2.辺境の地での依頼

 翌日出勤すると、仕事部屋の前に受付係のカインが立っていた。何やら書類を持っている。今日も飛び入りの依頼だろうか。

「おはようございます、カイン」

 カインはハッとしてロティアの方を見ると、そわそわしながら駆け寄って来た。

「おはよう、ロティア。実は、ロティアに急ぎの仕事の依頼が来てるんだ」

「書面でですか?」

「ああ。局長の許可は下りてるから、依頼は受けたも同然なんだけど」

 ロティアと肩にとまったフフランは、カインに差し出された書類をじっくりと見た。



依頼人:リジン・キューレ(18)

職業:画家

依頼内容:住み込みで絵画を削除

期間:七月十五日~八月十四日の一か月の試用期間後、検討

給金:一か月三十万



「えっと、これって、明日からの一か月、他の仕事をできないってことですか?」

 カインは頭を掻きながら、「……そういうことになるな」と気まずそうに答えた。

「おいおいっ。それじゃあ、ロティアに仕事の依頼をしに来るお客は無視ってことか? ロティアの評判が下がっちまう!」

 フフランはバサバサ音を立てながら羽根をふって抗議する。

「そ、そうだよな。俺もそう思うよ。でも、リジン・キューレって言ったら、すごい画家なんだ! しかも局長の娘さんがファンらしくて」


 リジン・キューレ、若干十八歳にして、王立美術館で個展を開いた天才画家。数少ない色彩で繊細に写実的な絵を描く画家で、世界中にファンがいる。とカインは教えてくれた。

 ロティアは家族と一緒に絵画鑑賞にはよく行くが、リジン・キューレのことは知らなかった。

「でもちょっと変わったところがあって……」

「えっ、性格的にですか?」

「違うよ。なんでも、絶対に自分の描いた絵を売らないんだ」

「絵を、売らない?」

「それって変わってるのか?」とフフラン。

「絵を売ることで生計を立てるのが画家だからね。でもリジン・キューレは絶対に売らないで、展覧会だけで見せるんだ。つまり、展覧会の収入だけってことになるから、経済的に厳しくなったのかもな」

 その後もカインの話は続いた。

 本当は気に入ったお客にだけこっそり売ってるだとか、そもそも描いてるのは別人だとか、どこかの貴族の息子で才能以上の評価があるだとか。

 ロティアは適当に相槌を打ちながら、資料をじっくり読んだ。



依頼理由:画材代の節約



「カイン。この依頼って、断ることはできないんですよね?」

「ああ、そうだな。局長が受けちゃったし。でも、ロティアが直接交渉すれば、住み込みのこととか期間とか、話は変わるかもしれないから、ひとまず行ってみてくれないか? 今日中にお宅を訪ねるように仰せつかってるんだ」

「今日の依頼はどうするんですか?」

「今日は臨時休業ってことにしろって、局長が。あと、ロティアが不在の間に局に来た依頼人様には、ロティアの事情を説明して、住み込み先で処理しても構わないって許可を頂けたら、リジン・キューレ様の自宅に送ることになったよ。それはリジン・キューレ様も了承されてる」

 つまり局でしていた仕事を、リジン・キューレのお宅でやれるということだ。

「単純に考えるなら、仕事場が変わるだけだな」

 そう言われると、食い下がる理由がなくなり、ロティアとフフランは顔を見合わせた。

「……しかたないな」

「……うん。ひとまず行ってみよう」

 ふたりは仕方なく、仕事用のカバンを抱えて駅に向かった。






 リジン・キューレが住んでいるのは、魔法特殊技術局がある街から、汽車に乗って四時間以上かかる国境に面する隣国の町だった。

「ヴェリオーズって町だって。フフラン知ってる?」

「いやあ、知らないな。でも方角としては行ったことがあるから、通ったことはあるかもな」

 ふたりはカインにもらった地図を一緒にのぞきこんだ。

 ヴェリオーズは北に巨大な山脈があり、大きな湖もある緑の多い町のようだ。

「せっかく出向くんだから、景色が良いところだと良いな。山があるし、自然は多そうだな」

「本当に一ヶ月住み込むなら、湖にも行ってみたいね」

 ロティアは車内販売でサンドイッチを買って、汽車の中で昼食を済ませた。フフランが食べる麦のお菓子は常に持っているため、フフランはそれを食事にした。

 地図を見ながら話をしたり、うたた寝をしているうちに四時間はあっという間に過ぎた。そういえば、こんなにのんびりとした平日を過ごしたのは三年ぶりくらいだなあ、とロティアは思った。

 やがて、汽車はキーッと軋みながらゆっくりと停まった。外から「ヴェリオーズー、ヴェリオーズー」と愛想のない声が聞こえてくる。乗客はロティア以外にほとんどいない。

 ロティアとフフランはコクッとうなずき合って、電車を降りた。そして、口をポカンと開けてその場に立ち尽くした。


 町の北半分を覆うように、波打つ緑の山脈が見える。

 枝葉の多い木々は、都会の街路樹のように等間隔ではなく無作為に生え、縦横無尽に枝を伸ばしている。まるで荒ぶる生き物のようだ。

 苔むした煉瓦造りの駅の周辺には、家らしい建物は一つも見当たらない。ふたりが立っている駅前には、辛うじて木製のベンチが設置されているが、それにも蔦が絡まっていて、地面にはカーペットのようにフカフカした野草が生い茂っている。

 汽車が走り去っていくと、聞こえてくるのは、鳥と虫の鳴き声だけになった。

 鼻につくのは、濃い緑の香り。久しぶりに感じる香りだ。

「……町っていうか、森?」

 ロティアがつぶやくと、フフランもぼんやりした声で「ほんとだな」と答えた。

 カインから受け取った資料の地図を頼りに、北にあるリジン・キューレの家に向けて出発した。リジン・キューレの家は、駅から伸びる目抜き通りの先にあるらしい。

 目抜き通りを示す煉瓦造りの道はなんとか見つけることができたが、生命力の高い野草があちこちから生えていて、煉瓦はほとんど覆い隠されている。

 フフランが上空から確認して、道を進んでいかなければならなかった。


 そしてきっかり三十分、汗をぬぐいながら森の中のような町を歩いて行くと、突然真っ白い塀が現れた。

 鉄格子の門のそばにユリの形をしたベルが付いている。

 ロティアは暑さで乱れた呼吸を整えてから、ベルのヒモに手をかけ、クイッと一回引いた。するとベルはカーンキーンッと鋭く鳴った。フフランが「うわっ! 驚いた!」と声を上げたその時、門がゆっくりと開いた。

「……入って良いのかな?」

「ベルを鳴らして、門が開いたなら、入っていいってことじゃないか?」

「本当は、返事をもらってから入るものだけど……」

 門の先に見える家のドアを見つめるが、返事が返ってくる気配どころか、人の気配も感じられない。ロティアは、今度は大きく深呼吸をした。

「……よしっ、行ってみよう!」

 門に手をかけて通りやすく開けると、ロティアとフフランは一緒に門をくぐった。

 入ってすぐに、背の高い白樺の並木がふたりを出迎えた。背の高い野草が生い茂る中で、白い幹の白樺は良く映えた。その木々がジリジリと照り付ける陽光を遮っているおかげで、並木道は涼しく感じられた。それはとてもありがたかったが、数時間まともに人間を見ていないロティアとフフランには、表情豊かな木目をした白樺の木が人に見えてしまい、落ち着かない気持ちになった。中にはコブがふたつ並んでいて、目のように見る木もあった。ロティアは念には念を、と杖が入ったポケットに手を忍ばせた。

 やがて並木を抜けると、真っ白い建物が現れた。三階建ての大きな家は、屋根だけが薄い灰色をしている。なんだか重たそうな屋根、とロティアは思った。

 家のドアにもユリのベルが付いている。門のベルの甲高い音を思い出すと、もうベルを鳴らしたいとは思えなかった。フフランも同じようで、ロティアの肩にとまって、髪の毛の中に頭を突っ込んでいる。

「……でも、しかたないよね。人のお家に入るんだもん。呼び鈴は常識」

 そう言い終わる前に、ドアが内側からひとりでに開いた。ロティアはぎくりとして一歩後ろに下がる。しかしすぐに警戒心は溶けてしまった。家の中から、嗅ぎなれたインクのにおいが漂ってきたのだ。

 突然一か月も住み込みを要求してくるような突拍子もない依頼だが、ロティアの魔法を必要としている、と言う点では、他のお客様と同じだ。

 ロティアはそう自分に言い聞かせ、ニコッと作り笑顔をした。そして明るい声で、こう叫んだ。

「魔法特殊技術局から参りました、ロティア・チッツェルダイマーです。リジン・キューレ様のお宅でしょうか?」

「……そうだよ」

 家の中から、眠たげなハープのような声が聞こえてきた。

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