橘さんが着ているようなガチガチのライダースーツじゃなくてもいいのでは?


 いや、安全性から言えば橘さんの方が正しいのかもしれない。だけど彼女は僕をあの小さなスクーターの後部に乗せようとしている。


 もういいや、細かいことを考えるのはよそう。今はなるようにしかならない。


「安心して、宇津呂くん。たとえこの身朽ち果てようともあなたを無事に家へ帰すことを約束するわ」

「す、凄い覚悟ですね」


 その覚悟があるなら、もっと安全そうな手段で目的地へ向かうという選択をして欲しかった!


「じゃあこれ、被って」


 橘さんが僕に、フルフェイスのヘルメットを渡す。


「これをですか?」

「まさかあなた、ノーヘルでバイクに乗るつもりなのかしら。二輪車ナメたら怪我するわよ」

「いや、そんなつもりは」


 その時僕は、橘さんが眼鏡をかけていることに気がついた。


 以前橘さんがガンガムに染まったときに彼女が掛けていたものと同じ眼鏡だ。


「そんなに私の顔を見つめてどうしたの? 照れるわ」

「あ、すみません。橘さんが眼鏡を掛けているのが見慣れないものですから」

「そういえばいつもは裸眼だったわね。ほら、運転するときに目が見えなかったら大変でしょう? だから掛けているのよ。やっぱり不自然かしら」


 橘さんが片手で眼鏡を上げ下げする。


 その姿は、何もないところで転んでしまうようないつもの橘さんとはかけ離れていて、なんとなく大人のお姉さんって感じがした。


 実際のところ大人のお姉さんなのだけれど。


「よく似合ってると思いますよ。僕に言われても嬉しくないかもしれませんけど」

「人は誰に褒められても嬉しいものよ。私の場合、あなたに褒められるのは特に嬉しいわ」

「え?」

「さて、無駄話はここまで。今度こそ行きましょう」


 颯爽とバイク(というかおばちゃんが乗っているようなスクーター)に跨り、ハンドルの所に引っかけてあったヘルメットを装着する橘さん。


 僕は恐る恐る彼女の背後に座った。


 その瞬間、重低音とともにバイクのエンジンがかかった。


「ヘルメットは被ったかしら?」

「は、はい」

「振り落とされないよう、しっかり掴まってて」

「つ、掴まっててとは……⁉」


 目の前には橘さんの背中しかない。


 ということは、ここに掴まるのか?


 そんなことしていいんだろうか。


 いや、本人が掴まっていろというのだから掴まっていていいのだろう。


 が、直後バイクが急加速し、僕は否応なしに橘さんの腰に腕を回した――と言うとなんだかいやらしいな。とにかく、橘さんにしがみついた。


 そしてバイクが公道を走りだした瞬間、どうしてこのスクーターみたいなバイクからあんなオートバイみたいな音がしていたのかを理解した。


 このバイク、めちゃくちゃ馬力あるじゃん……!


 絶対改造してる。絶対に道路運送車両法に違反してる。


 意識を失ってしまいそうな加速の中、僕はそんなことを考えた。




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