第22話 何もしない部へ愛を込めて その①


 僕らの留年が確定してしまうまで残すところあと二週間になった。


 気がつけば五月は終わり、既に六月に突入していた。


 しかし未だに部員は集まっていない。


 あと二人なのに。


 一クラスにおよそ四十人、それが六クラスで一学年、そして三学年分だから、全校生徒は大体七百二十人。その中からほんの二人を選べばいいだけのはずなのに。


 なかなか思い通りにはいかないものだ。


 あーあ。


 僕は保健室の椅子にもたれかかり、大きく息を吐いた。


「あらー、宇津呂くん。ため息なんかついちゃってどうしたんですか? 悩み事ですか? 先生が相談に乗ってあげますよぉ!」


 パソコンで作業をしていた椎名先生が、顔を上げて僕に言う。


「あの、困ったことにこのままだと僕ら留年なんですよ」

「何か悪いことでもやっちゃったんですかぁ?」

「いや、やっちゃったというか、むしろやらなかったから留年というか」

「うん?」


 小首をかしげる椎名先生。


 そのとき、ベッド周りのカーテンの隙間から金髪の少女が顔を出した。


 山田和江。れっきとした日本人だ。


「部活よ部活。部活に入ってないと留年だなんてあたし、知らなかったわよ」

「あわわ。山田さんも宇津呂くんも、部活入ってないんですかぁ?」

「あたしたちだけじゃないわ。そっちの人もよ」


 山田さんが顎で指した方には、窓辺の椅子に腰かけ読書をする、黒い艶のある髪をした美少女の姿があった。


 美少女は少しだけこちらを見て、それから再び本に視線を落とした。


 この儚げな少女こそ留年四年目、二十歳の高校一年生、橘楓だった。


 椎名先生はきれいに整った眉に皺を寄せて、そして何かを思いついたように片手を挙げ、


「あっ、先生分かりました! つまりあなたたちは留年仲間というわけなんですね!」

「さすがです、先生。仰る通り僕らは留年という危機を乗り越えるために集った仲間なのです」

「いやー、どうしてこの子たちはいつも保健室にたむろしてるんだろうって、先生ずっと不思議だったんですよぉ。共通点もなさそうなのにって。これで謎が解けましたぁ!」

「それは良かったですね」

「でもでも、どうして三人とも部活に入らないんですかぁ? なんでもいいから入っちゃえばいいじゃないですかぁ」

「僕もそう思っていましたよ。ですが、僕らはそれぞれ部に入りたくない事情があるんです。だから、僕は僕らのための部を作ることに決めたんです」

「なるほどぉ。目的をもって行動するのは良いことですよぉ」


 うんうんと頷く椎名先生。


「でも、部員が集まらなくて。まだ三人しか集まってないんです」

「それは大変ですねぇ。先生、何かお手伝いしますよぉ?」

「本当ですか。しかし、先生に部員になってもらうわけにもいきませんし……」

「でも、部の立ち上げには顧問が必要なんですよぉ。先生、あなたたちの顧問をやってあげますよぉ」


 ――その言葉を!


 この一週間ずっと、その言葉を待っていた!


 僕はおもむろに、ポケットから四つ折りにした書類を取り出した。


「先生ならそう言って下さると思っていましたよ。だけど、良いんですか? 先生も忙しいでしょう」


 椎名先生の前に、僕は申請書を置く。


「生徒のための先生ですから。心配ご無用ですよぉ!」

「気持ちは嬉しいけど、あたしたちだって無理にとは言わないわ」


 いつの間にかベッドから出て来ていた山田さんが、椎名先生にペンを握らせる。


「何を水臭いこと言ってるんですか。大体、毎日のように保健室を占拠してるくせに今更ですよぉ!」

「先生にご迷惑をおかけしてしまっていることは、本当に申し訳なく思っています。さ、ここにサインを」


 椎名先生の背後に立つ橘さんが、申請書の空欄を指す。


「……み、皆さん急にどうしたんですかぁ? 怖いですよぉ」


 いつの間にか椎名先生の周りを取り囲むように密集していた僕らの異様な雰囲気を察したのか、お化け屋敷に入る前の子供みたいな顔をしながら、椎名先生が申請書にサインをする。


「ありがとうございます、先生。これで僕らも留年せずに済みます」

「お礼なんていいんですよぉ。困ったことがあったらまた言ってくださいねぇ。でもでも、あんまりずっと保健室にいちゃダメですよぉ。本当は、保健室は体調の悪い生徒さんが来るところなんですから」

「今後気をつけます。それじゃ僕たち午後の授業がありますから、この辺で失礼します」

「はぁい。部が出来たら教えてくださいねぇ」

「もちろんです。椎名先生が顧問なんですから」


 僕らはぞろぞろと保健室から出た。


 誰ともなしに僕らは顔を見合わせる。


「……やったわね、宇津呂」

「一週間通い詰めた甲斐があったよ。これで顧問の問題は解決だね」

「でもさ、あたしちょっと思うんだけど」

「何かな、山田さん」

「わざわざ保健室に通い続けたりしなくても、普通に頼んだら椎名先生も簡単にサインしてくれたんじゃないの?」


 山田さんの言葉に僕と橘さんは同時にため息をついた。


「そうじゃないのよね、宇津呂くん」

「そう。それは違うんだよ」

「何が違うのよ」

「なぜなら僕らはコミュ障だから。本当ならほんの一言で済む話かもしれないけれど、その一言がいえないがためにこうして策略を張り巡らせていたのさ」


 完全に決まった。


 もし僕の伝記が作られることになったら、この台詞を帯に書いてもらおう。


「あのさ、一ついい?」

「まだ何か言い足りないことがあるのかい、山田さん」

「あたしに頼んでくれれば、椎名先生のサインくらい簡単にもらってあげたけど?」


 フッ……。


 策士策に溺れるとは、まさにこのことか。




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