小野塚 

第1話 掃部



 嫌な夢、という程のものでもない。

昔から何度も思い出したように

見るものだ。



 

 大勢の人の声。


 抑揚をもって波のように

押し寄せてはうねり、闇の中を

螺旋を描いてゆく。

 昇って行くのか落ちて行くのか

茫洋として、次第に絡め取られて

行くような感覚。

 全身を包帯のようなもので覆われ

更に四方八方から延びる太い荒縄で

雁字搦めに拘束されている 多分、女。

 咽せ返るような溟い空間の中で、

無数に点在する薄ぼんやりとした

灯りが、

 その『忌わしいモノ』を歪に

照らし出している。


そこで初めて、私は自分自身が

『それ』をじっと見つめているのを

意識する。

 但し、あくまで感覚的イメージに

過ぎず、具体的な夢としての焦点を

結ばない。




目覚めて酷く喉が乾く。全身全霊で

叫び続けたような徒労感、何か大事を

し損ねたような焦燥感。そして、

初めから何もかもを諦めているような

無力感。夢の中では何らかの行動を

とってはいるのだろうが


 肝心の内容はいつも、覚えていない。


      

 


 今日から職場が変わるのだ。


出向の辞令といえば、珍しくも

ないが、赴任先が問題だった。

どちらも同じ国の機関だというのを

無視したとしても、俄に眉唾に

思えてくるのだった。

 偶か誰かの目に止まった、数いる

候補の一人には違いない。

それでも無意識の警告が。

不安が拭い去れない。


 悪い事に、こういう予感だけは

いつも当たるのだ。


 何故、自分が。  


今まで敢えて目を瞑ってきたツケが

遂にまわって来たのだろうか。


あれこれ考えた所で、何が一体

どうなる訳でもない。どうにも

ならない事ならば、考えるだけ

無駄なのだ。

 今までも大体この為体だったから、

きっとこれからもそのスタンスで

行くしかないだろう。



もし、自分に自我や反抗心が

なかったら。或いは、周囲の期待に

応え得る『能力』があったなら、

或いは。

 幾らそう仮定したところで、

漠然とした不安は貌を変えて、

更に暗く塗り潰された 何か へと

変わって行くだけだった。


 恐怖にも似た、不安。


 一つ、ため息をついて全てを

払拭すると、ベッドから抜け出して

窓のカーテンを全開にする。

 都会の立地では珍しく、目の前に

広がるのは葉を落とした木立だ。

 枝の先が冬晴れの風に揺れている。

穏やかな日常、何の変哲もない。でも

見えないところで確実に、何か が。


 不安の貌をした 恐怖。



それでも自分は幾らかマシなのだ。


 そう思う事で、ずっとやり過ごして

来た。

     劣等感も罪悪感も。



 敢えて目を背ける事もなく最初から

何も見ずに済んでいるのだから。

 

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