「太閤が亡くなったそうね」

「そうだな」

 福に目を向けずに為信は並べられた二つの書状を見比べる。差出人は家康と三成。どちらも泰平の世を共に築こうと謳っている。違いがあるとすれば家康には豊臣についての言及がなく、三成にはある。三成には津軽の領土拡大を保障があるが、家康には本領安堵しか明記されていない。

 天下に近いのは長らく戦の最前線に立ち、乱世の信義の表裏を知る家康。豊臣陣営で人望が無い三成がどう対処するのかは見物である。

「戦の支度は無論。でも、今回の戦は日ノ本全土の大名が雌雄を決するために戦う」

 福は立ち上がると扇子を手のひらで弄びながら書院造の窓際に座る。

「で、どうするの」

 持っている扇子を為信へと向けてくる。

「着実なれば徳川、賭けるのであれば石田」

「付け込む隙があるのは石田ね」

「だが、付くべきではないと」

「ええ。どう考えても徳川が勝つわ。勝った者にこそ緩みがある。それに、徳川は随分と必死に動いているわね」

「戦前から先手を掴み、必勝を期すか。徳川らしい」

「此度は徳川ね。とてもじゃないけど、石田は負けるわ」

「残念そうね」

「そう見えるか」

 問いに答えることなく福は為信の目を覗き込む。先程までの余裕のある表情が消え、怒りを含んだ吊り上がった目を向けている。

「人の目は誤魔化せないわ」

「……石田はなかなかに面白い男だがな」

「面白さだけで生き残って大きくなれるなら苦労しない」

「まぁ、そうだが……」

 気付ける者であれば良い。しかし、三成の性格にはそれを覆い隠して余りあるほどの難がある。誰もが知っているから将来に不安を感じて家康になびく。この流れを止めるには周りがいかに死に物狂いで工作を行っても三成の努力が必要になってくるが、本人にそのつもりがあるとは思えない。

 それ故に福の目には三成がただの邪魔者にしか見えていない。たとえ為信が幾千の言葉をかけようとも彼女の心に響くとは思えない。食い下がっても容赦なく自身の人格を汚してくる。それだけは避けたいと本能が言っている。

「先程申していたが、あの徳川が天下を取った後、再び世を乱すようなことをするとは思えぬ」

「分からないわよ。それに、死ぬよりは良いじゃない」

「それは……」

 為信は謀を重んじて領土を拡張してきた。それ故に死を恐れ、福や森岡ぐらいしか背中を許せる者はいない。

「平和な世になっても領地を広くする手段はあるはずよ」

 皆まで言わせるなと福は為信を睨む。讒言を行い、蹴落としてそれを手中に収められるようにしろと言うのだ。しかし、織田、豊臣の治世を見てきた家康がそのような隙やこれまで誼が無い者に簡単に新たな領地を与えるとは思えない。

「徳川の中には石田が嫌いだから後先考えないで味方に付いた豊臣恩顧の将もいるみたい。それを焚き付けられる機会があれば、好機はいつでも作れるわ」

 簡単に言ってくれるが、その代表格の将達は彼らだけで生きてきたことが影響してか、排他的なところがある。それ故に近付くことが出来る機会も無ければ接点すらも見つけられない。たとえ彼らが徳川に組したことを後悔したとして、その時に彼らを唆す機会など万に一つもない。しかし、理に適っている以上、反論出来る余地はなく、溜め息を付きながら頷く。

「ともかく、今は徳川に近付く術を探す」

 福を残して、執務を行う部屋へと向かう。

 徳川に良い印象を為信は持っていない。あの目だけで人を射殺さんとする鋭い目つきは人を見下し、上辺だけを見事に着飾っている自身のようである。同族嫌悪であると自覚が有りながらもこればかりは仕方ないと首を横に振りつつ、机の前に座り、墨をすろうと手を伸ばす。

「殿、大谷刑部様より書状が届いておりまする」

 外からの声に手が止まり、外の気配を探る。一人だけだと確信してから口を開く。

「これへ持って参れ」

 受け取ると家臣が出て行ったのを見計らい、中を改める。秀吉が暗殺を狙われたりしていたのを知っている身であると自身にも返ってくることが怖くなってきてしまい、身内にも警戒心を持ってしまう。

 話したいことがあるため、明日にでも再び会えないかという内容だった。

 大谷は徳川派の人間であり、既に家康とは病の身であるにもかかわらず、何度も談笑をしているところが目撃されている。もし大谷が口添えをしてくれるのであれば家康に会うこともなく、彼の懐に入れる可能性もあるため、都合が良い。

「これ」

「はっ」

「大谷殿に書状を認める。出来次第、届けよ」

「御意」

 

 翌日、為信は約束の刻限に大谷の屋敷を訪れた。自ら出迎えてくれた大谷の目つきは穏やかだった。病に侵されてから頭巾で顔を覆い。微かに見える目だけを晒しているのは知っていたが、無駄な心配だったと為信は密かに胸をなで下ろす。 

「突然お呼びして申し訳ござらぬ」

「刑部殿からのお誘いでは乗らねばなりますまい」

「茶でもいかがで」

 頷くと大谷は自身の茶室へと誘う。小さくまとまった庭や屋敷を見ると武人の質素たる生活をするべきという戒めだけでなく、まるで大谷自身の今を見ているように感じる。病に侵され、周囲から疎まれ、自らも容易に人と近付くことはせずに己の身だけを守っている。それが守るというよりも彼が他人を寄せ付けない雰囲気を少し感じるのは気のせいかもしれない。

 草庵風の茶室は屋敷の最奥にあり、周囲の屋敷からは一番離れている所に置かれている。木々の枝や葉も目立たない程度に見通しが良く、密会には丁度良い。

「侘びたものにござるな」

「華やかなものがよろしいか」

「いえ、こちらの方が某の性分にも合っているかと」

 目元以外が見えないため、分からないが、大谷はおそらく笑った。中に入ると四畳半の茶室がやや窮屈に感じる。

 部屋の割に大きな掛け軸や花入が目立ち、何となく全体を圧迫しているようだ。

 庭を見ていると湯を湧かしているが故に漂う湿った空気を頬に感じる。自ずと視線は炉に置かれている口の小さな山型になっている茶釜に向けられる

「珍しき物にございまするな」

「以前、ある御方から譲り受けたものでございまする」

「ほう」

 誰と聞くのは野暮である。この茶器の命運も二人の会談にかかっているのだろうから。

「実は、この茶室には他にも多くの者を招いたが、応じてくれたのはほとんどおらずに困っていたところであった」

「皆、太閤殿下がお隠れになった故、多忙なのでござろう」

「今は、毛利殿と徳川殿がとりわけご多忙と聞いておる」

「毛利殿が」

 為信は目を丸くする。毛利は先々代の元就の頃から中国地方一帯を治め、親族の少ない豊臣政権下の中でも本領を安堵し続け、五大老の一角としても主要な立場を維持し続けている。その様を横目で確認した大谷は蓋を開け、十分に湧いた湯を大ぶりの尺で取り出す。

「毛利殿がまさか徳川殿に刃向かうと」

「左様になりますな」

「毛利殿が自ら動くとは思えぬが……」

「確かにあの方動かしたのは治部殿。されど、話を受けた際、大層なお喜びだったとか」

「真に毛利殿が……」

 茶碗を為信の前に置かれるが、手を付けずに大谷を見る。

「少々寒く……」

 数秒の沈黙の後、大谷から零れた一言を聞いて開いていた障子窓を閉める。

「毛利殿と徳川殿の戦となれば諸将は二分されるのは必定。和平を持って解決することも、もはや叶わぬところまで来ておりますれば」

「身を振りを考えねばならぬ時が来たと。して、刑部殿は……いずれかより調略を」

 大谷は笑いながら直接問い質してきた客人を指差す。普通なら無礼とされる行為も気にせず、為信は一挙手一投足に注視する。大谷は徳川と石田、双方と誼がある。それ故に徳川への調略をするために呼ばれたと思っていたが、毛利という名前が出てきて振り出しに戻った。

 裏で三成が主導権を握っているが、表向き毛利が指揮を執ることになれば西国の諸大名も立場を考えなければならない。そうなると戦力はほぼ五分五分になる。さらに東国の田舎大名達の装備は西国のものと比べ物にならないほどに脆弱である。

 北条討伐で陰で笑われた思い出は鮮明に残っている。三成も例外ではなく宴の席にて東北の大名達のことについて話題に上がった時、諌めるどころか笑い声を上げて囃し立てていた。さらに西国の主要な大名を集めての会談の際も「東北の大名など、気に留めるのも煩わしい」と発言したと噂で耳にしたため、為信も思わず伊達や最上にそのことを伝えて不満を漏らしそうになった。

 勝ち目で言えば数に劣る徳川の方が分が悪いかもしれない。そうなれば勝利するには裏での戦が要になってくる。だが、石田三成という人物はあくまでも政治家としての調整は出来ても戦における調略は決して得手という訳ではないだろう。

 それが顕著に出たのが北条との戦いでおきた忍城の戦いである。石田率いる豊臣軍は数万の兵力差を生かして確実に籠城する北条の包囲を縮めれば良いものを秀吉の命令によって城を水によって囲み、補給を出来なくする水攻めを行った。結果として北条方の工作によって水攻めに必要な堤防は決壊し、小田原城が落ちた後にようやく開城した。

 本来なら秀吉の責任だが、天下人としての権威に傷が付くことを恐れた秀吉や側近達によって石田の指示によるものと世間には誇張されることになった。

 為信もまた石田の指示だと思っており、戦に勝つために必要な工作が全く出来ない人物であると見ている。そうなると彼を支える真の黒幕が必要となる。

 そこで為信は目を見開き、大谷を見た。

「まさか刑部殿は、治部殿に」

「もう余命幾ばくもなければ、最期くらい、友のために勝とうと負けようと華々しく飾りたいと思うのが武人の性にて」

「御身に何かあれば、残された者は如何するので」

「構わぬ。家族のことを恐れて大業が成せようか」

「左様な考えは某は持ち合わせておりませぬ」

 大谷の浮かべた笑みは為信を蔑んでいるように見える。普段の為信であれば全く痛くも無い態度だが、大業でいう言葉が心に引っ掛かる。武人であれば誰もが欲する大業。野望とも言うそれは皆が持ち合わせている。無論、為信も抱いているが、他の者と違うのはそれを妻と共有していることだ。それ故に家族の絆が歪ながらも強く深い。

 確かに大谷の言う通りに家族を捨てて己の思うがままに動けば何と楽なことであろうか。しかし、為信にとって福を捨てることは神仏を斬るほどに恐れ多いこと。

「貴殿も思うがままに生きてみよ。さすれば名を残すことが出来よう」

 諭すような口調で問い掛ける大谷だが、それに屈していては策士としての名が廃る。為信は表情を無にして抑揚の無い口調で答える。

「既に奥羽にて名を残しておりまする。南部領を卑劣な手段で奪った梟雄として」

「ならば今よりは日ノ本に正しきを示した知恵者として名を残すため、動こうぞ」

「まずは、重臣達に相談しなければ」

「主である貴殿が命じれば良いであろう」

「そうは行きませぬ」

 全てを見透かすように大谷が覗き込む。

「何かよろしくないことでも」

「ええ。我ら東北の大名はなかなかにも厳しい事情がありましてな」

「国人衆の統率にござるか」

「御意。中央では織田信長公が鎌倉から足利にかけて築き上げられた合議制の悪を断つ拠点を築き、太閤殿下が完成された。されど、地方では未だに拠点さえ築けていない。某もでございまする」

 大谷は肩を震わせて笑いながら為信の飲み干した茶碗を手元に寄せる。

「何か、おかしなことでも」

 さすがに不謹慎だと思ったのか、頭を軽く下げて、詫びを入れてくる。

「蔑んでいるのではござらぬ。分かっていながら諦めている様に昨日までの某を見ているような気がしたので」

「治部殿に随分と感化されたようですな」

「ええ、まさかあの頑固者から、あのような……」

 昨日のことを思い出して笑っている。よほど想定外のことを言われたのだろう。興味深いが、津軽の御家を放置してまで伺うようなことではない。一つ咳払いすると為信は大谷を真剣な目で見る。

「某も田舎の大名とはいえ、家族や家臣を持つ身。思わぬことをして、下剋上をされてはかなわぬ」

「されど、貴殿の家臣はいかにも忠実で裏切るようなことをするとは思えませぬが」

「仰る意味が分かりかねますな」

「貴殿の憂いは別にあるのでは」

 為信は努めて口端を吊り上げ、首を横を振る。大谷に覗き込まれると心までも見られているような気分だったが、すぐに姿勢を戻してくれた。

「今ここで回答をせずとも良い。いずれ良き返事を待っておりまする」

 大谷は深々と頭を下げると茶碗を膝元に寄せる。

「一つ、お伺いしてもよろしいか」

「何なりと」

 呆気ない閉幕を嫌った為信の反応を待っていたかのような対応に目端が吊り上がる。

「毛利殿と石田殿が勝つ算段は」

「あり申す」

「お教え下さるか」

「上杉殿もこちらに付いておる。徳川殿の本拠である関東を挟み撃つ」

 為信は眉間にしわを寄せ、納得していないと示す。

「絵空事のようなこととお思いか……いかにも。されど、某が絵空事で動くような者と」

「ふむ……勝算は確実にあると」

「面白き故に、でござる」

「面白き……」

「これ以上は申すことは出来ませぬ。されど、貴殿の決意次第ではお教え致そう」

 目元に微笑みを浮かべる大谷から逃れるように視線を下に落とす。敵か味方か分からない者に伝える戦略にしては、深入りし過ぎず、浅過ぎずといったところだ。背中の届くか届かない所にあるかゆみのような所で、弄ばれる感覚に多少の苛つきを覚える。心躍る策なのであれば、その全貌を知りたくなる性格を大谷は知っている。

 なぜなら大谷もまた策略家なのだから。

 しかし、これまで必死に守ってきた領地と御家を危機に瀕してまで踏み込めるかと問うてくる心に、躊躇いを生じるのも確かである。

「御家を思う心は真に立派にござる。されど……」

「それでは、己が身はいつまでも変わらぬと」

「左様」

「家族を省みて大業は果たせぬと」

「貴殿には器がある。かような狭き部屋には合わぬほど」

 その言葉で為信の頭の靄が綺麗に晴れた。明らかに寄せ集めな品を合わせ、客を窮屈に感じさせる部屋の作りは為信に対する依頼と警告である。

「まさか、その釜は……」

「左様、徳川殿より頂いた品に御座る。されど、あの方はこれの価値を欠片も理解しておらぬ」

 初めて口にした明らかな敵意に為信はまぶたを微かに動かす。

「この霊峰富士の如き型を持っていると故郷を思うて適わぬと譲り受けたが、全く厄介なものよ。恩を売るためにという魂胆が明らかに見える」

「その恩を仇にて返すと」

「これまで頂いたもの全て」

「その大口の尺もまた、似つかわしくないと示さんがためにと仰るか」

「いかにも。されど、この尺は徳川殿ではなく、貴殿に向けたもの」

「徳川殿の小さき器に入る程……否、妄言を仰ってはなりませぬ」

「貴殿の仰せられることこそ謙虚が過ぎる」

 遮るような大谷の厳しさが為信の心に響く。思わず背筋を正し、目を見る。口調と同様に真剣なものであり、一瞬だけ沈黙を生んでしまった。

「敢えて問わせて頂くが、治部殿の器はいかほどか」

「まだ焼かれておらぬ器の如く」

「職人次第ということに御座いまするか」

「手駒は揃っている。それこそ徳川殿よりも確実に」

「その職人の中に某も入れる余地はあると」

「より多くの者が集わば、治部殿の才は花開く。そして秀頼様を支え、天下を御する。貴殿も東北の大大名として後世に名を残す。互いに損は無いかと」

「我らが被害はいかほどになるかが読めませぬ」

「それこそ貴殿が先程申された」

「国人衆に任せよと。そのために貴殿らの名を騙って良いと」

「御意」

 思わず為信は唾を飲み込む。

 東北の国人衆にとって豊臣の直臣のお墨付きは天より与えられた捧げ物に等しい。

「今の話を真であると受けてよろしいか」

「某と治部殿は昵懇の仲。それに治部殿は貴殿のことを気にかけておられる故、事は上手く進むであろう」

 為信は少し眉間に皺を寄せる。

 三成と顔を合わせた時、必ず鼻に付くような態度を取られている。初めて会った北条攻め以降も為信と顔を合わせると眉間の皺を深くするなど、あからさまに邪険にされてきた。

「あの者はなかなかに不器用でな」

 為信の様子に気付いていないのか大谷は想い人を思い浮かべるように閉まったままの襖に目を向ける。

「称賛すべき者に対する警戒心は並外れている故、理解されぬがな。全ては太閤殿下がためにという思いが強いが故に、良き目を向けることが出来なかったのであろう」

「そうは仰せられてもにわかには……」

「分かっておるが、ここは某を信じてくれまいか」

 大谷は頭を深々と下げる。夢物語のような条件と見返りを付けられて惑わされることはあってはならない。しかし、検討したくなる気持ちも確かである。頑なであったはずの心の中で徳川に傾いていた角度を均衡に戻すほどに魅力的なものである。

「如何であろう」

 今すぐの回答を求める大谷の目に飲み込まれそうになる。病のせいでほとんど見えなくなった白眼が即答を求める鋭い攻勢となり、為信の守りの心を容赦なく崩してくる。誰にも縛られず、ただ自己の思うがままに御家や家臣団を扱える立場であればこの場で目の前の謀将に心を預けていただろう。

 為信を食い止めたのは、やはり心の中で存在感を異様に放つ者がいたからであった。

「せめて、今は茶を楽しみたき思いにて……」

 僅かに明るかったはずの雰囲気が一気に重苦しくなる。大谷の表情は相変わらず読めないが、明らかに失望したという思いを抱いていると分かる。

「相分かった」

 大谷は立ち上がり、閉めていた襖を全て開ける。戻り際に為信の耳元で「いつでも心変わりを待つ」とだけ伝えるとそれ以降、口を開くことは無くなった。


 大谷との邂逅を終えるとすっかり夕闇が地上を支配していた。探せばあるかもしれない情緒を楽しむ余裕も無く、為信は屋敷に戻る。

 死ぬかもしれない道を進めば望むものを得られ、安全な道は少し違うものが得られる。

 考えれば考えるほどに心の迷いは確実に為信を蝕み、大谷を失望させた事実も相まってより深い暗闇に誘う。

 結論が出ないままに屋敷の前に着くと配下の者が出迎える。馬をその者に預けると無言のまま奥へ進む。

 執務を行う部屋で福は待っていた。襖を開ける際に為信を一瞥するとまた外に目を戻した。そのまま机に向かい、留守を守っている森岡に対する書状を認める。彼には京の情勢を逐一伝え、時にはそれに対する考えを求めたりしている。

 今回はこれまでと違い、急を要し、内容も秘匿にすべきことが多いため、あえて核心には触れず分かってくれることを信じた上で筆を走らせる。

「大谷と会ったんだって」

 しばらくすると徐ろに向こうから声をかけてきた。機嫌は比較的良さそうである。

「ああ。説得を受けた」

「じゃあ、徳川に書状を」

「いや。石田に付くように言われた」

「あら病になって耄碌になったのかしらね」

 事があったとはいえを言っていないとはいえ、信頼する者をはっきりと侮辱されるのは気分が良くない。怒りを拳に押さえて福の前に座る。

「そうではない。毛利が石田に付いた」

「あら、意外ね。官職で釣られたのでしょ」

「いや、どうも毛利は徳川をかなり目の敵にしているらしい」

「ま、どうでも良いわ。西国のことよりも私達のことよ」

「そのことだが」

 為信は彼女の前に座り、目を瞑って逡巡する。そして意を決して鉛のように重たい口を開いた。

「儂が石田に付くと言ったらどうする」

 雲に隠れていた月が顔を出し、下界を僅かに明るくした。

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