第4話 とっても! アンラッキーウーマン その②


「いいですよ。僕、小食ですから」


 僕はパンを半分にして、橘さんに手渡した。


 彼女はパンを受け取ると美味しそうに食べ始めた。


 在庫処分の棚にあったやっすいパンだけど、喜んで食べて貰えてパンの方も幸せだろう。


「ねえ、宇津呂くん」

「なんでしょう」

「あなたのことを誤解していたわ。今まで変態ブタ野郎だなんて思っていてごめんなさい」


 そんな風に思われていたのか……!


 表情に出さないだけで、けっこう根に持つタイプの人なのかもしれない。


 今後、橘さんの機嫌を損なわないよう気をつけよう。うっかり胸を触ったり下着をガン見したりしないようにしよう。まあ、そんなことはもう起こりえないだろうけど。


「ところで、橘さんって何年生なんですか?」


 一瞬、橘さんの表情が強張った。


 さっき気をつけようと思ったばかりなのに、どうやら地雷を踏んでしまったらしい。


 橘さんは億劫そうに息を吐いた。


「鋭い質問ね。あなたが今年入学してきたのなら、私の方が年上よ。だけど……」


 ちょうどそのとき、橘さんの言葉を遮るように校内放送のアナウンスが流れ始めた。


 どうやら生徒会から全校生徒への連絡事項らしい。


『……一年一組、宇津呂無策くん。一年六組橘楓さん。至急生徒会室へお越しください』


 なんと、呼び出されたのは僕たちだった。


 だけど何かがおかしい。違和感がある。


 さっき、橘さんは僕より年上だと言った。でもさっきの放送によると、彼女は僕と同じ一年生らしい。


 僕は橘さんの方を向いた。


「あの、どういうことなんですか? 橘さんも一年生なんですか?」

「……ええ、そうよ。実は私、留年してしまっているの」

「ああ、留年ですか。ということは僕より一つ年上ということですか?」

「いいえ、違うわ」

「じゃあ、二つ年上?」

「それも違うわ」

「え?」


 戸惑う僕をよそに、橘さんはベンチから立ち上がった。


 そして、僕の方を振り返り、言う。


「宇津呂くん。私は、あなたより四歳は年上のはずよ」

「四歳?」


 と言うことは、僕が最近十六歳になったばかりだから――。


「は、ハタチって、ことですか……⁉」

「そうよ。私は五回目の一年生を迎えたところなの」


 ぼとっ、と何かが僕らの足元に落ちて来た。


 カラスだ。白目をむいて全身を痙攣させている。


 その口元には、さっき橘さんから奪ったのだろう卵焼きがあった。





「さて、諸君らに集まってもらったのは他でもない理由がある」


 生徒会室では、まるで大企業の社長が座るような豪華な椅子に座った女の子が僕らを待っていた。


 その傍らでは、眼鏡をかけた大人しそうな女の人が控えている。


 この人はたしか、生徒会の副会長をやっている人だ。入学式で挨拶をしていたのを覚えている。


 問題は、椅子の上で偉そうにふんぞり返っている小学生くらいの女の子だが……。


「おい君!」


 女の子が勢いよく僕の顔を指さす。


「は、はい?」

「君、今私のことを見て、どうして小学生が高校にいるんだろう? なんてことを考えていたんじゃないだろうなっ!」

「いやまさかそんな」


 考えてないわけないじゃないか。


 ツインテールで幼児体型の女の子が小学生に見えないわけがない。


 どうして僕らの高校の制服を着ているのか不思議だ。


 そんな僕の反応を見て、女の子が鼻を鳴らす。


「おい鈴仙、このマヌケに私のことを説明してやれ!」

「はい、分かりました」


 女の子の声を聞いて、眼鏡っ子が――いや、三年生の先輩なんだからそんな風に行っちゃうのは良くないだろう――眼鏡をかけたショートヘアのクールヴューティーな先輩が、僕らの方へ一歩近づいて来る。


 それから、咳払いを一つして、


「ごほん。いいですか、一年一組の宇津呂くん。この方こそ私たちの高校の生徒会長なのです。学校を裏で操る影のボス――七橋奈奈美会長なのですよ」


 ……え⁉


 生徒会長⁉


 この小学生が⁉


「ということは、この小学生は飛び級で高校に進学してきたってことですか?」


 僕が言うと、小学生はあからさまに不機嫌そうな顔をした。


「鈴仙、こいつのすっからかんな脳みそでも分かるように言ってやれ!」

「分かりました、会長。……いいですか宇津呂くん。この方は三年生なのです。こんな幼い女の子のような可愛らしい見た目をしていても、れっきとした十八歳なのですよ」

「ええっ⁉」


 それってあれか? 合法ロリとかそういう……でもまだ高校生なんだから合法ではないのか⁉


 僕が合法ロリ、もとい会長の方を見ると、彼女は分かりやすく照れていた。


「べ、別に可愛いなんて言われてもうれしくないぞ、このヤロー!」

「いいえ、会長は世界中のどんな生徒会長よりも可愛いです。私が保証します」


 会長に熱っぽい視線を向ける鈴仙さん。


 それを受けて、ますます顔を赤くする会長。


 なんだか百合の波動を感じる……!


 そんな場の雰囲気に耐えられなかったのか、橘さんがわざとらしく咳払いをした。


 ハッとした様子で、鈴仙さんと会長は真面目な顔に戻る。


「え、ええとだな、諸君らを呼び出したのには理由があるんだ」

「僕らにあなたたちの仲を見せつけるためですか?」

「ち、違う! あたしと鈴仙はそんなやましい関係ではないぞ!」

「そうですよ宇津呂くん。校則で不純異性交遊は禁じられていますが、同性ならなんの問題もないのですよ」

「うん⁉ 鈴仙、その言い方は誤解を生んじゃうぞっ!」


 慌てたように両手をわちゃわちゃさせる会長を見て、鈴仙さんは意味深な表情で言う。


「誤解……ではないでしょう? ね、会長」

「鈴仙……⁉」


 会長と鈴仙さんが見つめ合う。それから、お互い恥ずかしそうに目を伏せる。


 再び僕のセンサーが百合の波動を探知したとき、橘さんがもう一度咳払いをした。


「一体私たちは何を見せられているのかしら。もし本当に用事がそれだけなら、教室に戻らせてもらうわ」

「あっ、いや、違うんだ、かえ姉――もとい、橘楓! 私たちが君たちを呼び出したのは他でもない。君たちの部活動の件だ!」

「部活動……?」


 そういえば、僕はまだ部活に入っていない。もちろん入るつもりもないけど。


 あんなものはっきり言って時間の無駄だ。三年間何かをやったからってプロになるわけでもそれが仕事になるわけでもないし、何かの役に立つとは思えない。そんなことをするくらいだったら家で自由にだらだらしていた方がよっぽどマシだ。どうせ社会に出たら否が応でも働かされるわけだし。


「ふん。やっぱり分かっていないみたいだな。鈴仙、教えてやれ!」

「はい、会長。宇津呂くん、よく聞いておくのです。この学校では、生徒は全員部活に入るか、各種委員会に入らなければならないのです。そうしなければ進級できないのです」

「進級できない? それって……」

「要するに、永遠に留年し続けるということです」


 眉一つ動かさず、鈴仙さんは言った。


「じょ、冗談じゃないですよ! そんなの横暴だ!」

「ええ、冗談ではないのです。あなたの隣の人を見るのです」


 僕は思わず僕の隣――橘さんの方を見た。


 五回目の一年生である、橘さんを。


「ま、まさか、橘さん……!」


 僕の声にかぶせるように、会長が不気味な笑い声をあげた。


「ふっふっふ。そうなんだよ宇津呂くん。この橘楓という生徒は部活に入らなかったせいでもう四年も留年しているのだよ!」

「な……なんだってー⁉」


 そんな――そんな理由で四年も留年だなんて。


 このままでは僕も留年し続けてしまう!


 いずれは初々しい新入生の中に一人佇む長老のような存在になってしまう!


「いいえ、それは違うわ」


 僕の不安をかき消すように、橘さんの凛とした声が生徒会室に響き渡った。


「私が留年したのは部活に入らなかったことだけが理由ではないわ。その真の理由は」


 フッ、と、橘さんは勝ち誇ったような笑みを小さく浮かべた。


 生徒会室にいる全員の注目が彼女に集まる。


 そして、橘さんは万を持して口を開いた。


「赤点を大量にとってしまったからよ」


 そのとき僕は確信した。


 ああこの人、ちょっとバカなんだ、と。


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