怪盗ヴェールは同級生の美少年探偵の追跡を惑わす

八木愛里

序章

第1話 新学期の朝

 若いキュートな女性にも、髭を口にたくわえた老紳士にもなりきれる。

 世間を賑わす謎多き怪盗。

 それが、怪盗ヴェール。


 

 ◇



 遅刻、遅刻!

 私、秋山葵あきやまあおいは小走りで高校へ向かっていた。

 昨日は夜更かし……いや、任務が長引いて、寝坊してしまった。

 今日は高校二年生の新学期だというのに。

 

 腕時計をちらりと見て……これはマズい。

 登校時間まであと五分もない。

 合格発表のように、クラス替えの発表されたボードから自分の名前を探して、各自の教室へ向かうことを考えれば、もう校門には到着していたい。


 これは、近道を通るしかなさそうね。

 野良猫ぐらいしか通らない道だけど、やるしかない。この近道を通れば、回り道をして校門へ向かうより早く裏門へ行ける。

 私は物陰から顔を出して、左右に誰もいないことを確認すると、壁を伝い上がった。


 塀を歩いていくと、裏門が見えてきた。

 足に力を入れると私の体がふわりと浮く。飛び降りてアスファルトに着地しようとしたら、そこには先客がいた。


「うわっ!」

 

 少年は声をあげて後ろに倒れ込む。

 私の真下にいる人を組み敷くような体勢になっていた。


「大丈夫ですか?」

 

 そう声をかけると、ひっくり返った少年が顔を上げて真正面で目が合う。前髪から覗く切れ長の瞳が不機嫌そうな光を帯びていた。


 紺色のチェックのブレザーの制服を来た少年は、同じ高校の生徒だけど見たことがない顔だ。

 ブレザーの校章の色が私と同じ青色……ということは、同じ学年の高校二年生らしい。


 少年は私を見ると、おもむろに口を開いた。


「……パンツが見えているぞ」

「あっ」

 

 私は慌てて飛び退いて、手で払うように捲れ上がったスカートを戻す。

 しまった。こんな時のために、下にスパッツでも履いていれば良かった!


「すみません。急いでいたので」

「急いでいたからって、乗っかられると迷惑だ」


 少年は上半身を起こして、不服そうに顔を歪めた。

 迷惑をかけたのは、間違いないけれど……。

 嫌な男ね!

 

 心の中であっかんべーをして、早く学校へ行かなくては、と気持ちを切り替える。


「──きゃああっ」

 

 近くで女性の悲鳴がした。


 私は声の上がった方向へ素早く視線を走らせた。

 そこは車通りの多い道路だ。嫌な予感がする。

 地面を蹴って、咄嗟に走り出した。


 車道にはみ出た子どもに車が近づいて、ドライバーが慌ててブレーキを踏み込んだが遅い。子どもは顔を上げて、呆気に取られた表情になる。

 子どもの横に走り込んだ私は、大きく叫ぶ。

 

「そこの少年、この子をお願い!」

 

 視線の端に捕らえたさっきの少年の方へ、子どもの背中を押した。

 その子どもの代わりに私が前へ。

 

「きゃあ!」

 

 誰かが悲鳴を上げた。

 私の体に車が接触しそうになったからだろう。

 これからすることは誰も真似してほしくないけれど、体のバネには自信があった。

 

 キキーッ、と急ブレーキが悲鳴のような音をあげた。運転手が恐怖に大口を開け、ハンドルを切っている様子が、フロントガラス越しに見える。

 

 私は車とぶつかる前に軽々と空中で一回転。そして、車が通り過ぎた場所に降り立った。

 少年が子どもを受け止めてくれていた。泣き出した子どもの頭を撫でて「もう大丈夫だよ」と優しく声を掛けている。

 

「大丈夫ですか!」

 

 私に向かって、子どもの母親が駆け寄ってきた。

 

「大丈夫ですよ。この通りピンピンしています」

「ありがとうございます! 命の恩人に何とお礼を言ったら……」

 

 母親は深く頭を下げた。

 

「間に合って良かったです」

 

 一秒でも遅かったら、最悪な結末になっていただろう。誰も怪我をせずに済んでホッとした。

 

「あの、何かお礼をさせてください」

「お気になさらず! 困ったときはお互い様です」


 手を振って、母親の気遣いを断った。 

 しかし、これでは母親の気が済まないのだろう。さらに何かを言おうとした母親に、私は母親の瞳を見つめながら言う。

 

「怖い思いをしたお子さんの側にいてあげてください。私が強く突き飛ばしてしまったので」

 

 母親は少年に保護されている子どもを見て「そうよね」と呟いた。

 

 子どもと母親が立ち去っていく姿を見届けると、私はふぅと息を吐く。

 人助けでタイムロスしてしまった。新学期なのに遅刻決定だ。

 腕時計を見て、頭を抱えたくなった。


「学校は遅刻だな。だが、先生は状況を説明したら、許してくれるんじゃないか?」


 冷静な少年の一言。私は動きをピタリと止める。

 ……初めて良いことを言ってくれたわね!

 

「さっきは……小猿を見ているようだったな」

「何ですって?」

 

 怒気を込めた声で凄むと、少年は涼しげな顔をする。

 

「そうだろう? のしかかられたり、一回転したりしてさ。すぐそうやって感情的になるのも小猿らしい」


「……小猿で悪かったわね」

 

 嫌味を一つ返すと、私は足早に校内を歩き出す。

 さっき出会った少年が、同じクラスでないことを祈りながら。

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