過去編 第一話

――――大陸は、未曾有の危機を迎えていた。



人里離れた寂しい山中を、ひっそりと進む一行がいる。

前衛に痩身の男が槍を構え、後衛には弓を抱えた小太りの男。

真ん中に、フード目深に被った華奢な影がある。手にワンドが握られているところを見ると魔術師らしい。

決して珍しい組み合わせではなかった。むしろ英雄譚の見本のようなパーティである。

ただ違うところは、前衛後衛と勤める男たちの顔に明らかに脅えた表情が浮かんでいたこと。

それも無理なからぬことだ。


現在一行が進んでいるのは、神に見捨てられた地レン=ブランド。

大陸全土に対し宣戦布告中の魔王領で、その端を掠める危険きわまりない道程である。


地元の民はとっとと疎開しているし、連合軍の斥候とて意味がなければ近づこうともしない。

好き好んで渡る人間がいないのは、出会い頭に魔物に食い殺されたという噂が一つや二つでは済まないほど流れている証拠だった。

それでも、竜鱗国ガーランドから小国ヒノイを抜けて、ネイ=ダタンへ至る最短ルートには違いない。


―――急がねばならなかった。

見るからに血の気を失っている護衛二人の間で、フードを被った人物は口元を引き結ぶ。

我知らず、ワンドを握っていない左手は、腰に吊り下げた長剣の鞘に触れている。

この剣の正体を知ることが目下の急務である。

複雑な術式が施されているらしいこの剣は、ガーランドの竜牙院の学者たちにも調べてもらったが全くといっていいほど埒が開かなかった。


しかし、ネイ=ダタンならば。

魔道国家であれば、何か分かるかも知れませぬ。


学者たちの悔しそうな表情に反し、それ以外に頼るべきものは見出せなかった。

無理を承知でネイ=ダタンに急ぐに至った流れはこうであり、無茶をする理由はこの剣が世界を救う希望になるかも知れぬということに由来する。


神託があった。

夢の中に現れた神は、こういわれた。

『これこそが魔王を撃ち払う剣なり』と。


目覚めると忽然と出現していた一振りの剣。されど誰も抜くことが適わない。

その意味も確かめなければならない。

剣を抜くに値する勇者がいるのか、それとも魔王の眼前に至って初めて抜ける破魔の剣なのか?


ぎゃああああああああ


人の悲鳴ではない。魔獣の雄叫びだ。

きっとあれはワイバーン。

フードの人物はそう類推していたが、お供の二人は全く冷静ではいられなかったようである。

ばっさばっさと巨大な翼が風を切る音。

一瞬、空が翳ったかな? と思ったときには、長大なシルエットが宙を舞っていた。


ぐあ?


黄色い真珠玉のような瞳が人間ども見下ろしている。


「ひ、ああああああああああああっ!」


「あ、こら、待ちなさい!」


止める間もあらば。

前衛後衛を務める男たちは、主人を置いて逃げ出していた。

間抜けな悲鳴ともつかぬ声が後を引き、それに興味をそそられたようにワイバーンが翼を打ち鳴らし追いかけていく。


「ったく、あの手の怪物は動いてるものしか認識できないんだから、じっとしていれば通り過ぎるのに」


飛竜種はそういうものだと言い含めておけば良かったと気づいても、もはや後の祭り。

もっとも、いきなりワイバーンなどという大物が出てくるとは予見していなかった。

逃げ出した二人が助かるか否か。それはワイバーンの腹具合と彼らの腕次第だ。彼らとて一端の冒険者を名乗ったのだから、そこまで関知するつもりはない。


今はこの道を抜けることが何よりの急務。

しかし護衛は去り、フードの人物は山中に一人きり。


「あ、そういえばアイツらに着替えとか食料を持たせていたんだっけ……」


地面を見れば、武器と一緒に荷物が放り出されている。

ほとんどが自分のものだとしても、持って歩くと考えただけでうんざりしてきた。


「やっぱり引き返して助けに行ったほうがいいかなぁ…」


もっとも、フードの人物の逡巡は長くは続かない。


「…誰!?」


低く鋭い誰何の声が命中したわけではないのだろうが、目前にあった木の枝がばさばさと揺れた。

続いて人影が転がり落ちてくる。


「あたたた…」


強かに打ちつけたお尻を摩っている人影も、これまたフードを目深に被っている。

おまけに背格好まで余り変わらないのだから、まるで鏡合わせの瓜二つ。


奇妙な硬直事態が生じた。

お互いにフードを被った姿を不審に思っているためか、ピクリとも動こうとしない。動けない。


ざわりと風が吹き抜ける。

お供に逃げられた方のフードかぶりは、手に持っていたワンドを突きつけた。

繰り返すが、誰もが好き好んで歩かない危険な山道なのだ。

そこを通るのはよほどの酔狂か、はたまた魔軍の兵士か?

なんにせよ、尋常な人物では在り得ない。臨戦態勢を取るのはむしろ当然とさえいえる。

怪しさの点に置いてはお互い様なわけだが、自分のことを棚に放り上げてワンド片手に殺意すら滲ませるフードの人物に対し、地面に座り込んだままのフードの人物の方はすかさず両手を挙げていた。


「よし、まずはフードを取りなさい」


命令されて相手は素直に従った。フードの下から現れたのは、意外や意外、線の細い男の子のようだ。ただし、埃やらドロやらに塗れて顔はひどく汚れている。


「名乗りなさい」

「…キリア・ジーン、です」


あらまあ、意外と素直なのね。

内心で感想を呟き、二つ目の質問。


「こんなところで何を?」

「ネイ=ダタンに行く途中で…」


見るからにおどおどとした気弱な受け応え。

それに―――こんなぼそぼそとした喋り方、まるで湿らせたビスケットじゃないの!

思わず眉をしかめていると、キリア・ジーンとやらが問い返してきた。


「君こそ誰なんだよ、こんなとこで…?」


問いかけられて、ワンドを突き付けたフードを被った方は短く唸る。

とりあえず魔軍の関係者ではなさそうだ。だいたい見るからに弱そうだし。

それでも油断なくワンドを突きつけながら、ゆっくりとフードを降ろす。

人里離れた山中に、見るも鮮やかな金髪が姿を現した。その下の白磁の顔には、まるで宝石をはめ込んだような蒼い光が二つ躍っている。


「サクア・カルフェルシェ・ド・ノーランドよ」


少女は居丈高に名乗り、少年と相対する。


かくして向かい合うキリアとサクア。

沈黙が流れた。

お互いの名前が韻を踏んでいたから、というわけではない。


「…君、女の子だよね? それでなんでサクアって…」

「アンタこそ男よね? なのにどうしてキリアなんて名前なのよ?」


サクア。一般に男性の名前として用いられる。

キリア。一般に女性の名前として用いられる。

だから互いに違和感を抱いてしまったようだ。

それだけといってしまえばそれだけの話なのだが。


「…あたしの場合、一人目の娘だったからなの」


サクアは、慎ましやかに膨らんでいる胸を張った。


「あ、ノーランドってもしかして…?」


ようやくキリア少年の顔に理解の色が広がる。

ノーランドといえばルフェスでは名の通った大貴族である。

貴族が大事な跡取りに、厄災よけにわざと性別の違う名前つけるという風習は決して珍しくはない。


「じゃあ、アンタはどうなのよ?」


キリア・ジーンは名前でしかない。彼は姓まで名乗っていない。

サクアと同じ風習に則って女の子の名前をつけられたとすれば、彼も貴族の子弟ということになる。


「僕は…」


言いかけてキリアは口を噤んでしまった。

その横顔に苦いものが滲んでいることに気づいたサクアは、それ以上追及しない。

サクア・カルフェルシェは、貴族の礼節を知る淑女なのである。


「ま、いいわ。でも、キリアじゃ呼びづらいし紛らわしいから、あたし、アンタのことジーンって呼ぶ」


「は?」


キリア改めジーンは間抜けな顔になった。

名門貴族のお嬢様の余りに砕けた口調と態度に驚いているのか、それともあまりに唐突な申し出が意外だったのか。

或いはその両方かも知れなかったが、少女サクアは一切頓着した様子をみせない。

あくまで自分のペースで語りかける。


「それでね、ジーン。アンタはネイ=ダタンに行く途中なわけよね? あたしもちょうど行かなきゃいけないの。大至急」

「はあ…」

「というわけで、ジーン。アンタを荷物持ちにしてあげる」

「はいぃ!?」


サクア・カルフェルシェは貴族なのだ。




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