【最高402位】盲愛そして、いびり愛

おくやゆずこ

第1話

 古めかしい屋敷の廊下を、夏目葉太は召使いやら警備の人間やらを引き連れて歩く。医療ドラマみたいだな、と自分で自分を鼻で笑った。ぎいぎいと足を進めるたびに床が鳴る。屋敷も、屋敷に住まう人間も、今のIT全盛期の時代に信じられないくらい和風で古風だ。この屋敷内だけ大昔にタイムスリップしたかのようで、生まれてこのかた二十一年、ずっと夏目家で暮らしている葉太でさえも違和感を感じるくらいだ。今日はいい天気。お天道様がてっぺんで輝いている。葉太は着ている紫色のスタンドカラーのシャツが暑苦しくて、襟元をパタパタとする。風はあまり入ってこない。苛立ちを隠せず葉太は舌打ちをした。すぐに召使いにたしなめられた。

「なんで俺がこんなことを」

 葉太は眉をひそめた。あからさまにもほどがある。冬の空気が冷たくて、より一層苛立ちが募る。

「夏目家の人間の勤めですから」

 葉太の召使いが顔を崩さず告げる。つまんねえ答えだな、と葉太が床に唾を吐きながら言った。手で口を拭っていると、警備にあたっていた者がざわざわしだした。葉太にとってはその音が不愉快極まりない。

「葉太様。あちらに我らが主様が」

 小さい影を見つけた葉太はあからさまに嫌そうな顔をしたが、一瞬で凛とした顔を作りその場でひざまずく。背丈の小さな少年とも少女ともとれないその人影は、葉太を視界に入れると口角を上げた。パタパタと駆け寄ってくる姿は子供のそれだ。

「久しいのう、久しいのう!何年ぶりか?葉太よ」

「あー、十年と少しでございます。おそらく。俺を覚えていただいていて光栄です。主様」

「煮え切らん答えじゃの。まあいい、どうせすぐ忘れるわ」

 主様と呼ばれた子供に見える存在は頬を膨らませたかと思うとすぐにケラケラと笑った。葉太は唇の端っこをピクピクさせている。

(早く終わってくれよ。頼むから)

 葉太は主様が苦手だった。夏目家が百年と少し前から代々仕えてきた存在。本質の読めないその人間ではない存在を見るたびに、弄ばれていることに対する腹立たしさと人外じみた行動への恐怖心が襲ってくる。そして主様はわがままで、なおかつ夏目家の宿命として主様に逆らえないので一層腹立たしい。

「本日はいかがされましたか」

 葉太が主様の姿を目にするのは実に十二年ぶりだった。もう生きているうちに主様に会うことはないと思っていたのだが、なんの頼みだか知らぬが頼みごとがあるらしくなぜか葉太が指名されてしまった。葉太の両親はたいそう喜んだ。葉太はそれすらも気に入らない。

「我は父親と母親というものに憧れておってのう」

「はい?」

 調子はずれな声を葉太は出した。室内で風も吹いていないというのに、主様の白いおかっぱは揺れている。端正な顔立ちが葉太を見てくる。

「両親というものは大層面白いものだと聞いたぞ」

「全く話の趣旨が理解ができませんし、まず情報が間違っています」

「我は面白いものを好んでおる」

「聞けよ。話を」

 楽しそうに目を細める主様を見て、葉太は苦い顔をしながらため息をついた。姿勢が痛くて、崩した正座に切り替えた。ふと蝶々がふらりとやってきて、主様はそれとじゃれた。何も知らずに見ればただの幼い子供である。話の続きはいつ始まるのだろうかと葉太が思ったその時、ぱん、と主様が手を叩く音が聞こえた。優雅に空を舞っていた蝶々が一瞬にして消えてしまった。

「そうじゃった、そうじゃった。葉太よ、頼みがあってのう」

「お断りします」

 面倒ごとはごめんだと葉太が頼みを聞く前に断りを入れた。それと同時に、主様の笑顔が消える。先ほどまでとは違う鋭い眼光に、葉太はたじろいだ。

「夏目の者が我を拒むというのか?」

 風が強く吹く。葉太の焦茶色の頭が風に流され乱れる。召使いたちがどよめく。

「いいえ、いいえ。冗談です、はい。すんません」

「わかればよろしい!」

 ぱぁっと主様の顔が明るくなる。葉太は胸を撫で下ろした。召使いたちもほっとしたようである。

「それでな、それでな葉太よ!」

「俺は逃げませんからゆっくり喋ってください」

 葉太がにこやかに笑うと、主様は憮然とした顔になった。

「葉太、逃げるじゃろ」

「逃げますね。すんません」

「まあいい。そんなことより喜べ葉太よ!」

 主様が手を鳴らす。ぱんっという音が響いて、その後。

「おあっ!?」

 葉太は目を丸くして大きな声を出した。葉太と同じく目を丸くした、長い黒髪で和柄のワンピースを着た少女がどこからともなく落ちてきたのだ。一瞬少女が空中で止まったかと思えば、いきなり重力に従い落ちてきた。ひゃぁっという小さい悲鳴が聞こえると、少女は葉太の脳天に直撃した。

「葉太に嫁を用意してやったぞ!我の母親じゃ!」

 しばらくニコニコしたかと思えば、主様はうんともすんとも言わない葉太の顔を覗き込んだ。葉太は震えている。

「……葉太?どうしたのじゃ葉……」

「いってえよこのクソ女が!」

 葉太が立ち上がって少女の胸ぐらを掴む。少女はきょとんとしている。これと言って整っているわけでもないそのぽかんとした顔がまた葉太の怒りを増幅させた。

「これ、やめんか葉太よ!その女子は葉太の嫁じゃ!優しくせんか!めっ!」

 子供の姿をした主様が子供を叱るかのように言う。悲しいかな、気迫はない。

「うるせえ!いきなりなんなんだよ!」

 少女を睨んだ後、葉太はハッとした。冷や汗が垂れる。少女から葉太の手が離れた。少女は掴まれたところを凝視している。彼女の頬は紅潮しているようだった。

「主様、天罰だけはご勘弁を。マジで。すんません」

「我の親になるのだから寛大な心を持て葉太よ」

「ああ、はい」

 束の間の静寂が訪れた。主様はあくびをする。それにつられて葉太もあくびをしようとした、その時だった。

「……今なんと?」

「寛大な心を持てと言ったのじゃ」

「いや違う、その前、前だよ」

 小首を傾げながらその言葉は発せられた。

「我の親となれと。そう言ったのじゃ」

 ひゅうっと風が吹き抜ける。葉太の目線が泳ぐ。召使いたちが葉太になんだかんだと言ってきた。

「なんじゃ?それとも、夏目の者が我を拒むと……」

「拒んだらどうなりますかね」

 召使いたちはその場を動けずにいる。未だ風は吹き続ける。

「そうじゃなあ」

 主様がニヤリと笑いながら葉太を見る。

「それは苦しみ。それは絶望。そして」

 宙に浮いたかと思えば、主様は葉太の肩に手を置いて耳元で囁く。

「それは、死じゃ。童よ」

 少女が葉太を穴が開きそうなくらい見つめていることに、葉太は気が付かない。

「わっ……かりましたぁ……」

 葉太は無理矢理笑みを作る。風の音が終わった。

「うむ!我は楽しいぞ、葉太よ!」

 小さく拍手をする主様とは対照的に葉太の顔は強張っている。

「で、そこの女、誰なんだよ」

「牡丹」

「え?なんて?」

 ボソリと告げられた名前を葉太は聞き取れなかった。葉太が聞き返すと、少女は恍惚とした表情で葉太の頬に手を添えた。

「夏目牡丹。に、なったばっかりです。葉太様」

 牡丹が優しくはにかむ。葉太は確信した。

(面倒くせえ……)

 思わず葉太はため息をついた。

「触んな」

 葉太は冷酷にも牡丹の手をはたき落とした。牡丹は何故か嬉しそうに手をさする。

「いいか、お前は余計なことすんなよ。……面倒くせえことに、主様の命令は絶対なんだよ。だからせめてお前はくれぐれも面倒ごとを増やしてくれるなよ」

「はい、わかりました。だから、おそばに置いてくださいね」

 牡丹に笑顔の花が咲く。

「……旦那様」

「やめろ。キショい」

「うひひ。仲がよいのはよいことじゃ。どの時代でもな」

 主様が目を細めた。ご機嫌なようだ。

(誰なんだよマジで。なんなんだよマジで)

 葉太が舌打ちをした。かくして、せわしなく動くこの現代社会の知らないところで一組の夫婦が誕生したのであった。

「……なあ」

 葉太が声をかける。返事はない。月が綺麗だ。最近まで使われていなかった屋敷に(無理矢理に)葉太と牡丹は移り住むことになった。賑やかだった夏目家から一転、二人だけの生活となる。葉太は嫌で嫌で仕方がなかった。でも仕方がない。ジタバタしたって何にもならない。疲れるだけだ。

「なあって」

 布団を敷く、長い黒髪が美しいその背中は微動だにしない。仕方なく名前を呼ぶ。

「……牡丹」

「なんでございましょう葉太様」

「お前わかっててやってんだろ」

 牡丹はふふ、と微笑をこぼした。

「お前、人間なの」

 葉太は一番気になっていた疑問を牡丹にぶつけた。

「ああ、私は分家の人間ですよ。木村家の一人娘でございます」

 あやかしではありませんのでご安心ください。そう言って牡丹は笑う。

(ご安心できねえっつーの)

 主様は何故か屋根の上でくつろいでいるようだ。彼、もしくは彼女は神出鬼没である。夏目家の誰も視認できない日、と言うのもザラだ。

「ところでさ、お前はいいの」

 布団を敷く手を止めて牡丹は振り返る。

「葉太様のお隣で眠ることがですか?」

 牡丹が照れた顔をしながら右手をさすった。

「それはマジよくないけど」

 葉太が乾いた目をこすりながら牡丹を見る。

「よくないのですか?夫婦でございますよ?」

「だから、その夫婦ってのが問題なの。わかんねえやつだな」

「あら、何が問題なのですか?」

「馬鹿か?」

 隣同士に敷かれた布団を足で少しずつずらしながら葉太は牡丹を睨んだ。

「私は幸せ者でございます」

「こっちは不幸せ。なんで知らねえ女と夫婦にならなきゃいけねえんだよ。それに、俺の好みは胸のでかい金髪美人のお姉さん。お前、なんにも当てはまってねーじゃん」

 頭の中で葉太は考えた。牡丹と今すぐに別れる方法。牡丹と一刻も早く別れたかった。

(こうすればおさらばできるんじゃねえか?)

 思い浮かんだそれは愚かな考えだった。文机に近づいて何かをした後、葉太は牡丹のそばに近づいた。石鹸の香りがした。

「牡丹」

「はい、なんでしょうか」

 葉太はおもむろに牡丹の腕を掴んで自分の方へ引っ張った。牡丹は葉太の腕の中へ。葉太は牡丹を抱き止めた。当然の出来事に、思わず牡丹は葉太の藤色の寝巻きを掴んだ。恋い慕う葉太に抱き止められ、葉太の体温が伝わってきて、牡丹の心臓が鳴り止まない。

「葉太様……?」

 牡丹が背の高い葉太の顔を見上げて伺った時だった。じゃきん。音がした。

「え、葉太様、なにを」

葉太が手にしていた大きめのはさみが、牡丹の黒髪を切り落とした。じゃきん、じゃきんと音は続く。はらり、はらりと黒髪が落ちていく。花弁が枯れ落ちていくかのようだった。

「ははっ。似合ってんじゃん?」

 さいごに束がどさっと布団の上に黒髪が落ちた。葉太の考えとは、この女を泣かせてやれば流石の主様も諦めるのではないか、という単純な考えだった。葉太は牡丹を突き放すと、嘲笑と嫌味を放った。牡丹は真っ直ぐ葉太を見つめる。

(早く泣けばいいのに、強情な女だな)

 しばらくして、牡丹の目元に涙が溜まってきた。

「馬鹿女が。お前にゃこれがお似合いだよ」

 葉太が言葉を吐く。そっと牡丹が短くなった自分の髪に触れる。そしてしっかりと葉太を見据えた。口を閉じるのも忘れて。

「に、似合っておりますか」

「……は?」

 ぶわあと一気に上気したように牡丹の顔が赤くなる。

「そうですか、そうですか……!」

「お前、馬鹿なの?アホなの?」

「牡丹はやはり幸せ者でございます!」

「え」

 言葉通り、幸せそうに牡丹が笑う。葉太がうろたえていると、牡丹に腕を掴まれた。

「のう、葉太よ……」

「やべっ」

 悪手だった。そしてタイミングの悪いことに、主様が部屋をのぞきに来た。葉太は腕を振って離そうとするが、牡丹の手は離れない。

「牡丹よ、その髪は……!」

「いや、ね?違うんですよイメチェンと言いますか」

「我と揃いではないか!」

 ごうっと空間に風が吹き込んだ。葉太は口をあんぐりと開けている。揺れる白いおかっぱは月夜に映えていた。

「我は嬉しいぞ葉太よ。仲良くやっておるのだな。我の両親にふさわしいだろう」

「いや、いびりってご存知ですか?」

「ええ、葉太様とお近づきになれました。牡丹は幸せでございます」

 完全に葉太は蚊帳の外だ。

「ところで、もう葉太様はご就寝なのですが……」

「そうであった、そうであった。人間には睡眠が必要なのであったな。夜分に失礼した」

 爽やかな風が吹くと主様の姿は無くなっていた。葉太の開いた口は塞がらない。

「今日は初めて葉太様と眠る夜ですね……。私、ちゃんと眠れるでしょうか」

 きゃー、どうしましょう、と小さく牡丹が言う。

「別んとこで寝ろ馬鹿」

葉太は怒りと行き場のない感情に任せて牡丹の布団を蹴っ飛ばした。

「そんな、心配しなくても牡丹は大丈夫でございますよ」

「そうじゃねえ。さっさと去ね」

「わかりました。では葉太様、いい夢を」

「あーもう、腹立つな。去れ!去れ!」

 なお微笑みを絶やさない牡丹を見た葉太は、頭を思いっきり掻いた。そしてあることに気がつく。

「この髪、どう処理すればいいんだ……?」

 おもむろに髪の束を拾ってみる。艶めく黒髪はサラサラと手から滑り落ちていった。

「私にお任せください」

「あ、うん」

 葉太が素直に返事をする。牡丹は鼻歌を歌って嬉しそうだ。その後、どさくさに紛れて一緒に眠ることになってしまうのはまた別の話である。

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