第10話 慟哭櫻


あの後。私たちは県警の現着を

待って、入れ違うように都内へと

戻って来た。


一体、あそこで何があったのか。


結論として 何もなかった が

正しいのだろう。


 

太田から指示を待つよう言われて

暫く車の中で待機していたが、

小一時間経った頃、携帯に御厨から

連絡が来た。


『今すぐ皆さんに合流して下さい』


如何にも彼らしく、メッセージも

丁寧だ。それでも緊急を要するのは

推して測れた。

           問題は。

一見閉鎖されたように

見えたエントランスが手動で開き、

フロアに一歩足を踏み込んだ瞬間の

皆の 表情 だったろう。


一瞬の驚きと共に、九死に一生を

得た 安堵 の表情をする反面、

まるで化物でも見るような、 

        驚怖 が。

 それは、鬼塚や辻浦だけでなく

太田の顔にまで貼り付いていた。


その中で。本件のクライアント

らしき若い男性だけが

何事かを頻りに呟きながら独り

床に座り込んで震えていた。



帰りの車でも誰も話をしなかった。




 庁舎の高層階にある分室に

窓はない。

 確か『室長執務室』には

あったのを面談の時に確認して

いるが、こうして普段仕事をする

場所から外の景色を見る事はなく

 それは同時に、自分の中での

方向感覚を曖昧にする。


そんな中、口火を切ったのは

鬼塚ひづるだった。


「…いや、マジで国森さんが

来てくれて助かったよ。」

彼女が口にした言葉は意外にも

柔らかだった。


好奇心と、僅かな反感の矛先が

自分に向いていたのは痛いほど

感じていたのだ。それに、何より

あの瞬間の、驚怖 を。


「もしあの時、国森さんが。いや

今後は、国ちゃんて呼ぶわ。」

一旦、断りを入れて彼女は続けた。

「国ちゃんが来てくれなかったら、

アタシら一体どうなったやら。」

「…いえ、私は。」

「いや、マジで詰んだと思ったよ!

あんな堅牢な近未来ビルの一室に

閉じ込められてさ。しかも危うく

蒸し焼きにされるとこだったわ。

 あの太田って男、見た目と真逆で

全く何の役にも立たないし。何なら

電源落ちた瞬間、スマホじゃなくて

ライター点けたし。」


  アイツのせいじゃね? 火。

彼女はそう言って小さく笑った。


「いや、実際の火じゃないよ。

厳密にいうと、無意識に於ける

過剰認知…かな?極めて特殊な

環境にあったから。恐怖の共有?

それか、伝播? そういうものが

起きたのかな…と。」

 辻浦がその続きを半ば無理矢理に

引き取って行く。

「まぁ、分かりやすく言えば、

集団催眠みたいなものかなぁ。

メカニズムは、まあまあそれに

近いんじゃないかと思う。

 国森さんが入って来られたのは

建物の管理システムのエラーが偶然

解消したせいかわからないけど。

 でも、外部からの干渉によって

変な言い方だけど呪いが解けた、

そんな感じじゃないのかな。」

 言い澱んでは言葉を探すが矢張り

しっくり来ていないのだろう。

 彼は本来、大学の理工学部に

籍を置く人工知能の研究者なのだ。


 ふと、泣きたくなるような。 


なんだかよくわからない感情が

湧き上がって、それはゆっくりと

安堵へと変わって行く。


 あの瞬間の、彼らの顔に貼り

ついていた 驚怖 は多分、私の

顔にも貼りついていたのだろう。 

 ありがとう 

だが、口には出せずに  私は。


「そう言えば、あの少年CEO。」

それをまるで無かった事のように、

資料を繰りながら鬼塚ひづるが更に

言葉を紡ぐ。

「准教授が焼身自殺したのってさ、

アイツが『良からぬ出資話』に

乗っかった、ってのが事の発端

だったらしいよ。

 国からの援助も受けてるから

コンプラ的にも問題視されて、

設立当初から色々と揉めてた

みたいだね。

 そうなって来ると、論文盗用や

准教授の自殺自体も何だか怪しく

なってくる。現場付近に予め県警が

詰めてた、っていうのにも何だか

妙な予定調和を感じるし。」


そう言って、彼女は『執務室』の

閉ざされた扉を見遣る。 

 太田が入って行ってから、もう

四十分程度は過ぎるだろうか。



「それにしてもさ…結果と過程。

ウチらの上は一体どっちが

欲しかったのかしらね。」


 彼女はそう締めくくった。








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