第十一話 没落貴族、歴史の陰 1

 大臣の生み出した、身の丈四、五メートルはあろうかという布の怪物。

 その形状はかろうじて生物としての体を成してはいるものの、もはやそれが何であるのかを言い表すことは難しい。

 頭部、体幹部、そして四肢といった基本パーツは極めてアンバランスに配置され、体のあちこちからは布地の端切れで構成された触手が伸びる。

 体表はパッチワークのごとく色合いの違ういくつもの部位に分かれ、常に新しい繊維が生まれては絡み合い、そして朽ちるというサイクルを繰り返しながらその体を維持している。


「クソッ、ただでさえ手一杯だってのに……」


 リドヘイム兵が怪物を中心として隊列を再形成する。

 武器を構え、じりじりと包囲を狭める兵士たち――それを、怪物の触手が薙ぎ払った。


「――――!!??」


 続けて二撃、三撃――。

 フルプレートのヘビーアーマーを装備した兵士たちが紙屑のように吹き飛んでいく。


「……どうやら理性は備わっておらんようじゃな。手近にいる者すべてが攻撃対象じゃ」

 一転、リドヘイム兵士たちは散り散りになって逃走を始める。周辺を飛び回っていたワイバーンも危険を感じたか皆どこかへ飛び去ってしまった。


「んー、なかなかの出来というところでしょうか。見た目の醜悪さは百点満点なんですけどね」

 大臣は満足気に呟くと詠太えいたたちに視線を向けた。

「……では、頑張ってください。私はこれで失礼させていただきます」

 大臣の身体が再び宙に浮かぶ。

「待てヨギストフト!!」


 ワイバーンを呼び戻し後を追おうとする詠太えいた。しかしその視界の隅にこちらへ向かって移動を開始する怪物の姿が映る。標的を失い、たまたま一番近いところにいたリリアナを次のターゲットとして認識したようだ。


「――くっ!」

 詠太えいたはリリアナの横を抜け、一直線に怪物のもとへと向かう。

 マリアとの訓練、そしてこれまで積んだ戦闘経験――この世界に来たばかりの頃と比べて詠太えいたの運動能力は飛躍的な進化を遂げている。詠太えいたは流れるような動作で怪物の攻撃をかいくぐり、その懐へと飛び込んだ。狙うのは脚部、存在するのかわからないが腱にあたる部分だ。

「これで動きを止められれば……!」

「――――きゃぅ!!!!」


 攻撃は驚くほどあっさりと通り、怪物はバランスを崩して片膝をつく。

「なんだ、意外と…………え?」 


 怪物から発せられた声、いや

 ニーナの声に似ていた、気がする。


 疑念を抱きつつも攻撃を続ける詠太えいた

「ぃぎっ! ――あうッ!!」

 やはりそうだ。聞き慣れたニーナの声。

 攻撃を行うたびに聞こえる声に、詠太えいたの動きが鈍る。


「ちょっと待てよ、こんなの――」

詠太えいた危ない!!!!」

「うぉっ!!」

 触手による攻撃を、紙一重でかわす。続く攻撃もなんとか回避はしたものの、攻撃を繰り出すことを躊躇する詠太えいたは徐々に劣勢に追い込まれていった。


「がっ――――!!!!」

 足がもつれ、避けられるはずの攻撃を食らう。それを境に怪物の攻撃が詠太えいたに当たり始めた。

 攻撃を受ける度に蓄積されていくダメージ。視界が霞み、敵の姿がよく見えない。足元がふらつき、真っ直ぐ立っているのかもわからない。

 一撃ごとに体力と気力が削がれ、詠太えいたの意識はゆっくりと闇の中へ沈んでいく――。



「――おい! 何やってんだよ!!」

 突然の怒号。気が付けば詠太えいたはハインツに抱きかかえられていた。周囲には皆の姿も見える。

「よし、まだ生きてるな。少し休んでろ!」

 リリアナが詠太えいたを避難させ、残る全員が怪物を取り囲むように陣形を組む。


「リリアナ……俺……」

「いいからここで横になってなさい。後はみんなが何とかしてくれるから」

「みん……な……」

 朦朧とした意識で視線を向ける詠太えいたの目に、怪物と対峙する皆の姿が映る。

「だめ……だ、だめだ――」

 うわごとのように同じ言葉を繰り返す詠太えいた。リリアナはその手を強く握り、固唾を呑んで戦局を見守るのだった。



「この化物はここで――叩く!」

 ハインツが先陣を切り、メイファンがそれに続く。

 スピードとパワーを併せ持つ二人の連撃。攻撃はいともたやすく決まり、怪物に相応のダメージを与えはしたのだが――。


「こいつ、回復してやがる!!」

 ハインツが驚きの視線を向ける先――怪物の体表面では、次々と生まれる新しい繊維が破損部分を覆って受けた傷を修復している様子が見て取れる。そのスピードは驚異的で、最初に詠太えいたが付けた傷などはもはや跡形もなくなっているほどだ。


「ぐっ……! だったら魔法はどうだ! キリエ、ステラ、炎で一気に――」

「――待ってくれ、ハインツ!」

 ハインツの言葉を遮り、詠太えいたがふらふらと立ち上がった。


詠太えいた……いい加減にしろ! アイツはニーナじゃない!!」

「わかってる! でも――」

「――いや、そうとも言い切れんぞ」

 二人の会話に王が割って入った。


「通常、このような魔術で込められる『念』は本人の精神とは切り離された状態で使用するのが大前提なんじゃが、そこはあのヨギストフトの事――。どのような『入り方』をしておるかわからんぞ」

「てことは……?」

「場合によってはあの怪物とアークデビルとの間にリンクが発生しているかも知れん、ということじゃ」


 いかにもあの大臣の考えそうなことではある。仲間の攻撃によってニーナ自身がダメージを受ける。そして、もし万が一倒してしまおうものなら――。


「じゃあ迂闊に攻撃できないじゃないか!」

 ハインツが怒りに任せて声を荒らげる。術者である大臣の方を先に叩こうにも、この怪物を市街地にこのまま野放しにしておくことはできない。


「――そういうことだったら、僕が何とかできるかも!」

 声を上げたのはシャパリュだ。

 シャパリュは素早く怪物に近寄ると、その腕を伝って身体に駆け上った。

「普段はあんまり神様っぽくないかもしれないけど――僕が……見せてあげるよ」


 オニャンコポンは創造神であり生命を司る神である。地上の精霊は全てオニャンコポンによって作り出されたとも言われ、物体に生命を与えて操るなどの術は最も得意とする分野だ。


「――いくよ」

 怪物の胸部に添えられたシャパリュの手が白く輝き始め、腕が怪物の内部へと差し入れられる。光は急速に強さを増し――怪物の咆哮とともにかき消えた。


「抜き出したよ、ニーナちゃん」

 怪物の身体を飛び降り、詠太えいたたちのそばに着地したシャパリュ。彼女の手には先ほど大臣が見せた黒い瘴気が揺らめいている。


「でもこれ、僕じゃ処理しきれないから――はい」

 シャパリュが黒い塊を詠太えいたに向けて差し出すと、それは吸い込まれるように詠太えいたの体内へ吸収された。


「――――!! あばばばばばばッ……!」


 全身がバラバラになりそうな衝撃。かつてニーナが暴走した時とは比べ物にならない。

 意識がちぎれ飛ぶかのような感覚にもがく中、詠太えいたは不意に自分を呼ぶ声を聴いた。


 ――えーた……


「ニーナ!?」

 抜き出した意識を介してチャンネルが通じたのか、それとも負の感情の中にあったニーナの『想い』なのか――。


 ――もう、だいじょうぶ。我は……ここに……


 これまでにない程に、ニーナとの繋がりを実感できる。

 柔らかな温もりが詠太えいたを包み込み、身体中に再び力がみなぎる――。


「これは……」

 気付くと傷は癒え、意識もはっきりしていた。自分のすべきことが何なのか、今はそれが明確にわかる。確証はないが、確信がある。詠太えいたは皆の元へ向かって走り出した。


詠太えいた! もう大丈夫なのか」

「さっきよりも調子がいいくらいだ!」


 詠太えいたはまっしぐらに怪物に駆け寄る。

「おおおおおぉぉぉぉーーーーーー!!!!」

 もう迷いはない。今ここにあるものは純然たるヨギストフトの悪意だ。詠太えいたはただがむしゃらに攻撃を繰り返した。


「見ろ! 再生が!!」

 怪物の再生能力が鈍った。完全に停止とまではいかないものの、先程までと比較して明らかに回復ペースが落ちている。

「ニーナちゃんの魔力を抜き出されたのが堪えてるみたいだね」

「再生力を上回る攻撃を当て続ければ……よしみんな、詠太えいたに続け! 一気に畳みかけるぞ」


 休みなく繰り出される全員での連続攻撃。次第に怪物の身体は裂け、繊維がほつれ、その存在が解けて霧散していく。

「行け、行け……! 行け行け行け行け行け行け行けええええぇぇぇぇーーーーーーーー!!!!」


「――あれは!?」

 突如、怪物の身体の裂け目から飛び出した。はっきりとした実体はないのだが空間の一部が歪んだように見えており、そこに何かがあることは分かる。

「あれはヨギストフトの術の――いわば『本体』じゃ!」

「よぉーーーーし!! これで……どうだああぁぁぁ!!!!」

 詠太えいたは怪物から飛び出したに飛び掛かり、渾身の力を込めてナイフを振り下ろした。


 一瞬、光が弾ける。

 怪物は動きを止め、わずかの間を置いてその場に崩れ落ちた。


「――よっしゃあ!!」

 全身で喜びを表現する詠太えいた。レイチェルが呆れたように天を仰ぐ。

「エーテル体である魔法概念アブストラクトをナイフで……アキヅキあなた、やはりとんでもありませんわね」


 山積みのぼろ布のようであった怪物の残骸は徐々に消え失せ、最後に残った元のぬいぐるみ。詠太えいたはそれを拾い上げ、しげしげと見つめた。

「はぁ……見事にボロボロだな。怒るぞ、ニーナアイツ……」

 詠太えいたが苦笑いで振り返る。

「――キリエ、得意だろ? こういうの」

「は、はいっ!」


 ぬいぐるみをキリエに手渡し、詠太えいたは強い眼差しを世界樹に向けた。

 もう大臣が何を仕掛けてこようと怯まない。仲間の奪還、そして大臣の打倒に向けて突き進むのみだ。

「行こう!!」

 詠太えいたに応える皆の声が、無人の避難区域にこだました。

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