第一話 初めての◯◯◯ 1

 …………


 冷静に考えれば、俺は今、とんでもない状況にある。

 怪しい本屋で怪しい老人から譲り受けた怪しい書物……グリモワール。

 そのグリモワールを使って、カワイイ俺だけの天使ちゃんを召喚するはずが――

 逆に俺が召喚されていきなりどこかわからない世界に来て……しかも相手は天使じゃなく悪魔。

 その上俺が召喚者であるリリアナの願いを叶えることになって……


 リリアナの願いは『戦乱に加担する事』。

 コイツは一体――


「ねーねー、ホダッグもおいしそーだよー、詠太えいたー!」

 食材が並べられた露店の前で、リリアナが満面の笑みで詠太えいたを手招きする。

 ここはリドヘイムの首都、ルメルシュ中央部にある市場。詠太えいたはリリアナに連れられ、食材の買い出しに駆り出されていた。


「あっちの世界にはこんなのないでしょ。これ、シチューにすると最高なんだよ! 今はこんなに硬いホダッグの肉が、煮込まれてトロットロになって……」

「なあ」

「なによ」

 リリアナは視線を食材から離さない。

「オマエ、サキュバスなんだろ? 男の精力が主食とか、そんなんじゃなかったか?」

 リリアナはやにわに向き直ると、手にした人参のような野菜を詠太えいたの鼻先へ突きつける。

「あのねぇ、アタシは今サマナーなんだから! 逆にアンタに吸い取られてんのよ!? こっちで栄養とんなきゃ全っ然足んないわよ!」

「お、おう……」

 リリアナの剣幕に押され思わず後ずさりをする詠太えいた

 そのままくるりと背を向けさっさと先へ進むリリアナの後を追い、詠太えいたはトボトボと歩き出した。


 ――それにしても……

 両手に食い込む荷物を持ち直し、詠太えいたは改めて周囲を見渡す。

 さすがは中心都市の台所というべきか。市場は多くの人が行き交い、活気に満ち溢れている。しかし――先程から見かけるのはいずれも普通の人間ばかりで、詠太えいたのいた世界とあまり変わりがないように見える。リリアナの説明によると、ここはいろいろな種族であふれているファンタジーな世界、のはずだが……


「なあリリアナ、人間以外の種族ってどこにいるんだ?」

「……はぁ?」

 詠太えいたの問いかけに、少し先を歩くリリアナがあきれたような口調で応じる。

「何言ってんの。ホラ、あの人はケンタウロス。で、その人はハーピー。あっちのおじさんは……イエティかしら。みんな、『人間以外の種族』よ?」

 いやいや。

 どう見てもみんな、人間そのものの姿なんだが。

「ケンタウロスって、下半身が馬だろ? ハーピーだって……確か鳥みたいな翼が生えてるんじゃなかったか?」

「そうね」

「そうね……ってオマエ――」

「ほら」

「ん?」


 振り返って、目を疑った。

 先程リリアナがハーピーだと言い放った人物――それは詠太えいたからは単なる買い物中の女性にしか見えていなかったのだが、しかし今、視線の先にいるその女性は先程と全く異なる容貌を有していた。

 下半身は全体が羽毛に覆われ、骨格も含めて完全に鳥類のそれと化している。両の腕も立派な翼へと変化し、もはや人間の形状が残っているのは顔の部分ぐらいのものだ。

「えっ……えっ……??」

 驚き戸惑う詠太えいたの目の前で、女性は鱗の付いた両足で買い物かごをがっしりと掴むと、そのままふわりと舞い上がり大空へ消えて行った。

 呆然と見送る詠太えいたにリリアナが顔を寄せる。

「ね?」

「……」

 あまりのことに言葉も出ない詠太えいた


「みんな普段は人間の姿で生活してるのよ。アタシみたいに人間に近い外見をした種族が多いから、建物なんかもそれに合わせて作ってある。種族によって体格も体型も全然違うでしょ? そうしないと何かと大変なのよね」

 そうだったのか。

 てことはあの人も、あの人も……

 正直なところ詠太えいたには全く見分けがつかないが、みんな人間ではない『何か』であるということらしい。


 受け入れるしかないようだ。

 ここは『異世界』なのだ。今のような出来事にいちいち驚いていたらきりがないだろう。

 そうだ。それさえ受け入れてしまえば、街並みこそ洋風で古臭いが、いい街じゃないか。

 石畳の道に石造りの建物。

 やわらかな午後の日差しを受けて風に揺れる洗濯物。

 道路に沿って設置されている、よく手入れされた花壇の花。

 そこかしこで遊ぶ子供たち。


 ――って、……ん?

 辺りを見渡し、詠太えいたは呟いた。


「なんか……こうして見てるとすげー平和じゃねーか? 確か戦争してんだよなー、この国」

 さっき道端で買ったよくわからない実をかじりながらリリアナが答える。

「そうよ。今はリドヘイムがだいぶ押してる」

「そもそもなんで戦争してんだ?」

「さあ? お上の考えることは分からないわ。でもそのおかげで暮らしていけるアタシたちみたいのがいるのよ」

「オマエ、兵士なのか?」

「兵士……ちょっと違うかな。リドヘイムは国王直属の正規軍の他に、民間からセレニア討伐隊を募って戦力にしているの。いわば民兵で、戦闘に勝つと報酬が出るわ。国王認可の討伐部隊のひとつ、『暁ノ銀翼』隊長、疾風のリリアナさんとはアタシのことよっ!!」


 そう言うとリリアナは胸に付けたバッジを誇らしげに見せつける。どうやら認可を受けた討伐隊の証らしい。

「ふっふーん♪」


 得意満面のリリアナに、詠太えいたがいぶかしげな顔で訊き返す。

「アカツキの……何?」

「銀翼よ!」

「シップウの……何?」

「リ、リ、ア、ナ、さんよっ!!」


 ……元いた世界で言うところの中二病、というやつなのか。

 いや、中二病とも違う気がする。このネーミングセンス――その全てがそこはかとなく……ダサい。


「で」

「何?」

「……他のメンバーは?」

「いないわ。アンタが隊員第一号ね」

「はあぁっ!? なんだそれしょっぼ!!」


 馬鹿にしたような詠太えいたの反応に、リリアナの表情が見る見るうちにこわばっていく。

 咄嗟に危機を察知した詠太えいたが身構えるのとほぼ同時に、顔を真っ赤に紅潮させたリリアナからの集中砲火が降り注いだ。


「『はあぁっ!?』って何よ!! 暁ノ銀翼は正式な認可を受けた討伐隊なんだよ!? 討伐隊っていうのは申請して『はいそうですか』で通るようなものじゃないの! このバッジがもらえなくてゴロツキみたいなことやってるヤツらだってたくさんいるし! 国王の認可を受けるってのはそれはそれは名誉なことで、国民からの信頼だって――!」

「え? えっ!? いやその……」

「ウチは確かに人数は少ないけど! っていうかアタシだけだったけど! ……だからってそれを馬鹿にする権利なんてアンタには――!」

「わ、わかった! わかったよ!」

 たじたじの詠太えいたにさらに詰め寄り、リリアナが二の矢を放つ。

「ホントにわかってんの? アタシだってこのバッジを貰うためにどれだけ苦労したことか……!」


 互いの鼻と鼻が触れそうな距離にまで顔を寄せられ、詠太えいたは内心少しドキッとしたりもしたのだが、さすがに今がそんな場合ではないことぐらいは分かる。

「わかってる! わかってるから!! うんうん、わかってる。あ! あー……それで……あれだ! その討伐隊ってのは実際にどんな活動をするんだよ?」


 話題をそらす詠太えいたに、リリアナは不満気な表情を浮かべつつも答える。

「……街の兵士詰所に募集が出てるのよ。アタシたち討伐隊はその中から任務を選んで志願するの」

「自分で志願するのか。なんつーか……結構自由なんだな」

「……そうでもないわよ。それなりの活動実績がないと認可は取り下げ。逆に……実績を積めばランクが上がって重要な任務にも就くことができるわ」

「遊んでばかりいるワケにもいかねーのか。そりゃそーだよな……ところで、ウチのランクって……」

「黄銅 《ブラス》よ。一番下」

「い、一番下……」

「何よ?」

「いや……」


 リリアナに睨まれ、言葉に詰まる詠太えいた


「仕方ないじゃない。今までアタシひとりだったし」

「そっか……そうだよな。そこから上はどんなランクがあるんだ?」

「…………」

 リリアナはふと黙りこみ、詠太えいたの問いかけにも反応を見せない。

「…………そっか……これからは……」

「おいリリアナ?」


 不意に立ち止まり、食べかけの果実の最後の一口を頬張ると、リリアナは詠太えいたに向き直った。

「……うん。募集、ちょうど見に行こうと思ってたのよ。行きましょ! アンタの隊員登録もしなくちゃいけないし。そうよ! 我が暁ノ銀翼にもついに『新入隊員』が入ったんだから! うふふふふ」

 先程の不機嫌な表情から一転して、満面の笑みを浮かべている。


「ほら、ぼさっとしない!」

 リリアナはそう言い放つと、困惑する詠太えいたを尻目にどんどん歩いていく。

「?? ……んだよ、ったく……」

 ボヤきつつもリリアナの機嫌が直ったことに胸を撫でおろし、詠太えいたはその後をついて歩き出すのだった。



「ここよ。入りましょ」

 街の中心部、先程の市場からはやや離れたところ。

 周りと比較してもひときわ堅牢な造りの建物、そこが兵士詰所のようだった。


「はい。――っと、こっちは新入隊員です」

 入口でリリアナがバッジを提示して中へ入り、詠太えいたもそれに続く。

 ――ジロリ

 衛兵と目が合う。

「うっ……」

 国王直属の正規軍兵士だろう。ものものしい装備に身を包んだ男が二人、入口を守っていた。

「はは……ども」

 詠太えいたが中途半端に会釈をするも、兵士は無表情で詠太えいたに視線を向けたままぴくりともしない。

「はは、は……」

 詠太えいたは行きどころの無くなった愛想笑いを顔に張り付かせたまま、建物内へと足を踏み入れるのだった。


 ――ガヤガヤ――


 詰所内部は広いホールのような造りになっており、多くの人で溢れていた。

 入口の衛兵と同じ装備を身につけた兵士が数人、カウンターの奥には机に向かって事務作業をしている職員たち、そして一番数が多いのが他の討伐隊とおぼしき面々。

 それらの人々がごった返し、真っ直ぐ進むのも難しいぐらいの人口密度だ。

 その中をすり抜けるように進むリリアナと、掻き分けるようについて行く詠太えいた。程なくしてリリアナが立ち止まり、詠太えいたの方を振り返る。


「あそこ、見て」

 リリアナがひときわ人の集まった一角を指差す。

 壁に設置された掲示板いっぱいに、何枚ものビラがびっしりと貼りつけられていた。

「討伐隊募集のビラよ」


 詠太えいたは壁際へ近寄り、覗き込む。

「いろいろあるな、読めないけど」

「アタシたちはこの中から難易度と報酬を見て選ぶの」

 真剣な眼差しで募集の掲示を見つめるリリアナに、詠太えいたが声をかける。

「なんか良さそうなの……あるか?」

「ちょっと黙って!!」

 気圧けおされて黙る詠太えいた。ビラを端から一枚一枚吟味するように眺めていたリリアナが、あるところでその動きを止めた。


「よし、今回は……これよ!」

 リリアナが一枚のビラをはがす。詠太えいたの初仕事となる今回の任務、それは……

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