第28話 鑑賞会

 林間学校の翌朝、エアコンを強めに効かせて、自分の部屋のベッドの上で微睡んでいた。

 今日は平日で母さんは仕事に行っていて、この家には俺一人だ。


 故に、俺に干渉する者は、誰もいない。

 二度寝を決め込んで目を閉じていると、スマホの着信音が軽やかに鳴った。


 無視していようかとも思ったけれど、何か大事な用事かもと思い直して、そっちへ手を伸ばした。

 ―― あ、姫乃からか。


『おはよう、起きてる?』


 まだ起きてはいないけど、既読スルーという訳にもいかず。


『まだ寝てたけど』

『もうお日様は高いわよ。今日空いてる?』

『一応、空いてる』

『じゃあ、そっち行っていい?』


 そっち……て、うちの家にってことだよな?

 一瞬で目が覚醒して、


『うちの家に?』

『うん』

『今、俺しかいないけど』

『大丈夫。そこは信用してあげる。写生の続きやろうよ』


 そういうことか。

 昨日の林間学校で、川に落ちた姫乃を助けて、課題の写生が中断していたので、その穴埋めのようだ。


『わかった。ありがとう、待ってるから』

『おう』


 さっと起き出して、見られても恥ずかしくない程度まで着替えをして、部屋をざっと片づけた。

 お昼前の時間になって、『ピンポーン』とインターホンが来客を告げた。

 部屋の中から玄関先の映像を確認すると、それは違いなく姫乃だった。

 ドアを開けて、


「おはよ。ようこそ」

「よ。おはようってより、もうこんにちは、だよね?」


 姫乃はリビングのソファの脇に、肩から下げていた鞄と、手に持っていたビニールの袋を、どさりと置いた。


「ごめんね、急に。でも写生は、記憶が残っている内に仕上げた方がいいでしょ?」

「そうだね、ありがとう。それでわざわざ?」

「……まあ、それだけでもないけどさ」


 ほぼ部屋着の俺とは違って、外から来た姫乃は、女の子らしい恰好だ。

 チェック柄のキュロットが、可愛らしくてよく似合っている。


「ご飯まだでしょ? 材料買って来たから、ぱっと作っちゃっていい?」

「え、いいの?」


 ぴっと親指を立ててウィンクを投げてから、彼女はキッチンへと向かった。

 それから慣れた手つきで、野菜と肉を小さく切って、麺と一緒にフライパンに開けた。

 さっとソースをかけると、食慾をそそる香が、リビングの方にも流れてきた。


「はい、お待たせ」


 色合いが豊かな、姫乃特製の焼きそばが完成した。

 冷めないうちに、早速一口。


「いただきまーす…… ん、とっても美味しい」

「そう、よかった」


 野菜のしゃきしゃき感と麺のもちもち感が、噛んでいて心地いい。

 やっぱり、姫乃は料理上手なんだなと実感した。


 彼女はそんな俺に微笑ましそうに目を向けてから、自分も箸を付けた。


 満腹のお腹を抱えて、少しだけ食休みをしてから、


「よし、やりますか?」

「ああ、そうだね、よろしく」


 書きかけの画用紙を自分の部屋から持って来て、リビングのソファに並んで腰を下した。


「ふんふん、大体半分ってとこか」

「どうしたらいいと思う?」

「私が言うように、書いてみてよ」


 姫乃が場所を指さして、ここはこんな感じとアドバイスをくれる。

 濃い感じ、薄く軽い感じ、グラデーションっぽく、鉛筆を寝かせて等々、結構細かい。


「うん、結構上手じゃん」

「そうかなあ……」


 あまり自信はないけれど、それでも彼女に言うように筆を進めていくと、だんだんと見違えるような絵になってきた。

 大体一時間ほどかかって、モノクロ写真のような作品に仕上がった。


「うん、こんな感じかな」

「凄いな、本当に俺が書いたのか、これ?」

「ふふん。先生がいいからね」

「ありがとう、助かったよ、先生」


 いい出来栄えに仕上がって、やれやれと思って気を緩めると、


「じゃ、次やろっか」

「次?」

「せっかくだから、他の宿題も、やっちゃおうよ?」

「へ? それ、今やるの?」

「これから、夏のイベントがあるのよ。早めにやっといた方が、後で楽でしょ?」


 そう言い放つと姫乃はすっと席を立って、


「あっちのお部屋の方がいいんでしょ?」

「ああ、まあ……」


 目の前をすたすたと横切って、俺の部屋のドアを当然のように開けた。


 なかなか容赦がない。

 夏休みはまだまだあるのにと面倒くさく思ったけれども、姫乃と二人でなら分からないところも聞き合えるし、こっちが意識散漫になれば活も入れてくれるので、嫌でも前に進むだろう。

 そう思い直して、壁に立てかけてあった簡易テーブルの脚を広げて、フロアの上に置いた。


「そうだ、ねえ、あれって観られるの?」

「あれ?」

「映画行った時に話してた予告アニメ」

「ああ、『機甲兵団と光速の女神』か? 」

「うん。今度の映画公開までに、前のやつを見ときたいなって思って」

「ああ。ネット配信でやってると思うから、リビングのテレビとかで見られるよ」


 バイト代の中から、月額いくらのサブスクの配信サイトに加入しているので、多分大丈夫なはずで。


「じゃあ、勉強はぱっと終わらせちゃって、その後で観てもいい?」

「いいよ。でも、50話ほどあるから、全部見ると結構時間かかるよ」

「そっか。じゃあ今日は、観れるとこまでってことで」


 それから、まず姫乃が苦手な英語の宿題から初めて、気分転換も兼ねて数学や国語の方にも手をつけて、時折雑談にも花を咲かせていると、あっという間に時間が過ぎる。


「あんまり遅くまでいると、陣のお母さんに迷惑かなあ?」

「いや、母さんはいつ帰ってくるか分からないし、姫乃がいても多分気にしないと思うよ」


 母さんは昔からそういった点はおおらかで、向こうの親御さんがOKなら、来るものは拒まずのスタンスだ。


「よし、じゃあ、アニメ観賞会といこうじゃないの」

「はは、じゃあ、向こうの部屋に移動だね」


 リビングのテレビ画面に配信番組を流す準備をして、


「なあ姫乃、晩飯はどうする?」

「あ、そっか。もうじきそんな時間だね」

「たまには宅配でもとろうか? そしたらゆっくり観られるし」

「あ、それいいかも」


 二人で何がいいか相談して、結局宅配ピザを注文することに。

 姫乃の気分で、四種類の具材がのったLサイズのピザとポテトを注文した。


 それからアニメの観賞会が始まって、途中で宅配ピザが届いた時の中断を挟んで、二人並んでじっと見入った。


「面白いなあ、これ」

「だろ? あんなのに乗って宇宙を飛べたら、気持ちいいだろうなあ」


 すっかり夢中になって五話ほど見終わった時に、玄関のインターホンが鳴った。


「ただいま」

「おかえり、母さん」

「あの、すいません、お邪魔してます……」

「あら姫乃ちゃん、いらっしゃい」

「一緒に宿題をやって、一休みしてたんだよ」

「あらそう。ゆっくりしてってね、せっかくの夏休みだしね」


 そう言って母さんは、嬉しそうに眉を下げて頬を緩めた。


「母さん、明日からも、姫乃に来てもらっていい? 一緒にやった方が、宿題とかも早く終わると思うし、ちょっとやりたいこともあってさ」

「ええ。姫乃ちゃんとご両親さえよかったら、うちはかまわないわよ」

「ありがとうございます!」


 姫乃にお願いされたわけではないけれど、多分アニメの続きも見たいんじゃないかと思ってそんな話をすると、彼女は俺の方を向いてにっこりと微笑んでくれた。


 それから母さんの夕飯づくりの手伝いをして、三人で雑談をしてから、姫乃を駅まで送っていった。


「ありがとう、陣。また来るね」

「ああ、いつでもどうぞ。こっちこそ、ありがとう」


 彼女は、改札を挟んで手を振る俺の方を何度も振り返りながら、駅の通路の向こう側へと消えていった。




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