過去編 第二話


―――才能がないわけじゃないと思う。


九歳のころから始めた剣術は、家庭教師から絶賛された。


なかなか筋が良いですよ、姫様。


そんな彼の掌を細剣でぶっ刺して叩き出したのがちょうど十歳の冬のころ。

大人のプライドを圧し折ったとか、なんら良心に呵責を覚えるところはない。

妻子持ちのくせに、母屋仕えの侍女に手を伸ばした挙句、孕ましていた。しかも三人も。とんだ助平男だ。


新たな剣術の師は寡黙で冗談もいわない男だったが、腕は確かで教え方も上手かった。

姫様に細剣で勝てる男はルフェスにもそうそういないでしょう。

そう言わしめたのが十三の誕生日の直前。


単純に嬉しかったが、同時に不満だった。

細剣では。

男の無骨で圧力のある剣技の前に、どうしても女の身では対抗しきれない不甲斐なさ。


代わりとばかりに、彼女の魔術の腕は絶したものといって良かった。

封巻スクロールも使用せずに上級魔術の連続行使。

冗談抜きで、大陸でそんな芸当が出来る術師は、数えるほどしかいなかっただろう。

もっとも、サクア・カルフェルシェ・ド・ノーランドは自らの魔法の素養を隠した。

一般に、男性は剣に長け、女性は魔術に長けるという。

それでも、魔術でなく剣の腕を高めたかった。認めて、賞賛して欲しかった。

なんでそんな風に思っていたのか。もう思い出せない。

しかし、無駄ではなかった。

むしろあの幼き日の情熱は、このために与えられたものではなかったのか。

腰に吊るした剣鞘に手を当て、サクアは記憶の残滓を嗅いだ。

夢に現れた神が、神託とともに与えたもうた剣。

混迷の闇を裂き、魔王を撃ち払う一筋の希望。


…そのはずなんだけどな。


サクアの自信はそこで揺らぐ。

この聖剣、なんびとも鞘から引き抜くことが出来ぬ。もちろんサクア自身もその刀身を見たことがなかった。

神託を受けた本人にすら扱えぬ剣。


ならばなぜ、神はあたしにこの剣を?

担うに値しない相手に剣を与えるのも滑稽な話だと思うし、ならばいずれ我が物として振るえる日が来ると楽観もしていられない。

人間の知るに至らぬ深遠な啓示であるならば、今すぐにでも解いてしまいたかった。

悠長に時間が過ぎるのを待つことは出来ない。それほど人類は追い詰められている。


大陸の主なる四国が非常事態宣言を発布し、全兵力を終結させていた。

一大決戦の日は近い。

かつてはいがみ合っていた大国同士が手を携えている姿は、本来喜ぶべきものであろうが、敵である魔軍は強大過ぎた。

雲霞の如く空を覆う飛竜の群れ。

首か心臓を突かぬかぎり動きを止めることのない狂戦士や巨人。

古の邪悪な魔術を振るう死霊たち。

勝てるのか?

誰もがそう思い、されど口には出さない。

勝たなければならない。でなければ大陸は滅ぶだろう。

もちろん、ノーランド伯ハインツにも出撃要請が来ていた。

今頃、幼い息子を所領に措いて、粛々と王都に行軍しているはず。


「ごめんなさい、お父様」


サクアは我知らず呟いた。

出撃要請を携えてルフェス王都からの使いが来たとき、額の後退した特使はやたらと切れの良い弁舌でまくし立てた。


――こちらのご息女は、男性騎士に勝るとも劣らぬ剣の使い手とか。出来うるなら、是非、陣頭に立って頂きたいものですな。


一介の特使としても非礼な物言いである。思わず剣を鞘走りかけたハインツは、国王陛下のご所望ですの一言に辛うじて自制した。


サクアは容色可憐なハインツ自慢の娘である。亡妻の面影を色濃く残した娘を、彼は溺愛したといって良い。

このような見目麗しい少女が甲冑に身を固め陣頭に立てば、確かに兵の指揮を鼓舞することに繋がるやも知れない。

その点においては特使の言い分も理解できないわけではないが、可愛い娘を戦場に差し出す愚かな親にハインツはさらさら甘んじる気はなかった。だが国王たっての望みとあらば無下にすることも出来ぬ。

悩む父に見かねたサクアは、神託を受けたことを話し聖剣を差し出した。


「私は旅に出とうございます」


未だ聖剣は抜けません。この剣を自在に振るえる日は来たらば、すぐさま父上の陣頭の元へ。


ハインツは驚き、反対した。

神託を受けたのは彼ではないし、抜けない剣も鞘こそなにやら神秘的だが本当に神に下賜されたのかどうか見当もつかない。

しかし、迷った末にハインツは娘の出奔を認めた。

どのみち手元に留めおけまい。なまじ匿うより、旅に出した方がまだ危険が少ないのではないか。

国王陛下には娘が神託を受けて旅に出たと説明すれば良い。紛れもない神意であれば、あらゆる事情より優先されて然るべきだ。

なに、決戦に勝ってしまえば追及を受けることはあるまい。逆に負けてしまえば罰するどころの話ではなくなる。

それでも、渋々と、本当に渋々と、ハインツは娘が国元から旅立つのを見送ったものだ。

十分な路銀と信頼のおける供のものを五名。

当初の目的は、竜鱗国ガーランド。

到着するなりサクアは護衛たちに告げた。


「今は父上も国王軍も、一人でも優秀な戦士を欲しているのです。貴方たちもすぐに馳せ参じなさい」

「いえいえ、姫さま、我らは御身のご守護こそを」


そう主張する護衛長をサクアは説き伏せた。


「私はガーランドに滞在しますから。いくら非常時とはいえ、これだけの大都市の中でそうそう危険はないでしょう。 いざとなれば大使館に駆け込めばそれで事足ります」


正論である。ましてやルフェスとガーランドの関係は、過去二百年の歴史を紐解いても友好の文字が擦れたことはない。唯一無二の同盟国だとお互いに信頼している。


「されど、されど!」

「安心しなさい。お父上の叱責は私が受けます」


予めそのことをしたためておいた書状を渡し、サクアはそれ以上の会話を打ち切った。

護衛たちはしばらく話し合っていたようだが、やがて護衛長以下が跪く。


「姫様は、我々が護衛の任を全うしたと思し召されるか?」

「十分に」

「なれば、我らは直ちに引き返し、魔軍との決戦に身を投じたく」

「それこそ戦士の本懐でしょう」

「しからば御免」


一斉に顔をあげた護衛たちの表情は、まさしく戦士のそれだった。

ルフェスに向けて踵を返した彼らを見送ると、サクアも行動を開始。

ガーランドの最高学府竜牙院に聖剣の解析を依頼し、彼女自身も文献を紐解く。

しかし分かったのは、おそろしく高等な術式がかけられていることだけ。

戦に向けた非常事態中で人手が足りないにせよ、竜牙院の知識と頭脳を持ってしても解呪は覚束ない。

したがって刀身が抜けることもなかった。

より高度な解析を求めてサクアは魔導国家ネイ=ダタンに渡ることを決意する。

短い旅程ではない。

新たに奮発して護衛をやとってはみたがは、本音を言ってしまえば荷物持ち以上のことは期待してはいなかった。

いざとなれば自らの力で道を切り開く覚悟がサクアにはあった。


「でも、これは予定外だわ…」


つい先ほど、その護衛たちにも逃げられた。

よりによって端っことは言え魔王領を突っ切る最短距離を選択したサクアも命知らずだが、二人で金貨十八枚も支払ったのだ。

命の相場は知らないが、せめて賃金分は働いてもらわないと困るのに。

まあ、いまさら商道徳に考えを馳せても仕方ないか。

新たに荷物運びも見つけたことだし。


「…待ってくださいよ~」


後ろから聞こえてくる、世にも情けない声。


「おっそいわよ早くしなさいよもう日が暮れるわよ?」


足を止めていると、背中と前に大荷物を抱えたジーンがようやく追いついてくる。

フードは捲り上げられ、額から滝のような汗が滴っていた。

はあはあはあと息も荒くジーンはしゃがみ込む。大荷物のせいで、前後の荷物に挟まれて首だけを出しているようにしか見えない。


…これが男?

細い腕は、サクアの知る筋肉に鎧われた武人のものではない。

まるで女の子のようにしなやかで頼りないもの。


「荷物、多くないですか?」


息を整えながら見上げてくるジーンに、


「必要だからその量なの!」

「必要って…」

「着替えに食べ物」

「これが全部!?」

「そうよ。何か文句ある?」


むしろサクアの方がジーンの軽装を訝しがっている。

彼女の見たかぎり、外套を身に付けているほか、皮鞘に包まれた剣と小さな鞄をぶら下げているだけ。

よくこれだけの装備で旅をしてこれたものだと逆に感心してしまう。


「やれやれ、しょうがないわね。今夜はあそこで野宿しましょ」


サクアの指し示したのは、峠道から外れた岸壁の裏側だ。

ちょうど樹が生い茂り、道からこちらは見えないが、こちら側から峠を歩いてくるものは見える。

もうすぐ平地に出ると見込んでいた行程は、ここに来て鈍ってしまっていた。

仕方ない。きちんとした寝床で眠るのは明日以降へ先延ばしだ。


「じゃ、火を熾して」


決めるだけ決めて、サクアは横柄なものだ。

素直に従ってしまうジーンにも責任があるだろう。そんな彼は許しを得て食料の入った荷物を開けて絶句する。

岩のように硬くなったパンはまだいい。海産物の干物も、まあ分からなくないだろう。

しかし、むやみにでかい鞄の奥底に、ぎっしりと詰まった青果物に空いた口が塞がらなかった。


「野菜は必要でしょ?」


サクアは実に偉そうにのたもう。間違いではないのだが、重いし嵩張るし、長旅に不向きなのはいうまでもない。事実、大半が傷んで萎れてしまっているではないか。

更にジーンを茫然とさせる事実が鞄の中に転がっている。

鍋やらなにやらの調理器具。重いわけだ。


「…ところで、アンタ、料理できる?」


一転、申し訳なさそうな顔つきになるサクア。

貴族の令嬢であるからして、彼女は調理をしたことは一切ない。

この峠を越える数日も、雇った護衛に調理の一切を任せていた。はっきりいってあまり美味しくなかった。食べられなくはなかったが。


「う、うん…」


火を起こすと、ジーンはそこに小ぶりの石を突っ込んだ。

ちょっと待っててとサクアを置いて、彼が森に消えて一刻ほど。

膝を抱えるサクアは、ひもじさに耐えていた。

かといって硬いパンをそのまま齧るのもためらわれる。


「おまたせ」

「…遅いわよ!」

「ご、ごめん」


謝罪しながら、ジーンは自分の鞄から小刀を取り出す。

手に持っているのは、名前も知らない野鳥と山菜らしい。皮袋が脹らんでいるところを見ると、沢に下って水も汲んできたのだろう。

手馴れた様子で鳥を捌き、山菜を切り刻む。

手際のよさにサクアが目を見張っていると、ジーンは火の中から石を取り出した。

平べったい面に捌いた肉と山菜をのせ、これも鞄から取り出した小瓶の中身を振っている。

食材の焼ける音に続き、美味そうな匂いがにわかに立ち上った。


「お腹空いたでしょう? 先に食べてて。今からスープも作るから」

「………」


サクアの目は見開かれたまま。こんな調理法、見たことない。

おっかなびっくり木を削ってつくったフォークを伸ばし、焼けた肉を一口。


「…美味しい!」

「そう? 口にあって良かったよ」


ジーンは笑いながら借りるねといってサクアの鞄から木のカップを二つ取り出した。

続いてカップの中に水を満たす。

ちょっと待って。こいつ今からスープを作るっていってなかった?

焚き火の中から小ぶりの石を選んで取り出したジーンは、それを器用に木の枝でつまみ、コップの中へ。

じゅわっと音を立てる水。

しばらく小石を入れておいて、取り出す。また新たな小石を入れる。

それを繰り返すと、やがてコップから湯気が立ってきた。


…こんな方法があったなんて!


驚くやら感心するやらのサクアの横で、ジーンは取り分けておいた鳥皮を、じっくりと焚き火で炙ってから次々とコップの中へと。

細かく刻んだ香草と、また例の小瓶を振って出来上がりらしい。

サクアの前に差し出されたコップからは、実に芳しい香りが立ち上っていた。

味も良い。少し渋い感じがするが、飲み下したあと口の中がスーッとする。

パンを浸して食べると、実に具合が良かった。


「ジーンって器用なのね!」


満腹になると、サクアは手放しで賞賛した。

ここ数日の食生活と比べれば、まさしく雲泥の差である。


「だからそれだけ荷物が少なくて済むのね、なるほどなるほど」

「そうかな…」

「ひょっとして、結構旅慣れてる?」

「そんなことないよ」


謙遜するように照れ笑いを浮かべる少年に、がぜんサクアは興味が沸いて来た。

見たところ、自分とあまり大差のない年齢。

それでいてこんな危険な峠をたった一人で旅するその理由が気になる。

更に訊ねようとして―――いや、まだ油断するべきじゃない。

腹が膨れて気が緩んでいるんだと、サクアは咄嗟に自戒。


人は見た目に寄らない。いかにも頼りなさげに見えるこの少年の正体は目下不明。

色々事情がありそうなので詮索はしてないけれど、たとえ何をいわれたといえそうそう簡単に信用するべきじゃあない。なによりここは魔王領なのだ!


「まあ…ネイ=ダタンに着いたら、それなりにお礼はするから」


不自然にならない程度に声の温度を下げ、後片付けもせずにサクアは荷物の中から毛布を取り出した。


「もう休む?」

「ええ、おやすみ。明日も早いから」


焚き火から距離をとって、毛布をかぶった。油断なくワンドと聖剣を抱えながら。

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