第1話 継承! 次期魔王⁉ -壹-

 思えば俺の人生は、下り坂ばかりの転落人生だった。


 小中高と大して目立ったことをしたワケでもなく、なんとなく入った陸上部での実績から体育大学に進学。


 ……したはいいが、ライバル達の実力差に追い付けず、一瞬にして落ちこぼれに転落。


 それでも何とか死に物狂いで卒業したものの、就活が上手く行かず。新卒カードを失いたくないという焦りから入社した会社は、「ドが付くほど」なんて代名詞を付けても足りないくらいのクソブラック企業だった。今思い出すだけでも蕁麻疹が出る。


「お前らみたいな愚図を雇ってやったのは誰だ?」


「やっぱり仕えないクズだな。さっさと【自主規制】」


 だとか、挙げればキリがないくらいには言われてきた。


 恐らく、日本に存在する罵詈雑言の全てをぶつけられたような気がする。


 それだけに留まらず。


 パワハラは言わずもがな、モラハラ、セクハラ、アルハラ、その他諸々etc……。


 ありとあらゆるハラスメントが人の形を成して働いていた。俺の語彙をフル出力してあの場所を表現するのならば、それは恐らく「地獄」だろう。


 この世の地獄。時代が生み出してしまった史上最低の場所。人間を卒業させるためのロボット製造所。むしろ何故社会問題として取り上げられない。


 まあ、それはどうだっていい。閑話休題。


 そうしてブラック企業で働き続けること3年と半年。突然俺の前に黒い全身タイツの男達が現われた。


『昔のように、輝いていた時代に戻りたくはないか?』


 いかにも怪しい勧誘だった。しかしどうして、俺はそんな怪しい勧誘に乗り、男達についていってしまった。


 ブラック企業から逃げ出したかった。逃げ出して、彼らの言う「輝いていた時代」に戻りたかったのだ。


 そうして俺は流されるまま改造手術を受け、秘密結社『ブラッドムーン』の戦闘員となった。


 結果としては、後悔しかない。


 戦闘員となったことで、平均の一般男性以上の能力を手に入れ、ある程度無茶な労働をしても過労死しない肉体を手に入れた。


 だがその分、ブラック企業時代よりも多い仕事を押し付けられ、頭のネジが外れた怪人や幹部の言うことは絶対。


 最悪、怪人の機嫌一つで戦闘員の首が飛ぶ。そう、物理的に。


 次は我が身、いつ俺の首が吹き飛ぶかも分からない。そんなふざけた世界に、俺は身を落としてしまった。


 まさかこんな所で、ブラック企業に居た時の方が幸せだったと思うとは。


 俺の人生が好転してくれる日は、もう一生ないだろう……


 ***


 洞窟のように薄暗い作業部屋。チカチカと点滅する蛍光灯の下、くたびれ顔の青年はひたすらキーボードを叩き、データの作成をしていた。


 その量は果てしなく、搭のように積み上げられた資料の山が、青年の机の上に築かれている。いや、それに加え、机に積み上げられなかった資料が、床に積み上げられている。


 青年は黒い全身タイツに包まれた腕で額の汗を拭い、大量に積み上げられた資料を一つ一つ片付けていく。


「結局、どこ行っても事務作業かよ……」


 青年は愚痴をこぼしつつ、何度も休まずにキーボードを叩く。


 3年と半年、嫌というほど残業前提で任され続けてきた事務作業。職場が変わったとはいえ、やることは大して変わらない。


 最早ここまで来ると、プロのような凄まじい速度で仕事がこなせるようになる。


 彼こそがこの物語の主人公。しかし、青年に名前はない。


 秘密結社「ブラッドムーン」に所属する捨て駒——戦闘員に、人間と同じような名前は必要ないからだ。


 強いて言うのなら、戦闘員達に与えられた番号。それが、彼らの“名前”だろう。


「おい、193号」


 名を呼ばれた青年、もとい193号は振り返る。そこには同じように、黒い全身タイツを纏った男が立っていた。


 一つ違うところといえば、彼は目出し棒のような黒いマスクで顔を覆い、その上に髑髏を模したマスクを被っている。


「あ、ああ! なんだ315号?」


 193は慌てて立ち上がり、ポケットに入れていたマスクを被る。これで二人の個性は消え、事務室に二体の戦闘員が現れた。


 男、もとい315号は扉を親指で指しながら、


「アジトに新しい怪人が来るそうだ。戦闘員は全員広間に集合するように」


 と、やけに嫌そうな口調で報せる。


 だが無理もないことだった。


 この組織で、怪人の言うことは絶対。怪人が白といえば白、黒といえば黒。


 たとえそれが理不尽極まりない命令だったとしても、逆らうことは絶対に許されないのだ。


 もし逆らえば、怪人の能力で殺される。逆らわなくとも、怪人の気分次第で殺される。


 そして今日も、新たにやってきた怪人に何人か殺される。


 最悪、自分がその牙にかかるかもしれない。


「あ、ああ! 今行く!」


 一抹の不安を抱えながらも193は小走りで部屋を出て、アジトの広間に向かった。


 ***


「よくぞ集まった戦闘員諸君。俺様は貴様達の統率を担うこととなったサソリ怪人、スコーピオ様だ!」


 スコーピオはそう言いながら、丸みを帯びた腕のハサミをカチカチと鳴らす。


 身体はサソリやカニのような堅い甲殻に覆われ、頭には一匹のサソリを模したマスクを被っている。


 その頭頂部に生えた尻尾の先には毒針があるようで、キラリと光る毒針が、戦闘員達の背筋を凍らせた。


 193号も例外ではなく、マスクに隠れたスコーピオの表情を伺いながら、冷や汗を流していた。


 嫌な予感がする。絶対誰か殺される。193号の勘が危険信号を発している。


「これより、早速街へ繰り出して破壊活動を行うワケだが……オレ様は今日、とても機嫌が悪い」


 嫌な予感は的中し、スコーピオは戦闘員の前で練り歩くと、


「どうしてだか分かるか? おい、そこのお前、答えてみろ」


 そう言って、ハサミの腕を戦闘員に突きつける。そこにいた戦闘員は、193番だった。


 緊張で冷や汗が走る。


 だが、答えなければ殺されてしまう。恐怖心で竦んだ体をしゃんと伸ばし、考えに考えた答えを告げる。


「しゅ、首領様から小言を言われたから、でしょうか!」


 それが精一杯の答えだった。しかし――


「違うッ! 何故この支部には女戦闘員ちゃんが一体もいないのだッ! むさっ苦しい男共など眼中にもないッ! 俺様はそれがどうにも腹立たしいのだッ! この金魚の糞にも満たない藻屑野郎がァ‼」


 突然キレた怪人は、勢いに任せ、193号の胴体を切り裂いた。


 193号は突然の出来事に思考が追い付かず、ふらりと倒れる。やがて腰から下の感覚がないことに気付き、真っ二つにされたことを知る。


「……え?」


(俺……斬られた……? どうして、俺、ただ質問に答えただけ、だよな……?)


 ただ質問されたから答えただけ。それだけの小さな理由でも、怪人の機嫌を損ねた戦闘員は殺される。それがこの組織の掟だった。


「まあいい。憎きヒーローを殺せば、オレ様も幹部へと昇格できる。そうすれば編隊も好きにできる、ハーレムもやりたい放題だ! ガーッハッハ!」


 スコーピオは高笑いを上げると、生き残った戦闘員達を引き連れてアジトを後にした。


 その中で193号を悼む戦闘員は、果たしていなかった。


(畜生……なんでオレが、殺されないといけないんだ……)


 死因が怪人の理不尽だったなど、笑えたものではない。


 しかし怪人のパワーは戦闘員のおよそ300倍。一般人に毛が生えた程度の戦闘員では、どう頑張っても太刀打ちのできない相手である。


 幸か不幸か、193号はまだ意識を保っているものの、それが尽きるのは最早時間の問題だった。


(こんなところで終わりたくねぇ。俺、まだ26だぞ? 若すぎんだろ、死ぬにはよぉ……)


 段々と身体が冷たくなっていくのを感じ、死期を悟る。


(やっぱり俺の人生って――)


 もっと真面目に、まともに生きていれば、こんな中途半端な終わり方なんてなかっただろうに。


 後悔しても、最早何の役にも立たない。


 灰色に染まった視界が、より暗さを増していく。やがて斬り離された胴体から力が抜けて行き、まるで氷点下を越えた氷山に投げ捨てられたかのような寒気に襲われる。


(寒い……寒い……嫌だ、俺はまだ――)


 ――死にたくない。


 193号は必死に祈る。しかしその祈りが神に届くことはなく、193号の意識は深い闇の中へと消えていった……。

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