1章 いわくつきの診療科⑦

   ***


 その日、テニスサークルは多くの系列店を持つ居酒屋で飲み会を開いていた。


 雅之、透、弘樹、健二の四人は他のメンバーから離れ、座敷の個室に集まっていた。


『そろそろサークル内の女子漁るのは飽きてきたな』


 雅之は座敷で片膝を立て、ビール片手に粋人らしく振る舞う。


『それな。そもそもこのサークルの女って、ヤリサーだってわかってて入ってくるじゃん。擦れてて萎えんだよな』


 透も酒で目元を赤らめ、うんうんと頷く。


 ヤリサーというのは異性と性的関係を持つことを目的とするメンバーが多くいるサークルの通称だ。

 徹はぐいっと酒を煽って言う。


『たまには素朴なのがいい』


『女子高生だと、なおよし!』


 弘樹もノリよく乗っかった。


 わかるわかると四人はまたも頷き合う。すると、弘樹が『そうだ!』とテーブルに身を乗り出し、にやりとした。


『俺、いいこと考えちった』


 弘樹が考えたいいこと。それは夜道をひとりで歩いている女子高生を狙い、襲うというものだった。


 彼らは高校生が通っている塾の前で張り込み、中から出てきた有名私立の女子生徒にターゲットを定めると、静かにバンを走らせ、あとをつける。


 そして、ひっそりと静まりかえっている住宅街を歩いている彼女をバンに無理やり引きずり込んだ。


『んーっ、離して! 誰か助けて……っ』


 後部座席で女子高生は、じたばたと暴れる。


『うわ、上玉! ラッキーっ』


 はしゃぎながら女子高生に馬乗りになる弘樹とは反対に、健二は尻込みする。


『ちょ、これ犯罪だろ。まずくないか?』


『あ? ビビッてんなよ!』


 透に怒鳴られ、健二は渋々シャツを脱いだ。


『おい、そいつ黙らせろ』


 運転席にいた雅之がハンドルを切りながら振り返る。


『車の外まで聞こえるぞ』


『はいはい。おら、口塞げ』


 透が顎をしゃくると、健二は躊躇いがちに女子高生の口に自分が脱いだTシャツを突っ込んだ。


『んぐーっ』


 そうして人気のない山道にバンを止め、彼らは女子高生を襲った。それからしばらくして、ふと裸の彼女の上にいた雅之が眉を顰める。


『なんか、おかしくないか?』


 このとき初めて、雅之は彼女がぴくりとも動かなくなっていたことに気づいた。


『おい、おい!』


 雅之はその頬を軽く叩く。


 口にTシャツが詰められていたせいで、雅之たちは彼女が窒息しかけていたことに気づかなかったのだ。


『早くTシャツ取れ!』


 透に言われ、雅之は女子高生の口からTシャツを取る。


 そして雅之を押しのけるように、弘樹が女子高生の口元に耳を寄せた。


『う、嘘だろ……こいつ、息してねえ!』


 弘樹が女子高生の肩を掴んで『起きろ、起きろって!』と揺さぶるが、反応がない。


『し、死んだのか……? 俺たちが、殺した……?』


 青ざめる健二に、透がまなじりを吊り上げた。


『んなわけねえだろ!』


『でもさ、反応……なくない?』


 弘樹の言葉に、皆が物言わぬ女子高生を見下ろして沈黙した。彼らはこのとき、意識を失った彼女が死んだと思ったのだ。


『俺たち、犯罪者になっちゃったのか?』


『健二、てめえが口にTシャツなんか突っ込むからだろ!』


『だって、透が口塞げって!』


 健二と透は言い合いを始める。


『おい、今はそんなことしてる場合じゃないだろ!』


 弘樹が間に入るが、『なら誰のせいになんだよ!』と透が噛みつく。


『そんなん俺に言われても……』


 弘樹は力なく座り込む。透はそんな弘樹の様子に苛立ち、舌打ちをして雅之を見た。


『おい雅之! お前も黙ってねえで……』


『……海に沈めるぞ』


 ぼそりと雅之は呟いた。皆が唖然としていたが、リーダー各である雅之の意見だからか、次第に『そうだな』と彼らの心も固まった。


 雅之は静かに運転席に移り、夜の港まで車を走らせる。そして、四人がかりで女子高生を海に投げ捨てた。それが午前零時のことだった。


 翌日、彼らはテレビのニュースを血眼になって確認したが、彼女の遺体はまだ見つかっていないようだった。だが、いつ判明するのかとひやひやしながら、今まで過ごしていたと言う。


   ***


 話を聞いていた一叶たちは、絶句していた。


 女子高生を思えば怒りがわくし、彼らのような若い大学生がこんな犯罪に手を染めるなんてと、ショックを受けてもいた。


 ただ、ひとつ彼らに伝えておきたいことがあった。


「……彼女は、死んでいなかったと……思います」


 男子大学生たちが「え……」と困惑気味にこちらを向いた。


「私は、彼女に起きたことを追体験したんですが……」


 多分あれは彼女が自分に起きたことを伝えたくて、一叶に追体験させたのだ。


「水に落ちたとき、苦しさと冷たさを感じました。死んでいたら、そんな感覚はないはずです」


 嘘だろ……と呟いた健二に、透は怒鳴る。


「お前が殺しちゃったかもとか言うからだろ!」


「な、なんで俺のせいになるんだよ! 元はと言えば、弘樹が息してないとか言うからだろ! あのとき病院に連れていくべきだったんだ!」


 今度は健二が弘樹を責める。


「なら、そのときに言えよ! あと、一番初めになんかおかしいって言い出したの、雅之だからな! 海に捨てるっつったのも!」


 弘樹もまた、雅之を責める。そうなれば雅之も黙ってはいない。


「はあ? これは連帯責任だろ!」


 男子大学生たちの罪を押し付け合うようなやりとりに、嫌気がした。彼らはいつまで、自分を守るのに必死になっているのだろう。


「きみたちはさっき、髪の混じった大量の水を吐いて窒息しかけたはずです」


 京紫朗は厳しさを帯びた声音で語りかける。


「あれは幻覚でしたが、身体には低体温や低酸素といった命を脅かすダメージが出ている。このままではいずれ、きみたちは霊症に殺される」


 ――殺される。それにはさすがに怯んだのか、彼らは息を呑んだ。


「きみたちが助かるためには、被害者の彼女が許してくれるかはわかりませんが、誠意を見せて出頭するしかない。罪を償うこと、それがきみたちに残された最後の薬です」


 ここまで言っても「はい」と頷かない彼らに、翔太は呆れた様子でため息をつく。


「あんたらのいたテニスサークル、評判悪いらしいな。女の子の失踪に関わってること、本当に誰も知らないと思う?」


 さっと、彼らの顔に狼狽が走る。


「誰かは気づいて、人殺しだって噂するかもしれない。そんな中で、あんたたちは生きていけるのか?」


 彼らはもう、醜い争いをやめていた。彼女への贖罪の気持ちからではなく、取り返しがつかないほど人生を棒に振った事実を翔太に言われて実感したのだろう。


 彼らが本当に心の底から彼女に申し訳ないと思えるようになるまで、もしくはそれでも許される日は来ないかもしれない。だが、もう一叶たちにできることはなかった。




 呼んだ警察が到着する頃には明け方になっていた。


「松芭先生、警察の方が来られました」


 夜勤の看護師が、ふたりの男性刑事を病室まで連れて来た。事件に関与した患者の引き渡しのため、京紫朗が呼んだのだ。


 男性刑事たちは病室に入るや、揃って頭を下げてくる。


「初めまして、警視庁オカルト犯罪対策課の刑事、九鬼くおにです」


 赤い短髪、黒のスーツ姿の刑事が警察手帳を見せてくる。そこには九鬼あずさと書かれている。彼は長身でガタイがよく、首にえんじのネクタイと黒革のチョーカーのようなものをつけていた。


「同じく草間くさまです」


 梓に合わせて警察手帳を啓示したのは、草間と名乗った刑事だ。手帳に書かれた名前は草間しのぶ、歳は二十代半ばくらいだろうか。


 彼も背が高く、緑がかった黒髪を後ろで結んでおり、緑のストライプネクタイと灰色のスーツを身に着けている。


「警視庁オカルト犯罪対策課……?」


 つい口に出してしまうと、それに気づいた忍がこちらに向かって上品に微笑んだ。


「新人さんですか?」


「えっ、は、はい!」


 慌てて頷くと、忍は人当たりよく「そうでしたか」と答える。


「こういったオカルト関連の事件は、東京都の警視庁生活安全部にある『警視庁オカルト犯罪対策課』、通称『特S』で扱うんです」


 央が「特S?」と首を傾げると、梓がどこか得意げに言う。


「特殊でシークレットだから特Sだ。松芭さんとも、何度か一緒に仕事をさせてもらってる」


 梓の視線を受け、京紫朗がこくりと首を振った。


「九鬼さん方はオカルト関連の事件が専門です。今回みたいに、医療現場との連携が必要な案件もありますから、これからも顔を合わせる機会があると思いますよ」


 一叶は、つい翔太と顔を見合わせる。


(警察にもオカルト関連の部所があるんだ……)


 お互い考えていることは同じだろう。


 それと、先ほどから気になっていたことがある。


「あの、九鬼って……」


「ああ、弟が世話になってます。俺は和佐の、六つ年上の兄です」


 梓はそう言って、にかっと笑った。


 やっぱり! という気持ちと予期しない形で和佐の兄に遭遇した驚きとで、一叶も翔太も唖然とする。


「さあて」


 梓は弱り切った様子でベッドに座っている男子大学生たちを振り返った。


「女子高生が行方不明になっていましてね。その件について心当たりがあるとか。本署で詳しくお聞きしても?」


 来るものが来たと、悟るような面持ちで彼らは抵抗することなく項垂れていた。


 彼らを連行する梓たちのあとについていき、一叶も京紫朗や翔太と共に病院の裏口から外へと出る。そこには赤いランプを点滅させているパトカーが停まっていた。


「それでは、ご協力ありがとうございました」


 忍がそう言い、九鬼と共に一礼して男子大学生たちをパトカーへと連れていく。その様子を見ていると、ピチャッと水音がした気がした。


 ――隣にいる。


 すうっと冷気を右側から感じて、一叶はごくっと喉を鳴らした。冷や汗が頬を伝い、身体が強張って振り向けないでいると。


(え……)


 彼女が一叶に向かって深々とお辞儀をした。驚きと恐怖とで前を向いたまま動けなかったが、彼女がゆっくりとパトカーのほうへと歩き出したのがわかった。彼女の透けた背中と、濡れた足跡が遠ざかり、そのまま消えてしまう。


「あ……」


 つい声を発してしまうと、翔太がこちらを振り返った。


「どうしたの?」


「あの子が……私たちに挨拶をして、パトカーのほうに……」


 被害者の女子高生のことだとすぐにわかったらしく、「マジか……」と翔太は驚愕していた。


「ついていくのかな」


「たぶん……」


 そう翔太に返事をしたとき、刑事のふたりが車の中から頭を下げてきた。皆で会釈を返すと、パトカーが走り出す。


「私は……なにかできていたんでしょうか」


 気づいたときには、そう口にしていた。解決したはずなのに全然すっきりしないのだ。


「罪が明るみになっても、被害者が生き返るわけではないですし、霊病の原因がわかっても、あの男子大学生たちの霊症が治るわけでもないです」


 京紫朗は一叶の苦悩を理解しているかのような眼差しで、話を聞いてくれている。


「ほんと、すっきりしないよな」


 翔太も考えるように、分厚い灰色の空を仰いだ。


「そうなんです、すっきりしないものなんですよ」


 一叶と翔太は、あっさり肯定した京紫朗を振り向く。


「病気と同じ、治るものもあれば治らないものもある。一生付き合わなければならないものもです。私たちは万能ではありませんから、病気が少しでもよくなるように頑張るしかないんですよ」


 確かにそうかもしれない。結局のところ、力になれたかどうかは相手が決めることだ。自分たち医者にできるのは、患者のためにベストを尽くすことだけなのだろう。


 完全にパトカーの姿が見えなくなった頃、手のひらを天へ向けて雨が降りそうな空を仰ぐ。


(あの子が濡れないといいな。もう十分、寒い思いをしたはずだから)

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