玩具契約

北極星

「実に良い気分ぞ」

酒を飲んでいるからかもしれないが、それ以上にこの、浪岡城を手に入れたことが一番の要因と言える。他の者達も酒を飲み飲ませと騒ぎ、戦功を誇り合っている。その中で、上座に座る大浦為信もまた、家臣に酒を与えながら楽しそうに笑っている。

 天正六年、この年、上杉謙信が死に、後継者争いが巻き起こった。ここはそれよりも遥か北の陸奥国、戦勝を祝う宴はまだ終わりそうにない。

「殿、こたびは真に上手くいきましたな」

 家老筆頭格の森岡信元が酒を注ぎに来た。もちろん嬉々としてそれを受け入れる。

「何の。お主らがよう働いてくれたお陰よ」

「恐悦至極にございまする」

 普段なら自分のことを否定し、為信のことを立てる森岡だが、酒が回っているのだろう。満更でもない表情で、酒を一気に飲んでいる。

 顎髭をたっぷりと蓄え、熊のような顔をしている為信を前にしても酔いが回れば些細なことなど関係無くなるのだろう。為信自身も今まで家臣の優劣問わず、目に余るような行為をした者も許してきた。

「良い飲みっぷりじゃ」

 為信は目を細める。強面の彼も、目だけは小動物のように愛嬌がある。だから、よく知る家臣たちは為信のことを信頼していたし、忠誠を誓っていた。

「有り難いお言葉」

 森岡は飲みきるとおくびの代わりに長く息を吐く。

「こたびの戦、殿の戦ぶりも見事ながら、奥方様もまた見事でござった」

 皆の視線が上座の脇に控えていた小柄な女性、お福に目が移る。為信とは対照的な穏やかで、物腰柔らかそうな顔つきは家臣を問わず領民からも慕われている。

「恐れ多い。私はただ思ったことを言ったまでです」

 嬉しそうに微笑みを浮かべるお福は今、水で薄めた酒をゆっくり飲んでいる。だが、先程まで為信のように酒を注いで回っていた。そのような気配りの良さは諸将の奥方からも憧れにされている。

「いやはや、まさかあのようなならず者を手懐けるとはさすがとしか言いようがありませぬ」

 浪岡城を攻める際、大浦はならず者も城下や城内に侵入させ、内部から混乱を生じさせた。しかし、城主だった北畠は大浦と同じ南部に仕えていた者同士で、隣接する所を支配している。

 そこで為信は直属の兵を使わずに城下で飲んでいたならず者たちを捕らえ、もし大浦に仕え、武人として節度ある行動を取り戻すのであれば功を立てる機会を与えてやろうと脅した。これにはならず者たちも渋々承諾したが、あることをきっかけに本気で浪岡城攻略に力を貸そうと心を入れ替えた。

 華の京でもなかなか見ることの出来ない容姿端麗な女性が強飯を握り、直接自分たちに与えているのを見て、最初に欲情し、為信の妻と知って畏まった。まさか身をやつした者にこんな扱いをしてくれるとは思わなかったのだろう。

『気張ってほしい』

 お福から笑顔を向けられ、為信からも捕らえられた時とは打って変わり、優しく背中を叩かれたならず者たちはすっかり二人に心酔した。

 浪岡城を大浦が攻めた際、ならず者たちは大いに暴れ回った。元は生業にしていたことをしていただけなのだから容易かったのだろう。大浦に目が向いた北畠の隙を突いて、城内に火を放ち、家臣たちの妻や婦女子を見境なく襲った。

 大浦を迎え撃つために城外で陣を張っていた北畠の兵はそのことを知り、自分の家族は無事かと気が散ってしまい、戦どころではなくなった。結果的に北畠は呆気なく敗れ、城主も自害した。

「奥方様がいなければ、あの者共も我らがために必死に戦うことはなかったでしょう」

「買い被りが過ぎますよ。私がいなくても、殿がきちっと彼らを手懐けましたよ」

 どう返せば良いのか分からなくなってしまった森岡はとりあえずと笑みを浮かべ、誤魔化すように為信に酒をもう一度勧める。注がれた杯に自らの姿を認めながら立ち上がると為信は少し声を大きくする。

「これで我らも南部より独り立ちする一歩を踏んだ。これより我らはより激しい戦の中に身を置くことになろう。されど、今宵、ここにいる者たちはが決して欠けることなく、共に陸奥の地を支配することを祈り、大いに飲もうぞ」

「応っ!」


 夜もふけていくと宴は自然と解散していった。

 共にまた飲み直す者。家族と共に過ごす者、様々だ。為信は一人、部屋で書状を読んでいる。南部の状況がどのようなものか、草からの報告だ。

「やはり、南部は揉めているのか」

 南部の最盛期を築いた晴政も子宝には恵まれず、親族の息子を養子に迎えた。しかし、数年前に嫡子が生まれると両者の関係は日に日に険悪なものになっていった。それに付け込んで反旗を翻した為信は次々と陸奥の有力者たちを滅ぼし、勢力拡大に成功した。これを世間の者は勇猛かつ知略に長けた彼だからこそと思われている。

「まだ起きていたの?」

 彼の断りもなく襖が開けられる。お福が戻ってきた。

「終わったのか?」

「女中たちに後は良いって追い出された」

 お福は肩をすくめて苦笑いを浮かべる。世話焼きと陰で言われるほど、お福は城内の一人一人に気を配っている。そして、互いに仲が良いことから夫婦の鑑とも思われている。

「で、何かあったの?」

「ああ、相変わらず南部は争いが絶えないらしい」

「ふーん」

 興味なさげに返事をしながらもお福は為信の隣に座る。影で書状が読みにくくなった。

「どうするの?」

「しばらくは様子を見る。こちらも派手に動きすぎたしな」

 書状をたたむといつの間にか立っていたお福の手がそっと頭に置かれる。 

「この田舎から天下に名を轟かす。そうでしょう?」

「ああ」

 為信が頷くと頭にあったお福の手がするりと頬を撫で、髭で覆われた顎へと落ちていく。

「ちゃんとこれからも気張ってよ?」

 為信は思わず体を震わせた。髭など関係なく、肌にお福の爪が食い込んでくる。痛いが、口にすればお福はさらに指を立ててくる。為信は唇を必死に噛む。

「それにしても、呆気なさすぎてつまらなかったわ」

「あ、ああ……」

 どうにか声を絞り出した。たしかに為信も今回の戦は簡単に勝利出来たと思った。相手は南部の当主、晴政の叔父が支配する石川。もっと激戦になると誰もが思っていた。しかし、結果は一日で決着が付いてしまうほどだった。

「もっと、張り合いのある相手……そうね、南部宗家をさっさと潰してしまいましょう」

「だが……」

「何?」

 呻き声を上げそうになったが、どうにか堪えた。

「いや、まだ南部を攻めるには時が早いと思って……」

「言われなくても分かっている。でも、機はいつか来るわ」

 ようやく爪の痛みから解放された。睨まれ、下手をすればまた爪を刺されるため、息を付くことは出来ない。

「南部は御家騒動がいずれ起きる。その時が私たちの勝機よ」

 信直がすぐに家督を継ぐとは思えない。嫡子を擁する派閥と必ず戦うだろう。

「その前に、安東が来るかもね」

 他人事のようにお福は無邪気に笑う。北畠と安東は長らく友好関係で、安東が陸奥に影響力を持つ砦でもあった。それが無くなったということを黙って見ているはずがない。

「もう、草は送った」

「当然よ」

 言われなくても分かっているという冷たい視線が刺さる。しかし、目を背けることは出来ない。背かせることなど出来るはずがない。

 為信はこの目に惹かれてしまったのだから。

 互いに陸奥という最北端から日ノ本全土に名を轟かす大名となる。その野心を持っていた二人はそう誓い合い、結ばれた。元より為信はお福のことを女だからと軽蔑しなかった。

否、最初こそは侮っていた。しかし、婚姻する前に女中がお福の髪飾りを誤って無くしてしまった時のことを為信は今でも覚えている。持っていた鉄扇で一発、頭を殴り付けるとお福は女中の顔を踏んでこう言った。

「あなたは死ぬまで私に仕えなさい」

 その時の目に為信は心を奪われてしまった。否、負けたと思った。自分は弱く、彼女のように成り上がるための冷酷さが足りないと。

 為信はお福に陰でその一部始終を見ていたと告白すると頭を下げた。是非とも自分と共に津軽を制圧したい。そのために力を貸してくれ。

 お福はその時、驚いた表情を見せてからこう尋ねてきた。

「それは、私の物になるということ?」

 躊躇った。為信にも男として生まれた誇りがある。いずれ大浦の主となるかもしれないのに女一人に手玉に取られる。一瞬、嫌と言おうか迷った。だが、お福は元から是という返事しか待っていなかったかのように、容赦なく頭を踏みつけてきた。

「返事は?」

 女中とのやり取りでも聞かなかった体が動かなくなるぐらい圧力のかかった声。差を見せつけられた。その時から為信はお福と主従関係を結んだのだ。

「ところで」

 現実からかけられた言葉に為信は慌てて顔を上げる。

「何だ?」

「今、意識が飛んでいなかった?」

「……すまない。少し疲れて……っ!」

「しっかりなさい」

 扇子で頭をはたかれた。言い訳を許さない厳しい目に為信は口をつぐみ、殴られた箇所を押さえるしかない。

「で、どうだった? 城内の様子は」

 お福は今のことなど無かったように尋ねてくる。

「ああ、大混乱だったよ」

「そう。良かった」

 玩具を貰った子供が浮かべるような無邪気な笑みに為信は背筋が凍る。ならず者を使って城内の婦女子に乱暴をさせる策を立てたのはお福の立案だ。女であるにもかかわらず、女を辱める策を思い付いた時の表情は実に嬉しそうだった。何をそこまで笑っているのか尋ねるとお福は考えた策と共にこう言った。

「だって、暴虐の限りが尽くされる中で、さらに領地が増えていくのよ」

 恐ろしいことを考えている時、お福の笑みは稀に無邪気なものから妖艶なものに変わる。それを見るのは為信にとって密かな楽しみでもあった。

「大混乱ねぇ……どう大混乱だったの?」

「そうだな……」

 また意識が飛んでいたが、少し時間を置ける質問がきて助かった。腕を組み、どこから話そうか迷い、城下町に入ったところから話し始める。

 敵兵は前を向いたり後ろを向いたりとせわしなく、隙を突かれては忌々しそうにこちらを見て倒れていったこと。城内では犯され殺された婦女子たちがあちこちに転がっていたこと。それを聞くお福はいつも無邪気な笑みになっていた。

 楽しそうに聞いている彼女を見ると為信も嬉しくなる。

「あ、そうだ」

 話を続けていると思い出したようにお福が手を叩く。

「何だ?」

「森岡だけど、そろそろ危ないわ」

「危ない?」

「私たちにとって危険ということ」

 そのようなことなどあっただろうか。たしかに森岡の力は家臣の中でも人一倍強い部類に入る。しかし、忠誠心も人一倍だ。

「そろそろ、危ないわ」

「何が?」

「私たちのことを疑っている。折を見て……」

 お福は持っていた扇子を自分の首にやって横に素早く流す。

「ね?」

「……ああ、頃合いを見てな」

 そういうことなら仕方ない。今の状態こそ、為信とお福が望んでいた関係。崩壊させることは誰であろうと許さない。

「いつ頃?」

「もう少し待ちましょう。結構頑固だし、こちらから動かずにゆっくりと……綿で首を絞めるようにね」

 お福は口角を吊り上げ「ね?」と小首を曲げてくる。穏やかに見えるが、目は矢のように為信を狙っている。慣れていないと固まって、彼女の機嫌を損ねかねない。

「ああ」

「ふふふ……」

 お福は為信から離れ、障子に映る月を見ている。返事など聞いていないようだ。端から見れば、女が生意気なと思われるだろう。しかし、為信がお福と会ってから恐怖を抱いても心が満たされないということは無かった。

 津軽地方のみだったはずの野望はいよいよ南部さえも巻き込もうとしている。この関係はいつまでも崩壊することなく続くのだろう。互いの野心に底は無く、心の中でずっと燃え続けている。

 故に、為信はいつまでもお福の玩具として生きていく。それで己の野心も満たされて好きになってしまった相手の笑みが見れられる。それ以上の幸福は無い。

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