第11話 何もしない部に、君と その②




「待つ身というのは辛いものだわ」


 中庭のベンチに、彼女――橘さんは座っていた。


 物憂げな表情を浮かべながら。


「……もしかして僕を待っていたんですか?」

「もしかしなくても待っていたわ。嫌だったかしら?」

「いえ、そんなことは」

「そう。なら良かったわ。はい、これ」

「え、なんですかこれ?」

「見て分からないの? お弁当よ」


 橘さんが僕に差し出したのは水色の弁当箱だった。


 もう一つ同じ形の弁当箱が橘さんの膝の上に置かれている。


「……橘さん、二つも食べるんですか?」

「違うわよ。これはあなたの分」

「僕の?」

「ほら、受け取って」

「は、はい」


 僕は大人しく水色の弁当箱を受け取った。


 一体どういうつもりだろうか。


 また僕は何かやってしまったんだろうか。


 きっとこの中には、一口食べただけで悶絶するような即死級の料理が所狭しと並んでいるに違いない。


「思っていた反応と違うわね。女の子からお弁当を手作りして貰った男子は半狂乱になって喜ぶと聞いていたのに」

「半狂乱になるかどうかは分かりませんが、普通なら喜ぶと思います……このお弁当が、普通の弁当なら」


 僕の口の中には昨日の卵焼きの刺激的な風味が蘇っていた。


 それだけでも全身の穴という穴から胃液が飛び出しそうだった。


「宇津呂くん、私の料理の腕を疑っているの? これでも五年間毎日お弁当を作って来たのよ。自分で言うのもなんだけど、それなりに自信があるわ」

「で、でも、間違って洗剤入れたりするんでしょ?」

「あれは事故よ。今日は大丈夫だわ。私を信じて」


 信じてって言われてもなあ……。


 昨日は一口分の卵焼きだったから致命傷は免れたけれど、さすがにこれだけの量を食べれば病院送りは確実だろう。


「僕、橘さんに恨まれるようなことしましたっけ?」

「何をバカなことを言っているの? 私の手料理を食べるのがそんなに嫌かしら?」

「いや、そういうわけじゃないですけど」

「……分かったわ。つまり、こういうことね」


 右手に箸を持った橘さんは僕の手から弁当箱を取り返すとその蓋を外し、色とりどりに並ぶおかずの中からタコの形に切ったウインナーを箸で持ち上げた。


「はい、宇津呂くん。口を開けて」

「え?」

「あーん」

「あ、あーん」


 僕が口を開けると、橘さんは僕の口の中にタコさんウインナーをねじ込んできた。


 うっ。


 ううっ。


「……うまい……⁉」

「当たり前じゃない。ウインナーなんて焼くだけなんだから、どうやったって美味しいに決まってるわ」


 僕の口の中で、再び世界大戦の火蓋が切って落とされるような事態は回避されたようだ。


 それどころか各国の首脳陣が笑顔で握手を交わし合っている。


 味覚の恒久和平は実現されたのだ……!


「ど、どうして美味しいんですか?」

「何よ。宇津呂くんは私に料理下手なドジっ子キャラを求めているのかしら? 目玉焼きを黒焦げにして、『やーん、よく分からないけど真っ黒になっちゃったァ!』とか言っている女の子の方が好きなのかしら?」

「もちろん嫌いではないですが、てっきり僕は橘さんが何かしらの恨みを晴らすために弁当を作って来たんじゃないかと思ってたんですよ。ほら、昨日の卵焼きの件もありますし」

「もし私が本当に恨みを晴らそうとするなら、同じ手を二度とは使わないわね。単純にお礼がしたかっただけよ」

「お礼?」

「昨日、パンを分けてくれたでしょう?」


 そういえばそんなこともあった。


 パンの半分が女の子の手作りのお弁当に化けるとは。人はパンのみにて生きるにあらずというのはそういうことか。きっとこの言葉を考えた人も、パンをきっかけに女の子の手作り料理を得たに違いない。


「はい、これ、宇津呂くんのお箸」


 橘さんが僕に割り箸を手渡す。


「あれ、食べさせてくれないんですか?」

「何を甘えたことを言っているのよ。今のはお弁当の追加サービスみたいなもの。というか、恥ずかしくないの?」

「何がですか?」

「女の子にご飯食べさせてもらってるところ、誰かに見られたら」

「どうしてですか?」

「ど、どうしてって」


 橘さんが言い淀む。


「だって、こんな人目につかないところでそんなことしてるなんて、まるで……」

「まるで?」


 何気なく聞いたつもりだったのに、橘さんはなぜかむっとしたような顔をした。


「それを私に言わせるつもり? デリカシーないのね」

「デリカシーがないのは、まあ、僕はまだ中学を卒業したばかりですから」

「どういう意味よ、それ。……あーあ、なんか覚めちゃったわ。私教室に戻るわね」

「あ、待ってください!」

「これ以上私に何か用なの?」


 すっ、と立ち上がる橘さん。


 同時に、彼女の膝の上にあった弁当箱が地面に転がり落ちた。


「だから待ってって言ったのに……」


 僕は水色の弁当箱をきちんとベンチの隅に置いて、地面に散らばった食べ物を拾うべく屈みこんだ。


 あーあ、こんなに美味しそうなのにもったいない。


 ……ギリギリ食べられないかな? さすがにちょっと無理か。


「ねえ、宇津呂くんって親切なの? 意地悪なの? それとも鈍感なのかしら?」

「ジョハリの窓って知ってます? 人の内面を、自分で認識している部分と他人から認識されている部分に分けて考える、まあ、一種の思考法みたいなものなんですけど。要するに僕がどんな人間なのか聞かれても答えるのは難しいって話ですよ」

「……あなたが頭でっかちな人間だということは分かったわ」


 橘さんは僕の隣に屈みこんで、中身をぶちまけてしまった弁当箱を拾い上げる。


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