27.銀と濃紺

 ユリの花が生けられた玄関ホールを通って、一階にある応接室に通された。応接室のテーブルの上にも、レースのような模様が彫られた花瓶が置かれ、色とりどりのガーベラが生けられている。

 お花が好きな街なのね、とロティアはにっこりした。

「さっきもお話しした通り、リジンはたぶん夕方にならないと戻らないと思うの。お茶を飲んで待っていただけるかしら?」

「あ、お構いなく。むしろ、突然来てしまったので、リジンさんも驚くかもしれません」

「うれしい驚きじゃない! 友人が訪ねてくるなんて。喜ぶわあ」

 マレイはウキウキしながらお茶を取りに部屋を出て行った。


 ロティアの座るソファの背もたれに座っていたフフランは、ドアが閉まるのを合図に、ロティアの膝の上に降りてきた。

「リジンのお母さん、かわいらしい人だな」

「本当ね。リジンが優しく育ったのがわかる気がするなあ」

 ふたりはフフッと笑い合い、改めて家の中を見回した。

 ガラス張りのサンルームに繋がっている応接室の壁には、夜空色のインクで描かれた花の絵がいくつも飾られていた。どれも写実的で、一色だけでも十分花の魅力が伝わってくる。これらはリジンの絵ではないのだろうか。

 銀色の糸で紡がれたカーテンは窓の外から吹く風で揺れ、シャンデリアの光でチラチラと輝いている。それを見たロティアは、ハッとしてあることに気が付いた。

「……そっか。ヴェリオーズの家のカーテンも、灰色じゃなくて、銀色だったのかも」

 ポツリとつぶやくと、フフランが「ん?」と首を傾げた。

「あ、いや、大したことじゃないんだけど。リジンの家のカーテンって、この家と同じ銀色だったのかもしれないと思って。デザインがよく似てるの」

 フフランはカーテンの方へピューッと飛んでいき、カーテンをまじまじと見ながら「確かにな」と答える。

「リジンの家のカーテンって埃っぽさはなかったけど、使い古された手触りだったから、銀色が古くなって灰色に見えてたんじゃないかな」

「そうよ。あの子は物を大事にする子だから」

 振り返ると、にこやかなマレイが、お茶の乗ったトレーを持って入って来た。

 フフランはロティアのもとにとんぼ返りしてくる。

「ヴェリオーズの家はね、元々別荘だったの。わたしの祖父の時代のもので、わたしとリジンも何度か遊びに行ったわ。自然豊かで気持ち良いところよね」

「はい。わたしもすごく好きな町になりました」

 フフランが「オイラも!」と元気よく声を上げると、マレイは「うれしいわ」と微笑んだ。

「でも、ヴェリオーズから人が減ってからは、わたしたちも足が遠のくようになって、十年前に手放そうとしたの。そうしたらリジンに『どうしても残してほしい!』って、珍しくすごくお願いされちゃってね。維持するのも大変だから、『残せたとしても、きれいにすることはできないのよ』って言ったの。でも、そのままで良いから残してって言い張ってね」

 ワガママを言うところは想像できないが、リジンは確かにあの家を気に入っているように見えた。

「それで結局、リジンがあそこに移り住む時、銀色の屋根の塗り直しもせず、家の設備も昔のまま、カーテンや家財道具も全部古いものを持って行ったのよ。古いものに囲まれていると落ち着くんですって」

 だから水道が手押しポンプだったんだ!

 そう叫びそうになって、ロティアは慌てて口を閉じた。

「ごめんなさいね、長々と。そういえば、まだお名前をうかがってなかったわね」

「あ、そうでしたねっ。わたしはロティア・チッツェルダイマーです。こちらは親友のフフランです」

「ロティアさんにフフランさんね。よろしくお願いします」

 マレイはにっこりして、銀色で縁取られた白色のポッドから濃い紅茶を注いだ。

「フフランさんは熱いお茶はいけないと思ったんだけど、お水で大丈夫?」

「気遣いありがとうな。水をいただくよ」

 フフランは水が入った銀縁のカップの淵にとまり、器用に水を飲んだ。マレイは感心したように「まあ」とかわいらしい声を上げた。

「スコーンも召し上がってね。ロエルのスコーンは絶品だから」

「ありがとうございます。本当においしそうですね」

「あれ、さっき自分しか家にいないって言ってなかったか?」

「ロエルはうちのメイドなの。わたしは常にこの家にいるわけじゃないから、父の世話や家の維持をお願いしているの。ここは実家で、今の住まいは別の町にあるから」

 だから表札の名前がキューレじゃなかったんだ。

 ロティアは納得してうなずいた。

「それで、ロティアさん。今日はどうして来てくださったの? それも突然。確かにあの子の誕生日は近いけど」

「えっ、リジンの誕生日ってすぐなのか?」

「ええ。四日後よ。十九になるなんて、子どもの成長って早いわねえ」

「四日後……」

 マレイはロティアの前に紅茶の入ったカップを置き、スコーンを取り分けたお皿を隣に置いた。

 二つ並んだスコーンを見つめながら、リジンの誕生日すら知らなかったことに、ロティアは戸惑ってしまった。


 ロティアとリジンの関係はまだたったの一か月だけだ。

 たった一か月過ごしただけの人に突然押しかけられたら、リジンが困るかもしれない。

 自分がリジンに会いたい、という一心で、たくさんの人を巻き込んで、ここまで来てしまった。


 ロティアは急に恥ずかしくなってきて、椅子から立ち上がりそうになった。するとその時、「そういえばっ」とマレイが明るい声を上げた。

「リジンって恥ずかしがり屋だから、今まで家族以外と一緒に誕生日を祝ったことってないの。ロティアさんとフフランさんがお祝いしてくれたら、初めてのご友人よ。ぜひそうしてあげて」

 マレイに優しく微笑まれたロティアは、まるで心を中を覗かれたみたい、と思った。

 マレイの言葉は、ロティアの不安や恥ずかしさを、あっという間に溶かして消してしまった。

 ロティアはきちんと座り直し、真っすぐにマレイを見た。

「絶対に、お祝いします。させてください」

「もちろんよ! わたしと父と、ロティアさんとフフランさん。四人で盛大にお祝いしましょう! あ、でもおふたりは日帰りのつもりだった?」

「いえ。リジンに泊めていただくつもりはありませんでしたけど、どこか宿を取ろうと思って、二日分は着替えも持ってきています。仕事も五日間お休みを取ったので、ギリギリお祝いできます」

「良かったあ。それならうちに泊まってちょうだい」

「えっ。よろしいんですか、突然泊めていただくなんて」

「わたしがそうして欲しいのよ。ロティアさんたちとは、ぜひお話してみたいと思ってたんだもの。ちょうど良いわ。部屋はロエルに頼めば、あっという間に用意してくれるから」

 マレイはロティアが何かを言う前に、ウサギのような速さで部屋から出て行った。そして一分も経たないうちに、すぐに戻って来た。ロエルは部屋の外に控えていたのだろうか。

「これで泊まるところは大丈夫よ。さあ、リジンが帰ってくる前に、誕生日パーティーの話をしましょう。少し決めてあることもあるのよ。あ、でもその前に。ロティアさんとフフランさんのお誕生日も教えて下さらない? 一方的に祝ってもらうなんてダメだもの」

 ロティアは顔の前でブンブン手を振り、「そんなっ、気にしないでください」と言った。

「ダメよ。不公平は人を傷つけることがあるんだから」

 マレイはソファから立ち上がると、バラのガラスの置物が置かれたチェストの方に歩いて行った。引き出しの銀色の取っ手に手をかけた時、ビュウッと強い風が窓から吹き込み、銀色のカーテンをバサバサッと揺らした。マレイの濃紺の髪もサラサラと揺れる。その光景もリジンにそっくりだ。

「まあまあ、風が強いわねえ。曇って来たし、リジンたちも直に帰ってくるかしら」

 マレイは独り言を言いながら、窓を閉めた。

 チェストの一段目から小さな紙きれとペンを取り出したマレイは、ロティアの隣のソファに座った。

「お待たせしました。さあ、お誕生日を教えてくださいな」

 ズイズイと詰め寄ってくるマレイは、ムキになった子どものようで、とてもかわいらしい。ロティアは思わずフフッと笑ってしまった。

「わかりました。七月七日です」

「オイラは正確な日がわからないから、ロティアと一緒で」

「七月七日ね。覚えたわ。おふたりのご都合もあるでしょうけど、来年はぜひお祝いさせてくださいね」

「ありがとうございます。……マレイさんにお会いして、リジンさんが優しかった理由がわかりました」

「あら、うれしいこと言って下さるのね」

 この人になら、フォラドに来た本当の目的を話しても良いかもしれない。

 ロティアは両手を握り締めて、覚悟を決めてゆっくりと口を開いた。

「……あの、マレイさん」

「なあに?」

 マレイはいつの間にかペンからスプーンに持ち替え、優雅な仕草でスコーンにクリームとジャムの乗せている。

「わたしとフフランは、リジンさんに、また、絵を描いてほしくて、会いに来たんです」

 この言葉に、フフランは驚かなかった。いずれは話すことになるだろうと思っていたのだ。

 一方で、マレイは石になったようにピタリと動きを止めた。赤色のジャムがだらりとスプーンから零れ落ちる。

 ロティアとフフランがゴクリとツバを飲みこむと同時に、マレイは顔を上げた。その目には、涙が浮かんでいる。

「あ、お、驚かせてしまって、ごめんなさいっ」

 ロティアが声を上げると、マレイはハッとしてスプーンを置き、指の先で目尻を触った。

「驚かせたのは、わたしの方よ。ごめんなさい、急に泣いたりして。……でも、うれしくて。リジンのことを、心配してくれる方が、いたことが」

 絞り出すような声に、ロティアは胸が締め付けられた。


 当然知っているのだ、リジンの苦しみやつらさを。

 ロティアはマレイの手を優しく握り、すうっと息を吸い込んだ。

「……わたしたち、リジンさんの力になりに来たんです」

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