第16話 『蛇使い』

 3日後、万有はミトラを連れてバウムクーヘン屋に来ていた。ミトラが前に来た時とは打って変わって、店の前には常軌を逸した長蛇の列が出来ている。


「すげぇ行列のらね……」

「当たり前だ、万里姉のバウムクーヘン屋は世界一のお菓子屋と呼び声高いからな。今お前が持ってるその袋一つ買うのにも、半年待つなんてザラにあった」


 ミトラは三日前に店主から貰ったバウムクーヘンを食べながらその話を聞いていた。


「たしかに美味しいのらけど、初めて食べるお菓子がこれだから他がどうとかわからないのら」

「贅沢な奴め」

「しかし、こんな状況で本当に会ってくれるのらかね? あの狭い店にこんな沢山の客が来てるんじゃ、店の中は相当忙しそうのらよ」

「営業再開に向けてアルバイトを何人か雇ってるらしいから、頑張れば少しは時間を開けられるって言ってたぞ」

「そう、例えば今とかね?」


 驚いて後ろを向く二人。そこには小麦粉で汚れたエプロンを着た店主がいた。


「万里姉!」

「八年ぶりね、万有。私の期待通り、最強のS4になってくれたようで誇らしいわ」

「万里姉のお陰です。貴女が冒険者の自由を説いてくれたお陰で、俺はあそこまで上り詰めることが出来たんですから」

「そんなに言われる程の事じゃないわ。しかし、たまたま出会ったこの子がまさか貴方の連れだったなんてね。どんな偶然だって話よ」

「二人共知り合いのらか?」

「そうさ。紹介しよう、この人は佐々場万里。俺の師匠であり、この世界に来たばっかりの俺を拾って冒険者のイロハを教えてくれた恩人でもある。そして何を隠そうこの人は――」

「ふふ、続きは店の休憩室でしましょう? 見ての通り店が大盛況で、あまり長く時間を取れそうにないの」

「おっとそうでしたね。ミトラ行くぞ、ここのスタッフ達の為に、報告は手早く済ませよう」


 万有とミトラは万里の後に続き、裏手に回って店の中に入る。二人が案内された場所は、四脚のパイプ椅子と一台の折りたたみ机しかない簡素な部屋だった。


 入口側にミトラ、反対側に万有と万里という布陣で座ったところでミトラの結果報告が始まった。


 忙しい万里を思いやってか、ミトラは要所だけかいつまんで簡潔に報告を済ませる。僅か20秒たらずで報告が終わると、万里は感心したように頷く。


「凄いわね、本当に一人でやっつけちゃうなんて。ねえ万有?」

「余裕とまでは行かなかったようですが、それでも手駒一匹で仕留めきったのは類を見ない功績でしょう」

「素直に褒めてやんなさいよ全く……でも良かったわ、無事に帰ってきてくれて。この三日間、貴女の安否がずっと心配で心配で」

「報告が遅れて申し訳ないのら」

「全然気にしないで。あぁそうそう、報酬をあげないとね。それじゃ、これをどうぞ!」


 万里は足元から真っ白な箱を取り出し、ミトラに差し出す。箱を受け取ったミトラは箱の中身を見て、思わず目を輝かせる。


「い、一本まるごとのバウムクーヘンのら! これ、本当にもらって良いのらか!?」

「正確には一本の半分だけどね。今の私達ではそれが精一杯なの、半分だけでごめんなさいね」

「いやいや、半分だけでも凄い迫力のら! 額縁に飾って愛でたいくらいのら……」


 箱に頬を擦り付けるミトラの顔は、すがすがしい程の満面の笑みだった。


「……あらあら、あげた品物の価値以上の者を貰っちゃったわね。それじゃ、ついでにもう一つボーナスして上げる。万有、今メモ帳を持ってたりしないかしら?」

「万里姉、まさか未来視を?」

「そう。私の『未来視』を使って、これからあなた達が何をすれば良いかを教えてあげる」

「でも他人に未来を伝えると死ぬんじゃ――」

「直接伝えると死ぬわね。でも、回りくどい言い回しでなら大丈夫。これは実証済みよ」

「そんな抜け道が……メモの用意は出来てます、いつでもどうぞ」


 万里は目を閉じて息を吸い、再び目を開いて万有を見る。その目はさっきまでの青い目とは打って変わって赤くなっていた。


『地下深くに眠る蛇、その裏に蛇使いの影在り。蛇は今も化生を繰り、主の目的たる「世界の掃除」をすべく力を蓄えん』


 予言を言い終えた万里の目は青色に戻り、少し息切れしたものの間もなく正常な容態を取り戻す。


「蛇使いだと? まさかハル街を襲ったヒュドラは、誰かに改造された個体だって言うのか?」

「詳しくは言えないわ。真実へは自分の手でたどり着いて」


 その時、奥の扉からエプロンを着た若い男性が顔を覗かせる。


「店長! 我々だけではもう限界です!」

「そろそろだと思ってた。それじゃ万有、ミトラちゃん、頑張ってね!」


 万里は手を振りながら男性の居る方へ駆け出し、やがて扉の向こうに消えていった。


 ◇  ◇  ◇


 店を出た万有とミトラは、駅に向かって歩いていた。


「蛇使いねえ。ミトラ、何か心当たりとかないか?」

「う~ん……あるはずのら」

「あるはず?」

「蛇使いって言葉を聞いた瞬間、うっすらと誰かの顔が浮かんだのら。アタシ、何か重要な事を忘れてるみたいのらけど……」

「記憶喪失か? なら焦らんでいい、変に思い出そうとしたらトラウマを呼び起こしてしまうかもしれんからな」

「そうしたい所のらけど、ヒュドラを探すにはその記憶が重要になる気がしてならないのら。だから怖がってなんかいられないのらね」

「くれぐれも無理だけはするなよ」

「いいや、絶対に無理する羽目になるのら。今のアタシにゃ無理せずに進める道なんて残されてないのらから。でもまあ――」


 ミトラ、箱の蓋を開けて中身を見る。


「なんだかんだ、神様は試練の後にいつも飴をくれるのら。すっごく甘くて、とっても美味しい飴を。それがある限り大丈夫のら」

「……まあ、お前がそう言うなら大丈夫なんだろう」


 溜息をつく万有とは逆に、笑顔で歩き続けるミトラ。しかしその笑顔には、時々引きつりが見え隠れしていた。

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