25.出発

 オーケと会った五日後、ロティアは五日間の連続休暇を取った。

 カバンには二日分程度の着替えと一緒に、これまで取り出した絵のインクが入ったビンを入れる。そして朝一番、六時過ぎの汽車に乗り込んだ。

「さて、ここから何時間だ?」

 フフランは目をシパシパさせながら首をクルクル回す。

「えっと、ヴェリオーズまで四時間で、それに加えて二時間だから、……全部で六時間だね」

 ロティアとフフランは顔を見合わせて苦笑いをした。

「わかっちゃいたが、長い道のりだなあ」

「途中で一回乗り換えがあるし、待ち時間もあるからね。暇つぶしの道具はいろいろ持ってきたよ! わたしもフフランも好きな詩集でしょう、作りかけのビーズ飾りでしょう、カードゲームでしょう、それからお絵描きする道具も」

 ロティアは足元のパンパンに膨らんだカバンを叩いた。

「おっ! それじゃあ、久々に絵でも描くか。ロティアをモデルにするかなあ」

「それならわたしはフフランを描こうっと」

 局員寮のキッチンで作ったサンドイッチで朝食を済ませると、ふたりはさっそく絵を描き始めた。まだ汽車が混む時間ではないため、絵の具やパレット、画板などをごちゃごちゃと座席の上に広げた。フフランの絵はもちろんフフランの羽根が筆変わりだ。

 ロティアは羽根をくちばしに咥えてサラサラと絵を描き進めるフフランをジッと観察した。

「いつも見てるけど、いざ描こうとうすると、フフランって結構難しいね」

 フフランは一度羽根を置いて、「そうか?」と首をかしげる。

「うん。羽根の一本一本がふわふわしててきれいだし、目もきれいでしょう。でもくちばしと足はゴツゴツしててすごく固そうでしょう。一つの体の中に、極端に対照的な部分があるから、どっちもよく観察して描かないと、フフランの魅力が表せないと思うんだよね」

「まったくロティアはまじめだなあ。楽しく描けば良いのに」

「ダメだよっ。初めてちゃんとフフランを描くんだもん! 最高傑作にしなきゃ!」

 ロティアは鉛筆を持って、穴が開きそうなほどジッとフフランを見た。フフランは愉快そうにクツクツと笑って、羽根を咥えなおした。


 小刻みに揺れる車内で筆を走らせること三時間。汽車の中が混み始めると、ロティアとフフランは画材を片付けた。田舎町に近づいて乗客が減るまで、お絵描きは中断だ。

 ようやくフフランのだいたいの輪郭を書き終えたばかりのロティアは、完璧に不完全燃焼だ。まだ手が鉛筆を持って動いているような気がした。

「リジンが絵を描くのが好きな理由がわかった気がするな。描いてる間、ずっと集中できて、頭が空っぽになるから、余計なことを考えなくてすんで良いね。でも手と目と頭は確実に動いてるから、ただぼーっとしてるんじゃなくて、一つ作品が完成していくってところがおもしろい!」

「夢中になっちゃうよなあ。オイラもお絵描き好きだ」

「それなら、リジンがまた絵を描くって言ってくれたら、その時はフフランも一緒に描こうよ。わたし、ふたりの絵、見たい」

 フフランは照れくさそうに羽根の先で頭を掻いた。

「プロのリジンに比べたら、オイラの絵なんてなあ」

「あら、ひどいっ。わたしが最初に好きになった絵描きはフフランなのに!」

 ロティアが頬を膨らませると、フフランは両方の翼を広げてクイッと上げた。

「ロティアはいつまでもかわいいことを言うなあ。ありがとな」

「本当だもんっ」

 ロティアとフフランは顔を見合わせて笑い合った。




「ヴェリオーズー、ヴェリオーズー」

 その後さらに一時間経ってヴェリオーズに到着すると、ロティアは座席から立ち上がった。慌ててフフランがロティアのシャツの裾を引っ張る。

「ロティア、まだだぞ!」

「あ、そっか! ごめん、つい癖で」

 つかみかけたカバンを下ろし、座席に座りなおす。

「今日はここからさらに三十分乗って、乗り換えるんだもんね」

「そうそうっ。まだまだ道は長いなあ」

 フフランはくちばしを大きく開けて、「ホワーッ」と間の抜けたあくびをした。すると、ロティアの口からもあくびがこぼれた。

「ロティアー、ちょっと寝ないか? 朝が早かったから、眠くなってきた」

「それもそうだね。ちょっと眠ろうか」

 ロティアはカバンを足元から持ち上げると、自分の腕とカバンの取っ手をスカーフできつく結びつけた。そしてカバンを両手で抱え込んだ。

「おやすみ、フフラン」

「おやすみ、ロティア」

 目を閉じると、ロティアもフフランもあっという間に眠りについた。朝は四時に起きた上に、昨晩は緊張でよく眠れていなかったのだろう。






 眠っている間、ロティアはリジンの夢を見た。リジンが絵を描いている夢だ。

 ボートが泳ぐ湖を描くリジン。髪が結われたこめかみには、きらりと光る汗が流れている。

 サリサリとペンが紙の上を走る音が聞こえてくる。

 ロティアはその隣に座って、まどろむフフランをなでながらリジンを見上げている。

『暑くない、リジン?』

『大丈夫だよ。あともう少しで終わるから、そしたらボートに乗ろうか』

『いいねっ。わたしボート漕ぐの得意だよ』

 ロティアが力拳を作って見せると、リジンはペンを止めてフフッと笑った。

『たくましいね、ロティアは。それじゃあ交代で漕ごうか』

 そう言って笑うリジンの頬に触れようとすると、ロティアの手がリジンの頬をすり抜けた。リジンはまるで靄のように霞んで消えていく。

 その瞬間に、ロティアは声を上げて泣いた。ショックで胸が張り裂けそうになる。

 すると、膝の腕でまどろんでいたフフランが、ロティアの頬に柔らかい頭を摺り寄せてきた。その感覚は確かにある。

『大丈夫だぞ、ロティア。絶対に大丈夫だ』

『……っう、うん、あ、あり、がとう。フッ、フフラン』

 リジンもきらめく湖も、水を掻くボートも消えていた。

 真っ暗闇になった夢の世界には、フフランの柔らかさと温もりだけが残った。




 そしてロティアがハッと目を覚ました時、乗り換えのための駅に着いた。

 涙で濡れそぼったロティアの頬には、フフランの頭がぴったりとくっついていた。

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