「これは……」

 為信は集う豊臣軍の光景に目を丸くし、身震いをした。

 豊臣は北条を降すと、そのままの勢いで東北の仕置きにかかった。

 小田原に参じなかった者を中心に改易が決まり、残された御家も検地によって一部の領地を豊臣の蔵入地にさせられるなど厳しいものになった。

 その影響から悪政に対抗する一揆に武士達が参戦するなど、問題がいくつか起きたが、事無きを得た。

 そして、天正十九(一五九一)年正月に南部領内で起きた九戸政実の乱は、最初こそ南部家内々の揉め事として処理されて、豊臣は一度撤退した。

 だが、そこから九戸は南部を散在に苦しめた。

 五千の兵力をもって挙兵した九戸政実はもともと南部一族の精鋭であったため、奇策を持って対抗した。

 さらに南部は家中の争いでは元々、信直の家督相続が上手くいっていなかったこともあり、九戸に同調する家臣もいたため、苦戦した。

 そして、とうとう自力での九戸討伐を諦めて秀吉に使者を送り、九戸討伐を要請した。

 これに応じた秀吉は六万の大軍をもって東北の平定を行うことにし、多くの反乱軍が滅ぼされた。

 そして、その仕上げとして九戸を滅ぼすための豊臣軍が各方面から別れて最北端まで進軍してきた。

 津軽方面からは前田親子と大谷、上杉が率いる軍勢が約一万五千はいるだろうか、津軽の領地を通り、為信の本拠へと向かっている。

「誰か、前田殿がお越しだ。城門を開けておけ」

 しばらくして城門が開かれると為信は森岡を伴って外に出る。大将達が先頭でぞろぞろと無警戒で進軍してくるところを見ると空城の計を使ってみたくなるが、堪える。

「遠路の進軍、真にご苦労にござる」

「津軽殿、この前田が皆の代わりに迎え頂いたことを感謝致す」

「城内のみならず、屋敷もお使いなされ。皆様には飯と水を用意してある故、ゆるりと休まれよ」

 踵を返し、為信は城内へと誘導する。前田とはあまり話したくない。利家はともかく、息子の利長はあからさまにこちらへの嫌悪感を隠そうとしない。

 しわが多く、家康にも負けないぐらいのっぺりとした顔付きの利家に比べて利長はまだまだ実直なところが強いようだ。

 城内へと案内する間も為信のことをずっと見ていた。そして、客間に入る前に刀や脇差を預けるように伝えると堪えていたものが一気に湧き出た。

「何故に武人の魂であるものを全て外さねばならぬ」

「これより先は客間にて、女人もいる故に、安心させるためにございまする」

「いざとなればその者達を誰が守るというのだ」

「ここは我ら、津軽の領内。自惚れではござらぬが、左様なことは起きぬよう、きちっと統治しております故」

「その言葉、信じて良いものか」

「無論。何故に疑われる」

「ご無礼ながら、津軽殿は謀を好む故にござる」

「民や家臣には無用なことに致さぬ」

 利長はさらに目つきを鋭くする。言っていることに繋がりが無いことに気付いていないのか、まるで対等かそれ以上に話し合っているような自信に満ちた表情だ。

「やめよ、利長」

「されど、父上……」

「構わぬ」

 利家はそう言うとあっさり刀と脇差を抜いて控えていた小姓に渡す。

「お主も渡さぬか」

 父に命じられるがままに利長も乱暴に小姓に渡す。利家はため息を吐き、為信に頭を少し下げる。申し訳無いと口にはしないが、詫びたのだろう。ここで何か動いてさらに揉めるのを嫌った為信は何もせずに客間へと通す。

「こちらへ」

 襖を開けると福が頭を下げて待っていた。

「お待ちしておりました前田様。ささやかながら馳走を用意しております故、ごゆるりとお過ごし下さい」

 礼をする福の礼儀作法はかなり仕込まれている。本人は相手を油断させるためと言っているが、畿内でも長らく地を張っている前田親子が息を呑んだのだから本物なのだろう。

 福は素早く女中に指示を出し、酒や第一の膳を運び、前田親子をもてなすと次の膳を持ってくると奥に下がった。

「津軽殿は素晴らしい奥方をお持ちでございますな」

「有り難きお言葉。真に某にはもったいのうござる」

「はは。まるで父上のようだ」

「如何なることにございまするか」

「決して謙遜せぬことよ」

 利家の表情は相変わらずだが、若干頬肉が緩んでいるところを見ると少し恥ずかしいのだろう。利家の細君のことはかなりの賢妻だと上方で聞いた。

 前田家が取り潰しの危機に遭っても豊臣に利家の妻が自ら掛け合い、改易を免れたなど、逸話には織田最盛期の頃から枚挙が無い。

 一つ、福とどちらが上か腕比べをしてもらいたいが、生憎、利家の妻はここにはいない。秀吉夫妻と仲が良い彼女は大坂にて、秀吉の息子の守り役を務めているという話もある。

 同じ賢妻でも家柄と土地柄でここまで変わるものかと嘆きつつも、為信は前田親子と食事を楽しむ。

「時に津軽殿、九戸とは如何なる者か」

「南部の精鋭において、重きを成す方であった」

「されど、今は天下に盾突く愚か者。すぐにでも豊臣の正義の下に滅ぼされるべきである。そうであろう」

「まったく」

 為信はそれから気分が悪くなるような利長の正義の素晴らしさや豊臣の威光の偉大さについて黙って聞く羽目になった。最初の頃は適当に相槌を打ちながら流しておけばすぐに済むと思っていたが、徐々に酒の力も相まって利長が調子に乗り始めた。

 同意を求めるように聞いてきて、頷いたり「もっともにござる」と言えば、同じようなことの繰り返しで、いつまで経っても終わる気配が無い。外では機嫌の悪い福が早く終わらせろと気で訴えてくる。しかし、話を折って話題を変えるような雰囲気でもない。

 利長の勢いは衰えるところを知らず、適度に酒を入れて喉を潤し、話を続ける。

「……故に、正義はあるべきところにあり、抗う者には必ずや鉄槌を下さねばならぬ」

「まったく、その通りにて」

「であろう。津軽殿は話の分かる御方じゃ。それに引き換え……あの石田は……」

 為信は口に運ぼうとしていた杯を止める。太鼓持ちに徹してことに気をよくしたのか、利長は何周目か分からない同じ話から初めて逸れた。

「石田殿が如何された」

「あやつは関白様の正義を良いように利用し、様々なことに文句を言ってくる」

 あえて為信はよく知らないという雰囲気で、おずおずと尋ねる。利長は簡単に釣れて、ここぞとばかりに三成の愚痴を話し出す。

 秀吉の威を借りて様々な法令を遵守するように伝え、大名の事情など気にせずに言うことを聞かない者や数をごまかす者がいれば逐一報告すること。それがこれまで、秀吉の子飼いとして活躍していた者たちも例外では無いこと。さらに利長の口は止まらない。

「徳川殿にも指図するとは真に視野の狭いことよ」

「徳川様にもでござるか……」

「左様。今は味方なれど、徳川殿は最後まで関白様と天下を争った御方。無闇に従わせるのは愚の骨頂ぞ」

「されど、関白様の下にいるのであれば、守るべきものを守るのは必定では」

「否、過ぎたるは尚及ばざるが如し。無理なことをすれば不満が出てしまう」

「……もう良い」

 これまで無言だった利家が静かに杯を置いて、こちらを向いてくる。表情も目つきが全く変わらず、何を見ようとしているのか分からない。

「津軽殿、此度は良い宴にござった。明日には津軽殿もご出立である故、今日は早く休まれよ」

「お気遣い感謝致す」

 ようやく解放されたと為信は心底からの感謝の弁を利家に返す。まだこれからと不満げな利長だが、確かに外は明るく、宴の終焉には早い。しかし、それではおそらく為信の気持ちももたなかっただろう。

 利長が利家に促されるように外に出ると為信は改めて彼に感謝の意を伝えようと正対する。表向きは宴に参加してもらったことを、本心では利長を止めてくれたことを。

 しかし、利家は礼は結構だと言わんばかりに席を立つ。それに慌てて為信が頭を下げて「今日は真に感謝致す」と言う。立ち上がったまま、彼はしばらく留まり、小さく「わざはわざである……」と呟き、襖を開いた。

「石田も哀れな奴よ」

 最後にかすれた声で部屋から出て行った。だが、為信はそれ以上に利家が、自分のわざと利長の酔いと熱弁に乗じて、情報を聞き出そうとしていた腹に感付かれていたことに衝撃を受けた。

 その言葉が為信への警告か、利長への哀れみかは分からない。

 小田原で敵対する南部の肩を持ち、友好的でもない津軽に対して面と向かっての忠告など有り得ない。やはり、息子への愚痴だと思いながら聞き流す。

 だが、もし同時に為信へあまり過ぎたことをすれば、と警告したのだとしたら。やはり、豊臣の下で五大老の筆頭格を務めるだけはある。当分先は秀吉や豊臣一族の顔色を伺いながら過ごせば良いと思っていたが、どうやらそう甘くはないようだ。

 当然と言えばともそうかもしれないが、豊臣の下にいるのだから最も気にするべきは秀吉である。その秀吉はかなり大名達に自前のやり方を取らせている。だから、大名達も諍いは勝手に行うのだ。

 見極める相手が多くなるほど、絡まった糸を解くのが大変になってしまう。策士として進むのであればこれを好機と見て動かなければならない。為信は拳を握り、この混迷の中を生き抜いて見せると意気込む。

「……まだかしら」

「あ……」

 目下は後ろに潜む厄介な怒りに対処するのが先であるが。為信がその日は日がとっぷり暮れるまで起きていなければならなくなったのは別の話である。


 翌日、目の下に隈を作った為信は留守居の者達に見送られながら九戸討伐へと向かった。思えば、南部の家臣から離れて以降、一度も足を踏み入れたことが無かった。

 国境を越えて一番に思ったのは、あまり変わっていないということだ。自惚れかもしれないが、為信は国政に力を入れて、上洛した後は、彼らの街を参考に様々な改革を行った。道を整備して商人の往来を増やし、新田を開発して農民達の生産向上に努めた。

 おそらく、為信の離反と豊臣への対応に九戸の乱。中では家督相続を巡ってそれどころではなかったのだろう。遠くで見える民たちも元気そうに見えず、それどころか、頬がこけている。二交一民という豊臣直轄地ほどの重税を敷いているわけでもないだろう。上がなかなか治まらないがための結果と思うと、為信は面白くなってきたと心が昂る。彼らを津軽に誘えば、民も増えて農地も増えて、さらに税が豊かなものになる。

「如何した津軽殿。左様に笑みを浮かべて」

「これは、石田殿」

 為信は深々と頭を下げる。

 津軽軍は既に討伐軍の集合地である九戸城にいた。九戸側の前線拠点の姉帯、根反は既に落ち、残るは目の前に見える九戸の本拠地だけである。

「戦前に何を笑うことがある。油断をしてはならぬぞ」

「失礼。されど、石田殿こそ何故にかような所へ。味方の本陣とは向かう方向が違うかと」

「見回りだ。どこに不届き者がいるか分からぬ故な」

「ほぉ」と思わず口から漏れてしまう。小田原で出会った時の三成は兵達のことなど気にもかけずにただ叱咤激励をしているような将だった。そのせいで忍城攻めの際、簡単に間者の侵入を許して、兵糧を敵の手に渡していたらしい。

 それを知った時にはざまを見ろと嘲笑した。しかし、目の前にいる三成は面倒だと思っているような素振りを見せずに真剣に兵達の様子や陣中を見回っている。おそらく自ら変わらなければと悟ったのだろう。そうでなければ後ろでただ見入ってる者がここまでになると思えない。直接は聞けないが、余程忍城の水攻めの失敗がこたえたのだろう。彼にとって神とも言える秀吉の策を模倣して失敗するのは名を汚したにも等しいと思っているはずだ。

 そう考えると三成はひたむきで、自分のことは二の次にする性格なのだろう。

「かような所まで来なくとも」

「どこに不届き者がいるか分からぬ。そうある方から教えられたが故」

「ほぉ……」

「特に変わり無いなら私はもう別の所へと向かう。何かあれば逐一報告をば」

 足早に去っていくのは時間がもったいないからか、恥ずかしいからか。いずれにせよ、彼からかなり珍しいところを見れた一瞬だった。

 為信もこの場に止まって微笑ましく彼の背中を見ているわけにもいかず、諸将が集まる陣営に向かった。すれ違う将兵達の顔付きは穏やかで、とてもこれから人を殺すようには見えない。なかなか聞くことの出来ない私語もあちらこちらから聞こえてくる。

「おい。治部輔様はまた見回りに行ったらしいな」

「くどいくらいだよな」

「まったく。いつ何が起こるか分からぬのが戦とはいえ。かような戦には必要の無いことと思わぬのか」

「戦をよく知らぬが故ではないか。忍城のことがある故、分からぬでもない。されど、時と場を知らねば」

「左様左様」

 笑い合いながら為信と逆方向のどこかへと向かう兵たちの表情はここにいない三成を確実に蔑んでいた。端から見れば、彼の行いはこの勝ちしか見えない戦の中で浮いている。しかし、為信は南部家臣の頃から、勇猛な九戸のことを知っている。だからこそ、三成の行いは正しいとしか言えない。

 戦場たる中で如何なる時でも油断をしてはならない。それは、兵と農民が分離されて幾分経つ今、末端の兵も分かっていることのはずだが、どうやら戦をよく知るが故の逆効果もあるようだ。

「ま、知ったことではないがな……」

 為信は兵たちの背中から視線を切りながら鼻で笑う。九戸が戦に長けていることを知っているのは、南部と津軽だけ。しかし、如何にこの二つの家が声を上げようとも、所詮は東北末端の田舎大名。耳を貸すようなことなど無い。

 両家が必死に訴えれば見方が変わるかもしれないが、簡単な戦で終わって欲しくない。東北の最北端、まるで異人と接しているような扱いをさせることもある者達の意地がこの戦にはある。南部信直はそれに気付いていないだろう。ただ、自分の名誉と権力の回復のために豊臣に九戸の危険さを訴えるはずだ。

「戦は見世物じゃないが、今は、見る側に立っていようか。この茶番をな……」

 肩を震わせながら為信は歩みを早める。戦に身を投じている以上、危険は必ず伴う。如何に津軽の陣営を安全な場所に確保するか、秀次に納得してもらう理由を考える。 

 その後、九戸は城を囲まれ、豊臣秀次以下、従軍した皆がすぐに落城するかと思っていただろう。だが、九戸政実は豊臣軍が烏合の衆と見て、夜襲など地の利を活かした戦術を駆使して大いに苦しめた。

 戦の前から南部は必死に声を上げて、九戸の智勇と配下の勇猛さを訴えてきたが、圧倒的物量の前で臆することは無いとほとんどの者が高をくくっていた。

 それでも、と南部が訴えてきたため、為信にも声が掛けられたが「不義の反逆者に待つのは天誅のみにございまする」とかわした。それ見たことかと秀次は膝を打ち、諸将に力で押し通すと触れ回った。

 だが、初日の攻城は上手くいかず、あっという間に夜となった。

 城にこもる兵にも被害はあったと思われるが、一日で落とせると思っていた豊臣にとって大きな衝撃だっただろう。

 為信もかつて九戸とは晴政のために信直に対抗していた者として思うところもある。

 だが、独立した大名として存続していくためにはやむを得ない。

「殿、石田様がお見えです」

「すぐに通せ」

 為信は何もせず、目を瞑っていたため、立ち上がる。

 配下の者たちが幕を上げると三成が「御免」と早足で入ってきた。表情を見るとどこか不安そうな影がある。

「突然、申し訳ござらぬ。南部殿が不穏な動きを見せている。様々な者らに声をかけているようだ」

「仔細をお聞かせ願えますか」

 聞けば、信直は未だに恨みを持っているため、九戸の討伐に乗じて津軽を討つようにと浅野長政に進言したらしい。

 さすがの浅野も味方同士の討ち合いにはすぐに回答できないと退けたらしいが、これで津軽に対する印象が悪化したのは間違いない。

 面倒なことになったと思いつつ、三成に感謝の意を伝えようと頭を下げる。

「権大納言(秀次)様には」

「伝わると見てよいかと」

「ご歓談中御免、浅野様より直ちに陣へ参るようにと」

 為信と三成は顔を見合わせる。

「早うですな」

「やむを得ませぬ。某より口添えをさせていただきたかったのだが……」

「構いませぬ」

 三成と並び、浅野長政の陣へと向かう。

 為信が参上した旨を伝えると中から声がかかり、陣幕が上げられる。 

「さて、早々に伺わせてもらうが、貴殿のことについて、南部殿が色々と思うところがあるらしく、某の所へ訴えて参った。治部殿がいるのを察するに、すでに聞いておるやもしれぬが」

「南部と某は凌ぎを削った者同士、ましてや某は、彼の父を倒しました。恨む道理はいくらでもあり申す」

「ふむ……」

 浅野は逡巡すると一つ頷き、三成に視線を移す。

「治部殿、いかに思う」

「南部殿も思うところがあるのでしょう。されど、ここで味方同士で争っては、敵の思う壺。ましてや、津軽殿と南部殿のような東北の諸将で混乱を招いては、殿下のご威光にも関わるかと」

「よし。某の方から権大納言様には伝えておく。津軽殿、ひとまず陣に戻られよ。委細は追ってお伝えいたす」

「ご配慮、かたじけのうございまする」

 深く聞かれると思っていたが、幸いにもすんなりと終わったことに密かに胸を撫で下ろす。

 為信は浅野の陣を出ると頭を下げる。

「口添え、感謝いたしまする」

「礼には及びませぬ。これも、殿下のため。おそらく、某も後ほど権大納言様との話に呼ばれることになるでしょう。某からも仔細はお伝えいたす」

 三成は要件を済ませたとさっさと前を行ってしまう。

 もしかしたら人と付き合うのが苦手なのか、一人でいることを好むような性格なのかもしれない。

(案外、子供のようなところもあるのだな)

 為信は人知れず鼻を鳴らし、自陣へと戻る。

 秀次から密かに帰国の許可が出たのは翌日のことだった。

 三成の使い曰く、南部からは猛烈な抗議があったらしいが、為信が病であるとして突っぱねたという。

 ますます、彼に頭が上がらないと思いつつ、為信は使いに御礼を与えておいた。


 九戸が反乱を起こして半年、包囲を続けて三日、限界を感じた政実は豊臣側の和睦交渉に当たっていた住職の言を聞いて降伏した。

 しかし、城兵の助命はあっさり反故され、城の二の丸にて女子供を含む一族郎党が惨殺された後、火に焼かれた。

 そう噂で伝えられたが、本国に先に帰っていた為信は知る由もない。

 これで東北の反乱勢力は無くなり、豊臣は完全な天下統一を果たした。

 為信のように勢力を伸ばしたい者にとっては難しい世の中になった。しかし、それ以上に収穫もあった。

 石田三成という男は意外に面白い。戦場に立つ者としては、凡庸の域を出ないが、小田原の時の権力を傘に傲慢な振る舞いをする印象を見事に覆してくれた。

 彼のおかげで、為信は媚びへつらいつつも自身の力を維持、増長させていた南部家臣の時代を思い出させてくれたのだ。たとえ警戒され、嫌われようとも実力者に気に入られさえすれば良い。これから先、関白は政によって自身の力を強め、武人の排除に乗り出す。その時に先頭に立つのは必ず三成である。彼は関白から信頼されているが、決して大きな勢力を持っていない。孤高に見えるが、心中は不安で心を許せる味方を探しているはずだ。

 さらに為信に良い報せが舞い込んできた。

 東北の仕置きを完遂して完全なる天下統一を果たした後に関白は全国の大名の妻子を大坂に住まわせるように命じてきた。

 あれこれと言い訳めいたことを書状には認めていたが、結局のところ人質を出せと言っていることは明白であったが、逆らえない諸大名は渋々承諾した。

 為信も例外ではなく、福と嫡男を大坂に向かわせた。文句も言わずに彼女は従い、むしろ諸大名の妻子と繋がりを持って情報を聞き出せる好機とほくそ笑んでいた。現に彼女は有益となりそうなものを間者や書状を通じて為信の下に届けるように手配を済ませた上で大坂に向かう支度を済ませた。

「大坂に付いたらこれを持ってゆけ」

「あら、早速次の準備」

 出立前夜に為信は福の前に金子を隠した枕を渡した。見え透いたやり方に福は何も聞かずに全てを察して手元に枕を手繰り寄せた。

「で、誰に渡すの」

「石田だ。某と関白を取り持った礼としてな」

「馬鹿なの。あの堅物に渡そうとしても跳ね返されて訴えられるわ」

「いや、これは奴の兄に渡すのだ」

 福は扇子をたたみ、目を細くする。三成には兄がおり、弟とは全く似つかない柔軟な性格で、誰にでも取り入ることが出来る。このような袖の下を渡したり、受け取ったりすることにも理解があり、何よりも三成は兄ということでなかなか責めることも出来ない。

「ああ、なるほどね。確かにそれなら悪くない。けど……」

「徳川や前田にも渡す物は支度している。それは後にな」

「それでも先に石田なのね」

「先のことはまだ言うな。今を見なければ先は無い」

 悔しそうに為信は引き違いの窓から見える星空を眺める。津軽という存在を消すことなど、豊臣からすれば道端の蟻を踏む程度のもの。目を向けてもらい、御家の価値を上げるには今のことを精一杯対処するしかない。

「時代は変わった。もはや、先を夢見ることも難しい」

「それは困るわね」

 福の扇子が額に突き立てられる。一歩でも動けばさらに食い込みはきつくなると目で訴えられる。

「南部も滅ぼせずにこのまま終わる。邪魔な家臣も排除出来ないままにするのは御免ね」

「それらはこれからだ。今、下手に平穏を乱せば民にも疑われる。耐える時だ」

「まだ先があると」

「ああ。豊臣は長くもたない」

「信じて良いの」

 為信は迷い無く頷いた。その後のための布石となるのがこの賄賂。天下がこの先、誰の手に落ちるか分からない中で津軽家を存続させるための第一歩である。

「義理立てを行い、たとえ恩恵を受けれずとも名を覚えてもらう。それだけでも良い」

「その先にこの陸奧を統一する野望に繫がる。確かに、今はもらえる物はもらってはあげられる物はあげないとね」

 福は扇子を手のひらに打ち続ける。共に陸奧統一のための計略を考え続け、実行してきたが、方針を変えなければならない時が来たようだと実感しているのだろう。

 無邪気な女中達が天下の泰平が成ったと騒いでいるのを聞いていると心から喜んでいる者もいると分かる。しかし、国を動かしているのは武人であり、彼らが戦がなくなったことで力をより欲しようとしている。

「南部の方は」

「天下のためにと躍起になって関白のために働いている」

「少しぐらい先が分かってもいい気がするけど」

「豊臣が関白のいるおかげと思っていないのだろう」

「結局は農民上がり。でも今の天下はあの猿のもの……分かったわ。少し動いてみる。石田のことも含めてね」

「頼む」

「その代わり、いざとなったら私が単独で動くわよ」

 迷い無く為信は頷いた。良くも悪くも福の判断は理に適ったものであり、決して津軽家の害になることはない。

「構わない」

 為信は恐れるような上目遣いで福を見る。

「これまでもこれよりもお前が頼りだ」

 何より、為信は福のものであり、ひいては津軽家は福のものなのだから。

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